記録ID: 8966865
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ハイキング
近畿
旧東海道歩き、桑名宿〜四日市宿(JR朝日駅〜四日市駅)
2025年11月21日(金) [日帰り]

体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 06:12
- 距離
- 10.9km
- 登り
- 6m
- 下り
- 5m
コースタイム
| 天候 | 晴れ時々曇り、昼から気温18℃くらいのポカポカ陽気でした(^^) |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
問題ありません |
写真
鏡ヶ池(笠取池)跡地。地元の言い伝えによると、聖武天皇が天平12年(740)に行幸された際に当地で笠を風で飛ばされ、村の娘が拾って差し上げた。それが縁で当地に宿泊、翌朝見送りの時、鏡のような池の上に馬上の天皇と見送る娘の姿が一幅の絵になったとの事です
八幡神社址。弘安二年(1279)冨田地頭佐原豊前守政盛により八幡大菩薩が勧請され、それが当社の起源です。かつては冨田立場の西端が八幡の森で、昼でも暗く鬱蒼と樹木が繁っていたようです
冨松山蓮光寺跡、冨田城主南部家所縁の寺。寛正元年(1460)三代城主頼武が、大矢知村青木谷に光明寺を再興したが、永禄十二年(1569)戦火で城が焼け落ちた。その後、七代忠次の長男兼治が蓮光寺の前身、南部堂を建てた。蓮光寺は平成十年に茂福の地に移築されました。
明治天皇御駐輦跡。明治元年(1868)車駕にて京都から東京に向かう途中、この地にて小休されました。冨田の焼き蛤もご賞味され、その後も3回立寄っているそうです。美味しかったんでしょうかね(^.^)
明治35年(1902)に建てられた常夜燈。おそらくそれ以前のものから建て替えられてます。昔、この辺りは家も無い寂しい場所で追い剥ぎも出没したらしく、常夜燈は旅人にとって大きな存在でした
八幡地蔵堂と旧八幡神社。江戸時代の旅人は道中の安全や延命を祈願したので延命地蔵とも云われる。かつては八幡常夜燈の向かい側にあったが、昭和四年(1929)にこの地に移築されました。
川原津の松。昭和13年(1938)国道1号線ができるまでは幹線道路として人の往来が多く、戦前は松並木の景観も残っていたようですが、戦後経済が発展するにつれ松も減っていき、今はこの松と日永地区の2本しか残っていません
志氐神社、鳥居は享保18年(1733)、右端の灯籠は文政元年(1818)、その左の灯籠は天保11年(1840)に創建されました。灯籠の場所には江戸時代、高札場があり村の中心でした
感想
街道筋を歩くとやはり古い家屋や老舗が多く歴史を感じます。一方で朽ちた空き家(らしき家屋)もあり歴史を感じるだけでは済まされない現実もあることを認識させられます。我が身を振り返って世の中に迷惑をかけないよう心がけていきたいと思いました。
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