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NIKON CORPORATION NIKON D3X

NIKON D3X
製品情報
メーカー NIKON CORPORATION
このカメラで撮影した写真
明治初期の更級郡信級村絵図。地図の下の方に字長者、字中切の文字がある。
明治初期の小県郡新張(みはり)村絵図。村境(県境)は駕篭ノ塔山(篭ノ登山)から地蔵峠に向かって真っ直ぐ伸び湯ノ丸山まで続いています。新張村は明治22年に合併で祢津村になっています。 地蔵峠の北側にある旧鹿沢温泉一帯は古くは祢津村分でしたが明暦2(1656)年に大笹村との境界紛争が起こり、元禄14(1701)年の幕府の裁定では大笹村の主張が認められ、篭ノ登山から地蔵峠を横切り湯ノ丸山の峰続きまでが境界とされました。しかし入会権と鹿沢温泉の所有は祢津村に認められていたそうです(『信州百峠』より引用)
明治初期の更級郡信級村絵図。右側に字天狗峯とあり山が描かれている。その下には字岩下とある。字毎にお社がたくさんありますね。
明治初期の下水内郡北信村の絵図。天水山は桉婆山(長野県町村誌では桉婆ヶ峯)と記されていて登路があります。三法山と三坂山という名前の山が記されているが、現在の三方岳は絵図では位置的に三坂山の辺りのように見えます。
明治初期の永江村(現中野市永江)絵図。下(南)に字大持平、字熊坂一、字熊坂ニ、字大平の文字が見えます(赤丸で囲んだ場所)。斑尾山は絵図の一番上(北)に「斑山」と記されています。長範山(別名「熊坂山」)は永江村にはなく、越後(新潟県)との県境の熊坂村(現信濃町野尻)にあります。
100年くらい前に建った 教会です。 街の建物は500年以上経っている 物がほとんどなので フィレンツェでは新築に近い(笑)
明治初期の下高井郡夜間瀬村絵図。右側の凡例の上あたりに「臂出」の文字があります。その上には「龍王」とあります。五輪山は同郡平隠村ですが、絵図に山の名前はありません。
志賀・草津・四阿山・浅間 2025年05月20日 五輪山・臂出山
明治初期の北佐久郡発地村絵図。絵図の上に八風山、左に押立山の記載があります。
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