大峯奥駈雑感  今回図らずも行った大峯奥駈とは何だったのか。役行者が拓いたというこの歴史あるロングトレイルの位置づけは。 ●今回の奥駈(吉野⇒熊野本宮への逆峯) 合計時間:128時間0分 合計距離: 94.74km 最高点の標高: 1886m 最低点の標高: 48m 累積標高(上り): 6636m 累積標高(下り): 6851m  地図もない1300年も前に、本宮と吉野を繋ぐラインを見出した不思議さをまずは感じた。ワンデイではとても無理な百キロ近い距離な上に、鎖場等現代的な視点でも厳しい部分がある。また現地判断ではルートを外しそうな場所が二箇所ほどあり、地図を見てやっとこちらと判断が付く場面だった。鳥瞰図も地図もなくどのように判別したのか?  アフリカの人々にとっての『太鼓』がそうである様に、大峯奥駈道とは世界の中心を知りまたソレを取り戻すための手段だったのではないか。自分とは、家族とは、友人知人とは、またそれら繋がりや、意味は。  神とは、人間の知恵から生まれた存在ではないか。「神なんて存在しない」と言い切るのは答え半分であって、世界各地で自然発生的に生じた宗教や神の存在は、人が謙虚に、思慮深く生き、協調して困難を乗り越えるための処世術とは言えまいか。いや、神様は確かに存在して人を幸福に導く間違いのない立場のものである、とも人は言う。  今回の奥駈を通して、覚醒するような機会こそなかったし、それならむしろトレランの方が精神が野生化する瞬間は多く有る気がする。歩きながら沈思黙考、悟りの境地に至ることもなくいやそんな余裕も余り無い六日間だったがそれでも普段の山歩きとは違った感覚を得たのは確かなことだ。  今となっては思い出せない11拍子の不思議な音楽が苦しい登高中に流れたり、過去の旅行中に観たワンシーン、そして登山、海外遡行の記憶、心安く思う友人知人達の顔、世話になった人たち、、、、。  イニシエ人は鳥のさえずりや風の唸り、渓流の音から音楽作曲のアイデアを得たり、ひん曲がった樹木や妙な形の岩石や山の型から絵画やデザインの意匠を得たり引いたのではなかろうか?  昨春歩いた中辺路(大雲・小雲取越え)でも感じたが、ゴミが全くと言って落ちていない(しかし、トレランマンは実によく落とし物をする)。それとは別の意味で、清潔な空間が保たれている。中辺路で擦れ違う殆どの人がウェスタンであったことを思えば今回の大峯奥駈道ではその手の海外からのツーリストに会うことは無かったが、真に歩いて欲しいのはこちらである。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を歩き通す過酷さは知らないけれど(イベリア半島部分だけでも800q!)共に過酷なことは違いない。歩き通した後に感じるところは多い。  女人結界があるため女性には叶わない今回の奥駈だが、このようなキツイ修業は男が果たすべき仕事?として託すことがかつての習わしだったと解釈したがどうだろう。  今朝もまた太陽が昇り、手を合わせて出発する。これは当たり前のことではなく、大変有り難いことに感じられる。殊、世界に蔓延しつつあるコロナウィルスの支配下でこれまで当たり前だった常識すら揺らぎかねない昨今である。山に居た六日間の内、下界と接しない中四日間が貴い。山の空気を吸い、山に湧く水を体に取り込んで身体を動かして移動し、目にしたことのない歴史滲みた風景や出来事を通過し、経験を積み重ねてゆく。時には避けて通りたいような経験や他人も含めて、それら知見や知識を積み重ねて知恵を得てゆく。靡(なびき)をはじめとする遺構に出くわす度毎に自然、両の手が合わさって祈る形となったがこれは何に因る行為なのか。感謝の気持ちもある。今回の歩行中、何十回と現れる登り返しを目の前にして度々口を突いて出たのは家内や子供たちの名前だった。果たしてこれは何を意味するのか。  順峯(ジュンブ)でもう一度やるか、と問われればもう結構、と思う。今回擦れ違った山伏蕎麦氏は5度目?と聞いた。新宮山彦ぐるうぷの尽力で、南部の縦走路上では宿泊の環境が整っており、単なる縦走登山としてはやり易い方だろう。だが、しかし、、、、キツかった。ほとぼりが冷めたらまた思い直すことがあるか。  50歳を迎えたばかりのこのタイミングで実践できたことに自身、意味多くあったと感じた。  「危険を冒そうととしない人に、人生はごく僅かな景色しか見せてくれない」と言ったのは映画監督のシドニー・ポアチエだったか。         【20200505】