小牧山
- GPS
- 02:03
- 距離
- 1.7km
- 登り
- 59m
- 下り
- 53m
コースタイム
- 山行
- 0:40
- 休憩
- 1:50
- 合計
- 2:30
山麓、山頂の2つの展示館合わせて100圓。子連れも多し。
下のは発掘成果と石垣技術説明と往年の想像模型がメイン。
上のは小牧城下町復元展示や出土品、小牧長久手の11分のジオラマ説明展示が
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
半日時間があき、恐る恐る車を運転して小牧へ。北から時計回りに土塁に囲まれた郭を歩く。土塁断面展示もある。家族連れが広場で歩いたり走ったりしている。
山麓の展示館では、この2004年以来の発掘成果を生かした石垣や本丸郭部分の模型あり。この発掘で、小牧城は日本の石垣城のさきがけであることが明らかになってきたという点が強調されている。
大手から直登コースで、山頂下のくねくねのとところが、信長こだわりの石垣迷路であろうか。今回発掘中の現場だが、きょうは休日で、作業無し。青シートかぶっていた。12月までやったら埋め戻す予定とのこと。
山頂模擬天守の展示は、小牧城下町の説明などが詳しく。二階には出土の土器、陶器類。それから小牧長久手の合戦絵巻ジオラマ10分強を二度再生する。子供の声がでかくて聞き取れない箇所があり。難聴なので。
屏風絵のレプリカと両軍武将の人相入り紹介図で、ようやく小牧長久手の戦いとは何かを理解した。小牧城の家康と、犬山城の秀吉が対峙していたのに、何故主戦場は長久手なのか?秀吉家臣の池田が家康本拠の岡崎をこっそり襲う策だったのに、その途上の長久手で見つかって対戦になったのだった。なーるほど。結局小牧城では激戦は無く終わったのだそうだ。やれやれ。秀吉は強い家来の池田恒興元助親子や森長可など何人もここでやられた。家康は四天王の本多忠勝、井伊直政、酒井忠次、榊原康政が名を挙げたとのこと。
山頂天守からは信長気分で北を見る。金華山、犬山城、尾張富士や終わり尾張本宮山が見える。御岳や白山、伊吹は雪雲の中だ。きょうは気温も下がり、北の天気は悪い。
小さい山だけど、見直した。展望が凄く良い。
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