土浦散策:予科練平和記念館~雄翔館~阿彌神社~亀城公園~土浦市博物館


- GPS
- 07:57
- 距離
- 15.5km
- 登り
- 28m
- 下り
- 27m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2025年08月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
もうすぐ終戦記念日。
終戦記念日に因んで、今年は、土浦市阿見町に行き、予科練生(海軍飛行予科練習生)の写真や訓練の様子などを見学してきました
▶︎予科練生はエリート集団
第一期予科練生は79名で、彼らは横須賀海軍航空隊から73倍の難関を乗り越えて選ばれた14~17歳の少年たち。
予科練生をクリアすると、次は飛行練習生に昇格します。
結局、終戦までの15年間に約24万人が入隊し、2万4千人が飛行練習生を経て戦地に赴きました。
なかには特別攻撃隊(特攻隊)として出撃した人もおり、戦死者は、飛行練習生の約8割の1万9千人でした。
▶︎志望動機
最初は経済面での動機がほとんど。
予科練の教育が始まった昭和5年は、世界も日本も大恐慌(昭和恐慌)であったため、仕事がなかった。
だから、若者達は学費がかからず、給料ももらえる予科練に新たなる道を見出した。
しかし、日中戦争や太平洋戦争が始まり、戦況が悪化してくると「国を守りたい」という動機を持つ者が増えてきた。
▶︎学んだ教科
予科練では、国語、漢文、数学、理化学、地理歴史、英語を学んだ。難易度は、現在の高等学校レベル。
数学や理化学に至っては、現在の大学1~2年のレベルだったという。
▶︎ 雄翔館
予科練の戦没者を慰霊した場所。
庭には山本五十六元帥の像がある。
当時、旧海軍では、大鑑巨砲が主流であり、航空機は補助的戦力に過ぎないとされていたが、山本は、航空機が有力な兵器になりうると考えた。
多くの手紙がある中、
18歳で亡くなった戦没者が母親に当てた手紙が泣けた。
「お母さん、きっと桜咲く靖國神社に
来て下さいね。さようなら」
こんな手紙を残されたら、泣き崩れてしまいそうだが、靖國神社は、日本兵にとって心の拠り所であったことがこの手紙の最後からも伺える。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する