記録ID: 3142778
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ハイキング
近畿
高野山 町石道上り
2021年05月04日(火) [日帰り]

体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 04:58
- 距離
- 21.2km
- 登り
- 1,254m
- 下り
- 507m
コースタイム
| 天候 | 快晴 風もなく、最高のトレッキング日和でした。 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2021年05月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路は、高野山 高野警察前からバスで高野山駅へケーブルカーを利用して、極楽橋駅から南海高野線 |
| コース状況/ 危険箇所等 |
20キロを超える行程ですが、道も整備され危険なところはありませんでした。 ぬかるみが1.2カ所あり、トレランの方々は苦労されてました。 かつらぎ観光協会 https://www.katsuragi-kanko.jp/heritage/michichoisimichi/ |
| その他周辺情報 | 高野山は、連休ということもあって、賑わっていました。 |
写真
弘法大師が慈尊院を開創した弘仁7年(816年)、その守り神として地元にゆかりのある丹生都比売・高野御子の二神を祀った神社です。社殿三棟は木造一間社春日造、桧皮葺、極彩色北面で重要文化財に指定されています。
道中の銭壺石
銭壺石(ぜんつぼいし)は、和歌山県九度山町の町石道沿い(156町石)にある。
鎌倉時代の文永2年(1265年)覚?(かくきょう)上人の発願により、20年という年月をかけて町石道が整備された。
整備作業の際、北条時宗の外戚である安達泰盛が、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせて与えたという伝承がある。
銭壺は上部がくびれているため、欲を出してたくさん銭をつかんでも、手が引っかかって取り出すことは出来ない。
そのため、大きな手の者でも小さな手の者でもつかめる銭の量は、大差なかったと言われている。
銭壺石(ぜんつぼいし)は、和歌山県九度山町の町石道沿い(156町石)にある。
鎌倉時代の文永2年(1265年)覚?(かくきょう)上人の発願により、20年という年月をかけて町石道が整備された。
整備作業の際、北条時宗の外戚である安達泰盛が、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせて与えたという伝承がある。
銭壺は上部がくびれているため、欲を出してたくさん銭をつかんでも、手が引っかかって取り出すことは出来ない。
そのため、大きな手の者でも小さな手の者でもつかめる銭の量は、大差なかったと言われている。
接待場
弘法大師空海の石像があり、この石像を拝むと遠く高野山奥の院の御廟を望むと言われています。毎年御影供に、村の有志(かつらぎ町教良寺区)の人たちが高野詣の人々に握り飯や湯茶の接待をしたことから、「接待場」と言い伝えられています。大正14年に南海高野線が高野下まで開通し、椎出・極楽橋間には高野登山自動車道が運行されたことに伴い、町石道を歩いて高野詣をする参拝者が激減しお接待も行われなくなりました。
弘法大師空海の石像があり、この石像を拝むと遠く高野山奥の院の御廟を望むと言われています。毎年御影供に、村の有志(かつらぎ町教良寺区)の人たちが高野詣の人々に握り飯や湯茶の接待をしたことから、「接待場」と言い伝えられています。大正14年に南海高野線が高野下まで開通し、椎出・極楽橋間には高野登山自動車道が運行されたことに伴い、町石道を歩いて高野詣をする参拝者が激減しお接待も行われなくなりました。
袈裟掛石
お大師様が袈裟を掛けられたと言われており、この石からは高野山の清浄結界となります。鞍のような形をしていることから「鞍掛石」、この石の下をくぐれば長生きするとも言い伝えられていることから「くぐり石」とも呼ばれています。
お大師様が袈裟を掛けられたと言われており、この石からは高野山の清浄結界となります。鞍のような形をしていることから「鞍掛石」、この石の下をくぐれば長生きするとも言い伝えられていることから「くぐり石」とも呼ばれています。
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ヒロ軍曹







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