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斎山稲荷社(いつきやまいなりしゃ)

最終更新:Gloydius
基本情報
場所 北緯35度03分38秒, 東経136度55分26秒
カシミール3D

山の解説 - [出典:Wikipedia]

斎山稲荷社(いつきやまいなりしゃ)は、愛知県名古屋市緑区大高町の、斎山(いつきやま)と称される小丘陵上にある神社である。
祭神として宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)を祀る。
近隣の氷上姉子神社(熱田神宮境外摂社、名古屋市緑区大高町字火上山)の縁起である『氷上社本社末社神体本地』(1482年(文明14年))に「愛宕(あたご)」「軻遇突智命(かぐつちのみこと)」、本地仏として「虚空蔵」とあり、中世には氷上姉子神社の境内社として火神を祭っていたようである。『氷上山之図』(18世紀頃)には、往古にはこのあたりを「あたこ山」、「いつきの宮山」と呼んだこと、中古(中世)には「一騎山」、「取手山」とも呼ばれたことが記される。「一騎山」は「いつきやま」の宛字、「取手山」は斎山のすぐ東隣の尾根付近をいうが(大高町字取手山)、これを永禄年間に織田信長によって築かれたとされる氷上砦に比定する意見がある。ただし、氷上宮社務の久米吉長の手になる『家伝之書巻写』は景行天皇1月2日に死去した宮簀媛命が鳳凰の姿となって飛び立ったことが「鳳出山」(とりでやま)の名の由来になったともいう。榊原邦彦は、往古、皇女のうちから任ぜられた伊勢神宮の宮司を「斎宮(いつきのみや)」といい、これになぞらえて宮簀媛命もまた「斎宮」と称されたことから、宮簀媛命を祀る当社も「斎宮」と呼ばれたという。鎮座地の山も「斎宮山」と呼ばれたが、いつしか「宮」が抜けて「斎山」になったとされる。
寛永年間(1624年 - 1645年)に代官松原弥市右衛門の命を受けて氷上姉子神社境内地からはずれ、1641年(寛永18年)に神主であった山口長兵衛垂応(しげまさ)が稲荷社を勧請している。元禄年間(1688年 - 1704年)には社殿が造営されて、大いに崇敬者を集めたという。斎山(さいざん)稲荷、斎善(さいぜん)稲荷とも称される。なお、斎山の麓にも斎善稲荷社があったが別の宗教法人であり、現在はない。

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