関東
蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)
最終更新:youtaro
基本情報
場所 | 北緯36度24分23秒, 東経139度02分23秒 |
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2段築成の方墳で、主体部として両袖型横穴式石室を持つ。
山の解説 - [出典:Wikipedia]
蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)は、群馬県前橋市総社町総社にある古墳。形状は方墳。総社古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「総社古墳群」のうち)。{| class=\"wikitable\" style=\"background:#ffffff;text-align:center;font-size:85%;\"
|+総社古墳群7基
!支群
!古墳名
!形状
!規模
!埋葬施設
!築造時期
!史跡指定
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|北||遠見山古墳||前方後円墳||墳丘長88m||竪穴式石室?||5c後半||国史跡
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|rowspan=2|南||王山古墳||前方後円墳||墳丘長76m||横穴式石室||6c初頭||市史跡
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|王河原山古墳?||前方後円墳|| || || ||(消滅)
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|rowspan=4|北||二子山古墳||前方後円墳||墳丘長90m||横穴式石室2基||6c後半||国史跡
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|愛宕山古墳||方墳||一辺56m||横穴式石室||7c前半||国史跡
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|宝塔山古墳||方墳||一辺66m||複室横穴式石室||7c中葉||国史跡
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|蛇穴山古墳||方墳||一辺44m||横穴式石室||7c後半||国史跡
|}
群馬県中部、榛名山東南麓・利根川西岸の前橋台地上に築造された大型方墳である。西には宝塔山古墳が隣接する。古墳名は石室奥壁に江戸時代に刻まれた蛇の図があることに由来する。1975年(昭和50年)以降に発掘調査が実施されている。
墳形は方形で、主軸は北から東に13度振れ、一辺44メートル・高さ5メートルを測る。墳丘は3段築成と推定され、墳丘外表には葺石が認められる。また墳丘周囲には2重の周濠(周濠・外周溝)が巡らされており、周濠を含めた古墳全体としては一辺82メートルにもおよぶ。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する。截石切組積みによって構築された整美な石室で、羨道を欠き玄室・前庭部のみで構成される。玄室の各面は各1枚の切石によって構築され、各石材には精巧な加工技術が認められる。古くから開口したと見られるため、石室内の副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定される。総社古墳群では宝塔山古墳に後続し、最後の大型方墳に位置づけられる。総社古墳群のうち愛宕山・宝塔山・蛇穴山の大型方墳3基は、前方後円墳終焉後の上毛野地方において他古墳とは一線を画する規模・内容であるとともに、宝塔山・蛇穴山の2基は総社古墳群の南西に所在する山王廃寺跡との間で石材の加工技術の共通性が認められる。畿内ヤマト王権との強いつながりを背景として、総社地域が古代上毛野地方(上野国)の政治的・文化的中心となり、上野国府・上野国分寺・上野国分尼寺の成立を導く過程を考察するうえで重要視される古墳になる。
古墳域は1974年(昭和49年)に国の史跡に指定されている。
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