記録ID: 9035779
全員に公開
ハイキング
日光・那須・筑波
筑波山の秘密(元祖出会い系の山)
2025年12月06日(土) [日帰り]

体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 05:12
- 距離
- 8.7km
- 登り
- 833m
- 下り
- 835m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:44
- 休憩
- 1:28
- 合計
- 5:12
距離 8.7km
登り 814m
下り 816m
8:48
4分
スタート地点
14:00
ゴール地点
| 天候 | 晴れのち曇り |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年12月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
大変整備されており、頭がさがります。 |
写真
本日は筑波山の観光登山です。私の最近レコにあるように修行山行や怪奇現象の山行に疲れたので、まったり観光ハイキングの予定でした。
ところが、筑波山には驚くべき男女交流の歴史があり、意外な発見があったので山行を記録します。
ところが、筑波山には驚くべき男女交流の歴史があり、意外な発見があったので山行を記録します。
本日は、筑波山神社から白雲橋コースで女体山に登り、男体山に寄ってから、御幸ヶ原コースで下山の予定です。
筑波山は女体山・男体山の双耳峰ですが、双耳峰として女体・男体の名前がついている山は、調べた限り筑波山だけでした。
筑波山は女体山・男体山の双耳峰ですが、双耳峰として女体・男体の名前がついている山は、調べた限り筑波山だけでした。
観光案内所のバス亭から歩いていくと、筑波山神社の大鳥居が出現。
筑波山神社公式サイトの由緒によると、男体山はイザナギノミコト、女体山はイザナミノミコトの夫婦の神様を祀っており、 山そのものが「男女神の神体」としているのが特徴で、「縁結び・夫婦和合・子授け」などのご利益という。
筑波山神社公式サイトの由緒によると、男体山はイザナギノミコト、女体山はイザナミノミコトの夫婦の神様を祀っており、 山そのものが「男女神の神体」としているのが特徴で、「縁結び・夫婦和合・子授け」などのご利益という。
筑波山神社までの道すがら、亀の井ホテルの趣向を凝らした玄関が見えてきた。拝殿的意匠を見ると、男体山社殿よりも女体山の社殿に近い。千鳥破風、勾配の強い屋根、そして神域を象徴する社殿的構成がその特徴。
白蛇弁天の祠に到着。蛇なので男性神のアイコンかと思ったが、白蛇は女性神の依代(よりしろ)ということであった。
広義には、性・生殖の象徴であるという。
民族研究の第一人者折口信夫によれば、筑波山は「歌垣(うたがき、かがひ)」といわれる村が主導する「男女交流の場」が奈良時代から江戸時代まであったという。
婚姻前の自由な求愛の場=複数交際を許容する文化圏であったという。
広義には、性・生殖の象徴であるという。
民族研究の第一人者折口信夫によれば、筑波山は「歌垣(うたがき、かがひ)」といわれる村が主導する「男女交流の場」が奈良時代から江戸時代まであったという。
婚姻前の自由な求愛の場=複数交際を許容する文化圏であったという。
これは乱交ではなく、共同体が統制する婚姻・交際の出会いシステムであった。
「常陸国風土記」には、筑波山での男女の艶やかな交流が、国中から若者が集まる場として描かれている。
筑波山の「歌垣」は、正統な出会い系サイトであり、「恋愛・性・婚姻のハブ」として特に有名であったという。
みなさんは、この意外な歴史をご存じだったろうか。
「常陸国風土記」には、筑波山での男女の艶やかな交流が、国中から若者が集まる場として描かれている。
筑波山の「歌垣」は、正統な出会い系サイトであり、「恋愛・性・婚姻のハブ」として特に有名であったという。
みなさんは、この意外な歴史をご存じだったろうか。
「弁慶の七戻」という奇岩が現れる。
この弁慶の逸話は後世的な民間伝承である。
「七戻」の「七」は女性に関わる忌避数であり、産後七日、七日籠り、七日参りなど、「七戻」は「女性の忌地=結界」の象徴であったという。
この弁慶の逸話は後世的な民間伝承である。
「七戻」の「七」は女性に関わる忌避数であり、産後七日、七日籠り、七日参りなど、「七戻」は「女性の忌地=結界」の象徴であったという。
筑波山の祭祀は、性の解放・生産力祈願という文化を持つ山であり、「男女の境界」「性の禁忌」「通過儀礼」が重層化された「七戻り」なのであるという。
女体山は「女性の身体」を象徴する山として古代から理解され、「女体の領域」は、男性側にとって「入りにくい」「恐れを抱く」領域という文化的構造の「七戻り」であったとされる。
女体山は「女性の身体」を象徴する山として古代から理解され、「女体の領域」は、男性側にとって「入りにくい」「恐れを抱く」領域という文化的構造の「七戻り」であったとされる。
奇岩の狭いところを登っていくと岩屋の稲村神社がある。天照大神(アマテラスオオミカミ)が祀られている。
ところで、皆さんは天照大神が女性神だという事をご存じだろうか?
わが国の伝統的な神道の最高位に女性神が立つという事は、世界的にも非常に稀な構造である。
ところで、皆さんは天照大神が女性神だという事をご存じだろうか?
わが国の伝統的な神道の最高位に女性神が立つという事は、世界的にも非常に稀な構造である。
そうして「胎内潜り」である。
女体山では、文字通り「生まれる力が可視化される」という「生の力が高まる場」の儀礼であるという。
他の山の胎内くぐりは「みそぎ」とか「死と再生」の象徴のことが多いが、女体山では文字通りの胎内子宮なのである。
女体山では、文字通り「生まれる力が可視化される」という「生の力が高まる場」の儀礼であるという。
他の山の胎内くぐりは「みそぎ」とか「死と再生」の象徴のことが多いが、女体山では文字通りの胎内子宮なのである。
「出船入船」の奇岩。
胎内を出た後に「入船」が現れるのは偶然ではなく、日本の古い信仰では、生命は海から来るという観念が強く、神々を「船で来るもの(来臨神)」として表現する例が多い。
例えば、天照大神が天の岩戸後に舟で移動する神話などである。
胎内を出た後に「入船」が現れるのは偶然ではなく、日本の古い信仰では、生命は海から来るという観念が強く、神々を「船で来るもの(来臨神)」として表現する例が多い。
例えば、天照大神が天の岩戸後に舟で移動する神話などである。
有名なガマ石である。
筑波山は「歌垣(うたがき)」といわれる村が主導する「男女交流の場」が奈良時代から江戸時代まであった。婚姻前の自由な求愛の場=複数交際を許容するこの出会い系の場であった。
それでは、この出会い系「歌垣」は、筑波山のどこで開催されていたのか。
ひとつは、山麓にある筑波ふれあいの里・夫女ヶ石とされている。
筑波山は「歌垣(うたがき)」といわれる村が主導する「男女交流の場」が奈良時代から江戸時代まであった。婚姻前の自由な求愛の場=複数交際を許容するこの出会い系の場であった。
それでは、この出会い系「歌垣」は、筑波山のどこで開催されていたのか。
ひとつは、山麓にある筑波ふれあいの里・夫女ヶ石とされている。
女体山と男体山の間にある平場「御幸ヶ原」で、婚姻前の求愛の場=複数交際の艶やかな宴が行われていたのではないだろうか。
そうして、明治政府が登場するのである。祭祀の国家管理として、近代化を邪魔する共同体ごとの古い風俗や「自由な交わり」を道徳に反するとして、これを抑圧したのであった。
そうして、明治政府が登場するのである。祭祀の国家管理として、近代化を邪魔する共同体ごとの古い風俗や「自由な交わり」を道徳に反するとして、これを抑圧したのであった。
御幸ヶ原で、大変なつかしいガマの油の口上が行われていた。
筑波山といえばガマの油であるが、明治政府はこれも取り締まった。風俗を乱す、無秩序を生むとして、全国的に「薬売り」、「口上売り」、「香具師の芸能」、「縁日の見世物」の取り締まりを行ったのである。
筑波山といえばガマの油であるが、明治政府はこれも取り締まった。風俗を乱す、無秩序を生むとして、全国的に「薬売り」、「口上売り」、「香具師の芸能」、「縁日の見世物」の取り締まりを行ったのである。
筑波神社に戻ってきました。
筑波山は、女体山と男体山という二峰そのものをご神体とする、きわめて特異な山域でした。
ここでは古代、「歌垣」という公開の男女の交わりの場が営まれ、共同体の規律と結びの秩序が形づくられてきました。
女体を中心とする古層の神観も重なり、山全体が生命と統合の象徴として機能してきたことがうかがえます。
そして明治政府による近代化政策は、歌垣をはじめ共同体の自由を取り締まる歴史でもありました。
筑波山は、女体山と男体山という二峰そのものをご神体とする、きわめて特異な山域でした。
ここでは古代、「歌垣」という公開の男女の交わりの場が営まれ、共同体の規律と結びの秩序が形づくられてきました。
女体を中心とする古層の神観も重なり、山全体が生命と統合の象徴として機能してきたことがうかがえます。
そして明治政府による近代化政策は、歌垣をはじめ共同体の自由を取り締まる歴史でもありました。
装備
| 個人装備 |
長袖シャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
飲料
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
ファーストエイドキット
日焼け止め
保険証
携帯
時計
タオル
ストック
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|---|
感想
筑波山は、女体山と男体山という二峰そのものをご神体とする、きわめて特異な山域でした。
ここでは古代、「歌垣」という公開の男女の交わりの場が営まれ、共同体の規律と結びの秩序が形づくられてきました。
女体を中心とする古層の神観も重なり、山全体が生命と統合の象徴として機能してきたことがうかがえます。
明治政府による近代化政策は、共同体のあらゆる自由を取り締まりました。
夫婦別姓の自由や、女性天皇を保守観点から反対する思想がありますが、わが国の古来の伝統では、もっと自由であったことを改めて認識した筑波山の山行となりました。
筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがわ) 恋ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる
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Dnasam









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