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総社二子山古墳(そうじゃふたごやまこふん) / 二子山古墳

最終更新:ardisia
基本情報
場所 北緯36度24分41秒, 東経139度02分05秒
カシミール3D

山の解説 - [出典:Wikipedia]

総社二子山古墳(そうじゃふたごやまこふん)は、群馬県前橋市総社町植野にある古墳。形状は前方後円墳。総社古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され(指定名称は「二子山古墳」)、史跡「総社古墳群」への統合が答申されている(官報告示を経て正式指定となる)。
{| class="wikitable" style="background:#ffffff;text-align:center;font-size:85%;"
|+総社古墳群7基
!支群
!古墳名
!形状
!規模
!埋葬施設
!築造時期
!史跡指定
|-
|北||遠見山古墳||前方後円墳||墳丘長88m||竪穴式石室?||5c後半||市史跡
|-
|rowspan=2|南||王山古墳||前方後円墳||墳丘長76m||横穴式石室||6c初頭||市史跡
|-
|王河原山古墳?||前方後円墳|| || || ||(消滅)
|-
|rowspan=4|北||二子山古墳||前方後円墳||墳丘長90m||横穴式石室2基||6c後半||国史跡
|-
|愛宕山古墳||方墳||一辺56m||横穴式石室||7c前半||
|-
|宝塔山古墳||方墳||一辺66m||複室横穴式石室||7c中葉||国史跡
|-
|蛇穴山古墳||方墳||一辺44m||横穴式石室||7c後半||国史跡
|}
群馬県中部、榛名山東南麓・利根川西岸の前橋台地上に築造された古墳である。江戸時代に発掘され副葬品が出土しているほか、1967年(昭和42年)に実測調査が、近年に発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘は2段築成。墳丘長は89.9メートルを測り、総社古墳群では最大規模になる。墳丘外表では葺石・埴輪が認められる。また墳丘周囲には周濠が巡らされる。埋葬施設は後円部・前方部の基壇上における各1基の両袖式の横穴式石室で、いずれも南方向に開口する(現在は後円部石室は崩落)。後円部石室は群馬県内で最大級の規模の石室として注目されるほか、前方部石室は江戸時代に発掘され、優美な頭椎大刀の出土が知られる(現在は所在不明)。石室内からは、その他の副葬品として鉄刀・刀子・勾玉・鈴釧・須恵器(脚付長頸壺)などが出土している。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される。総社古墳群では王山古墳または王河原山古墳に後続し、愛宕山古墳に先行する時期に位置づけられる。総社古墳群では最大規模の古墳であり、総社地域が古代上毛野地方(上野国)の政治的・文化的中心となる過程を考察するうえで重要視される古墳になる。被葬者は明らかでないが、豊城入彦命(崇神天皇第一皇子)の墓とする伝承があり、かつて陵墓に治定された経緯がある。
古墳域は1927年(昭和2年)に国の史跡に指定されている

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