記録ID: 3901586
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ハイキング
近畿
高野山町石道 九度山〜奥の院
2022年01月09日(日) [日帰り]

体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 05:12
- 距離
- 24.0km
- 登り
- 1,238m
- 下り
- 535m
コースタイム
| 天候 | 快晴 気温は、一桁台ですが風も無くハイキング日和でした。 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2022年01月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
復路 奥の院からバスで高野山駅、ケーブルカーで極楽橋 |
| コース状況/ 危険箇所等 |
コース全般に危険なところなし。矢立から登り、展望台を超えたところから残雪がありました。アイゼンを着装するほどではありません。 高野山町石道は、弘法大師・空海が高野山を開創した際、木製の卒塔婆を建てて道標とした表参道です。 弘法大師はこの道を通り、月に9度は山をおりて麓の慈尊院に滞在していた母のもとに通われたといわれ、現在の地名「九度山」の由来となりました。やがて、大師信仰の広まりとともに多くの人々が参拝に訪れるようになり、高野山へ通じる7つの道が開かれ、「高野七口」と呼ばれました。 中でも高野山町石道は主要参詣道として利用され、町石は単なる道標ではなく、参拝者が卒塔婆形町石に礼拝をしながら山上を目指したことを今に伝えています。 |
写真
この奥に180町石があります。
町石道
慈尊院から高野山へ通じる180本の町石が続く参詣道を高野山町石道といいます。弘法大師が高野山開山の際、木製の卒塔婆を建て道しるべとした道で、鎌倉時代には、朽ちた木製の代わりに覚きょう上人の発願により、20年の歳月をかけて石像の五輪塔形の町石が1町(109m)ごとに建てられました。古い昔から、この道は高野山参詣の表参道として、多くの皇族や武士たちが登っていきました。今も、たくさんの方々が遠い昔の思いとともに、この道を登っていきます。
町石道
慈尊院から高野山へ通じる180本の町石が続く参詣道を高野山町石道といいます。弘法大師が高野山開山の際、木製の卒塔婆を建て道しるべとした道で、鎌倉時代には、朽ちた木製の代わりに覚きょう上人の発願により、20年の歳月をかけて石像の五輪塔形の町石が1町(109m)ごとに建てられました。古い昔から、この道は高野山参詣の表参道として、多くの皇族や武士たちが登っていきました。今も、たくさんの方々が遠い昔の思いとともに、この道を登っていきます。
180町 町石道ここから始まります。
五輪塔 宇宙を形成する物質は、「空」「風」「火」「水」「地」の5つの要素によりなると、仏教では考えられています。この5つの構成要素を「宝珠」「半月」「笠」「円」「方形」にかたどったものが五輪塔です。それぞれの部分に5つの要素を意味する梵字(サンスクリット語)が刻まれています。
五輪塔 宇宙を形成する物質は、「空」「風」「火」「水」「地」の5つの要素によりなると、仏教では考えられています。この5つの構成要素を「宝珠」「半月」「笠」「円」「方形」にかたどったものが五輪塔です。それぞれの部分に5つの要素を意味する梵字(サンスクリット語)が刻まれています。
展望台 紀ノ川を望む
慈尊院から急な上り坂を徒歩で1時間ほど登ってきた、町石道から少し外れた所に、紀の川平野を一望できる展望台があります。九度山町だけでなく、橋本市、かつらぎ町、高野山を見渡せるその絶景ポイントは、和歌山「朝日・夕日百選(このポイントは朝日で選定されています。)」に選ばれています。
慈尊院から急な上り坂を徒歩で1時間ほど登ってきた、町石道から少し外れた所に、紀の川平野を一望できる展望台があります。九度山町だけでなく、橋本市、かつらぎ町、高野山を見渡せるその絶景ポイントは、和歌山「朝日・夕日百選(このポイントは朝日で選定されています。)」に選ばれています。
弘仁10年(819年)5月3日、丹生明神・高野明神を空海が高野山に勧請した時、木材で建立したといいます。
現在の石造りになったのは慶安2年(1649年)5月といわれます。この鳥居のそばに120町石が立っていますが、これより高野山までの町石道は祈りの聖道と言われ、まわりの木立の伐採も禁じられていました。
昔から高野山への参拝者は、ここから丹生都比売神社に参拝しました。
現在の石造りになったのは慶安2年(1649年)5月といわれます。この鳥居のそばに120町石が立っていますが、これより高野山までの町石道は祈りの聖道と言われ、まわりの木立の伐採も禁じられていました。
昔から高野山への参拝者は、ここから丹生都比売神社に参拝しました。
神田地蔵堂 神田の一隅に町石道の近くに建つ地蔵堂は、平安、鎌倉時代の高野参詣の人々の休憩場として存在しました。お堂には、弘法大師、子安地蔵、後に応其上人も安置されました。
横笛が高野山で修行をした滝口入道を待った所と
伝えられています。
横笛が高野山で修行をした滝口入道を待った所と
伝えられています。
鏡石
表面が鏡のように平らなことから鏡石と呼ばれています。この石の角に座って真言(しんごん)を唱えると、願いが成就すると言われています。町石道では、この鏡石のほか、袈裟掛石と押上石が弘法大師の伝承を伝える三石として知られています。
表面が鏡のように平らなことから鏡石と呼ばれています。この石の角に座って真言(しんごん)を唱えると、願いが成就すると言われています。町石道では、この鏡石のほか、袈裟掛石と押上石が弘法大師の伝承を伝える三石として知られています。
大門
コース最後の急な坂を上りきると目前に現れる大門は、高野山の入口にそびえる朱塗りの総門。両脇には金剛力士像が安置されています。高さ25.1mの大門は一山の総門にふさわしく威風堂々とした門構えで、現在のものは1705年に再建されました。この付近は眺望もよく、四国や淡路の山々が見えることもあります。
コース最後の急な坂を上りきると目前に現れる大門は、高野山の入口にそびえる朱塗りの総門。両脇には金剛力士像が安置されています。高さ25.1mの大門は一山の総門にふさわしく威風堂々とした門構えで、現在のものは1705年に再建されました。この付近は眺望もよく、四国や淡路の山々が見えることもあります。
根本大塔
町石道の基点、根本大塔は、真言密教の根本道場のシンボルとして建てられました。高さ48.5mの朱塗りの多宝塔で、大塔内陣は曼荼羅の世界を立体的に表現しており、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した空海独自の立体曼荼羅となっています。
町石道の基点、根本大塔は、真言密教の根本道場のシンボルとして建てられました。高さ48.5mの朱塗りの多宝塔で、大塔内陣は曼荼羅の世界を立体的に表現しており、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した空海独自の立体曼荼羅となっています。
金剛峯寺
高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48.295坪の広大さと優雅さを有しています。
高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48.295坪の広大さと優雅さを有しています。
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ヒロ軍曹







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