祖母傾縦走

Ken
その他1人 - GPS
- 27:42
- 距離
- 39.4km
- 登り
- 3,739m
- 下り
- 3,738m
コースタイム
- 山行
- 5:53
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 7:08
- 山行
- 9:18
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 10:53
| 天候 | 晴れ、曇り |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
古祖母山〜祖母山にハシゴ、大障子岩より手前に『鹿の背』、大障子岩以降に緊張する急斜面のトラバースや岩登りなど |
写真
感想
九州屈指の縦走路と名高い祖母傾縦走路を歩いてきました。
コース定数は97であり、自分の数少ない縦走経験である屋久島やパノラマ銀座(蝶ヶ岳以外)のコース定数が59であることを考えるとなかなかに厳しい挑戦でした。
熊本市内から登山口までは2時間半かかるので、九折登山口から車で30分のLAMP豊後大野に前泊しました。サウナを売りにしている宿ですが、今回はパス。豊後大野市緒方町には尾平鉱山という錫鉱山があり、江戸時代には寛永通宝の鋳造所が設置され、1959年まで採鉱が行われていたらしいです。その影響で昔は集落があったという。LAMP豊後大野は当時存在していた小学校を改築して作られた建物らしく、内装からもなんとなくそれを感じられました。一方で鉱山には公害問題がつきもので、閉山後も坑廃水の処理作業は半永久的に行う必要があり、九折登山口には現在も稼働していると思われる処理施設らしき建物がありました。
祖母・傾・大崩山系には山のグレーディングが設定されており、難易度AからDまでの登山道が存在しています。事前に難易度Cの区間を通過する日が雨になるのは良くないと考えて、日程を調整しました。結果的に1度も雨に降られることなく完走することができました。今回の山行がうまくいった原因の1つだと考えています。
1日目はひたすら急登が続きました。傾山までひたすら登り、それを越えて九折越避難小屋で宿泊しました。途中に三ツ坊主分岐がありますが、そのコースは登山道の崩落が激しいとのことだったので、水場コースを選択しました。傾山と言えば『吉作落とし』の昔話の舞台となった山ですが、同名の岩峰が三ツ坊主コースからは見えるようです。行かないけど。
九折越避難小屋に泊まったのは自分たちだけで、蛾が夜飛び回ると眠れないというバディの意向で蛾を追い出したり、埃っぽい床を掃除したりしながら、時間を潰しました。5〜10分ほど歩いた場所に水場がありましたが、か細く落ちるのみで、ここで汲むのは諦めました。夜は寒かったのですが、それでも3〜5℃程度で、屋根と壁のある場所で眠ることができる有り難さを感じました。今回の山行のために-15℃まで耐えられるという寝袋を購入したのですが、とても暖かく、買って正解でした。また、これは3日目に感じることなのですが、いつもよりも多めに食料を持って行っており、そのおかげで空腹をほとんど感じることなく山行を終えることができました。これも完走できた原因だと考えています。自分に合った携行食を見つけるのは縦走の楽しみの1つですが、今回持ってきたネオレーズンパン(を押し固めたやつ)は正解でした。バター(マーガリン?)が美味しかったです。パンを持っていくというのは今後の定番になりそうです。
2日目は長い長い稜線歩きが続きました。最初こそ、美しい紅葉の景色と明日歩くであろう縦走路を右手に見ながら楽しく歩きましたが、15kmもある行程では後半はさすがに飽きてきました。途中には幾つかの分岐があり、それぞれの登山口へと繋がっていました。また古い地蔵もあり、見るとなんと寛永通宝が供えてありました。もし、これが当時のものだとすると300〜400年前からこの地蔵はここに存在し、人が通っていたのだと考えられます。今までどれだけの人がこの道を歩き、自分は何番目なのだろう。この道はどういう歴史を見てきたのだろう、と想いを馳せました。登山道に過去の人々が現れて、歩くたびに土が踏み固められていく様子が目に浮かぶようでした。古祖母山に向かう途中に水場は2つありましたが、本谷山に近い方は、ポタポタという様子で当てにできず、柵を開けていく水場はよく出ていましたが、沈殿物が気になりました。古祖母山からは九重が見えました。大きかったです。雲海の影響で天空に浮かぶ巨大な陸塊のような印象を受けました。次に向かう障子岳では今回の山行で初めてすれ違う登山者と少し話をしました。ポッキーの日だったのでポッキーをいただきました。そしてここで携帯の充電が切れました。電波が入ると山でもLINEやInstagramを見てしまうという有様なので充電が減っていきやすいのだと思います。これはもう仕方ないです。今回はモバイルバッテリーを20000mAhを2つ持ってきていましたが、結果的に1つを使ったのみでした。障子岳を降りて、祖母山に向かいましたが、そこで待っていたのは密集した梯子とロープ場、岩場でした。前に1度祖母山に登ったことはあるのですが、こんなコースがあったとは。今回の山行ほど3点支持を意識した山行は無かったです。しかしアドレナリンが出ていたのでしょうか、意外にもすんなり進むことができて、高度感も感じることはなかったです。山行中、たまに休憩すると視界がすっとひらけていき、休憩前の自分がいかに視界が狭くなっていたかを実感する瞬間がありますが、この視界が狭まるという現象は、人間が高い場所で高度による恐怖を感じることなく動けるようになるための仕組みなのかもしれないと感じました。とはいえ怖いのは怖いのですが。祖母山に登るとすぐに祖母山9合目避難小屋に到着しました。
祖母山9合目避難小屋は2018年まで営業していたようで、設備は他の避難小屋とは一線を画しており、トイレ、水場はもちろん、毛布、本、薪ストーブ、さらにはこたつ、bluetooth対応スピーカーなどもありました。太陽光パネルまで備えた最高の宿でした。本棚に置かれている本も自分好みでブルーバックスから思想書、そしてもちろん『山と渓谷』などが置かれていました。2階もあり、端の方にもこっそりと雑誌が置かれていました。営業小屋というのは燕山荘にしか泊まったことがないのですが、小屋巡りも楽しそうだなと思いました。また来たいと思わせる避難小屋でした。その日は先客の方々と一緒に食事をとり、床につきました。ちなみに水場はじゃぶじゃぶで、味も美味かったです。小屋にある水道は飲用ではないので注意。
3日目は今回の山行の山場です。大障子岩〜障子岩の区間、およびその手前は難易度Cで、岩場や急斜面のトラバース、激下りなど緊張を強いる箇所が多かったです。最初の大障子岩の手前の『鹿の背』はどちらに滑っても命を落とす岩場でしたが、思いの外、下が見えなかったのと、足や手をかける場所がしっかりあったので、ここも緊張こそしましたが、通過できました。一度躓いたときは多少焦りましたが、肝を冷やすというよりは、瞬時に何事もなかったという安心感を感じたのが意外で面白かったです。その後は1時間半程度にわたり、険しめの区間が続き、その後はひたすら激下りでした。とにかく滑るのが怖くて、ひたすらゆっくり、慎重に降りました。バディは飄々と降っていましたが…
下山後は車道を1時間ほど歩いて九折登山口に到着しました。帰りのコンビニで僕は肉まんを食べました。下山飯は近所にある定食屋。実家のような安心感で、癒されました。美味かった。唇が日焼けと乾燥でパリパリで痛かったので次はリップクリーム的なやつを持って行きます。
最後に、今回の祖母傾縦走を完走できたのはバディが一緒に歩いてくれたからです。道中でも小屋でも元気をもらっていました。難所を想像よりも容易に通過できたのも彼のおかげです。膝が痛いだの、腹が減っただの、僕はぼやいていましたが、よくぞ耐えてくれたと思う。ありがとう。有名な山域なら1人で登るのもいろいろ出会いもあって楽しいけど、こういうキツい山行は気の知れた仲間と登るのが僕には良いと思いました。
今回の山行では、今後の自分がどういう登山をしていくかを考えさせられました。多分今回の山行を超えるキツさの山行はそうそう無いのだと思います。長野県のグレーディングを見ても、コース定数はほとんど97以下でした。テントを担ぐとまた負荷が上がるのかも知れませんし、キツいコースなんていくらでも作れるのでしょうけれど。それにこれからの季節、冬山に手を出せばまた1つレベルの違う難易度が現れるのだと思いますが、一旦はキャンプとか、したいです。ゆっくり自然を楽しみたい。他にも新たに見つけた楽しみ方として、山行を通して人と自然との関わりの歴史に想いを馳せるのも悪くないと感じました。今回は、登山道上にあった地蔵や廃屋、苔むした石垣を発見するなどして、人々が山を切り開き、栄え、そして生活の痕跡が自然へと消えていく様を見ました。その過程は寂しくもありますが、いずれはどの文明も到達するであろう未来を見ているようで興味深くもあります。山に向かうときは、徐々に道が険しく狭くなり、集落が消えてゆき、道路は苔に覆われ、トンネルやダムといった最低限のインフラとその整備のための施設、そして林業関係の施設しかなくなります。しかし山に入ると、一見ありのままの自然のようですが、ところどころに人間の痕跡を見つけることができます。登山道もその1つですが、石垣や錆びて朽ち果てたドラム缶などにも感じることができます。結局自分は山で人間を感じたいのだと気づきました。所詮は登山道としてよく整備されている区間を歩いただけで、何をたいそうなことを宣っているのだと思われても仕方ありませんが、個人的にはそういう気づきが登山の面白さだと言えると考えます。山を離れると廃屋だらけだった登山口付近の集落から一変、人が住む地域に移り、道路が広くなり、信号機が現れ、コンビニが現れる。このような文明の勾配をもっと見たいと思いました。
いつも通り、いろいろ語ってしまいました。この冬はキャンプ、山行をやったとしても樹氷を見る日帰り登山くらい。徐々に装備も揃ってきました。夏山装備を揃えたら、冬靴に12本爪アイゼン、ピッケル、などを揃える日も来るのでしょうか。
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