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観音寺城址(かんのんじじょうし) / 佐々木城

最終更新:よね
基本情報
標高 360m
場所 北緯35度08分45秒, 東経136度09分28秒
カシミール3D
繖山に築かれた近江国守護佐々木六角氏の居城跡。佐々木氏城跡ともいい、国指定の史跡です。城跡は昭和44年(1969)から2年にわたって発掘されました。
 築城の年代は明らかではありませんが、戦国時代に六角高頼(たかより)(1445-1520)が、家臣である伊庭行隆・山内政綱(まさつな)らに命じて築城させたものと伝えられ、以後次第に整備されて、典型的な山城となったといわれています。
 山頂部には、樹間に本丸跡の石垣や石段、平井丸(ひらいまる)・落合丸(おちあいまる)・池田丸(いけだまる)の3つの城郭跡が残っています。また、大夫殿の池と称する籠城に備えた命水や、山上の雨水が石垣を崩さないように考えられた石畳の樋などがあり、多くの箇所に工夫が疑らされているのがわかります。本丸跡からは、ほかに茶器・硯・水差し・皿・壺なども多数出土しました。
 頂上からは、湖東平野一円を見渡すことができ、旧中山道や朝鮮人街道もよく見えます。
滋賀県観光情報より
http://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/886

山の解説 - [出典:Wikipedia]

観音寺城(かんのんじじょう)は、滋賀県近江八幡市安土町にあった日本の城(山城)。支城に和田山城、佐生城、箕作城、長光寺城などがある。城跡は国の史跡に指定されている。
近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城で、小脇館、金剛寺城より移り、六角氏の終の本拠となる。
標高432.9m、南北に伸びる繖(きぬがさ)山の山上に築かれる。南腹の斜面に曲輪を展開、家臣や国人領主の屋敷を配した。総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされる。天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた。周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、それらを管制できる要衝に位置する。又、これからも更なる発掘調査を実施するが予算の関係で建物の木造復元計画はない。

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