UTMF 156km(2012):43時間のトレイルラン


- GPS
- --:--
- 距離
- 147km
- 登り
- 6,873m
- 下り
- 6,876m
コースタイム
15:00 河口湖大池公園出発 → 17:04 富士吉田工業団地 17:09 → 18:28 杓子山 → 20:02 二十曲峠 20:35
→ 21:27 山中湖きらら 21:57 → 0:48 すばしり 1:41 → 3:20 富士山御殿場口太郎坊 3:49 → 4:38 水塚ヶ塚公園 5:20
→ 6:40 富士山こどもの国 7:53 → 10:01 北山 10:11 → 11:55 西富士中学校 15:31 → 19:45 熊森山 20:10
→ 3:41 本栖湖スポーツセンター 6:04 → 7:44 鳴沢氷穴 → 10:00 河口湖大池公園帰着
備考:各エイドで数十分の休憩、西富士中学校と本栖湖スポーツセンターで仮眠(休憩:延べ10時間以上)。
注意:今回GPSロガーの電池切れにより一部データが落ちてしまったためhigashino9さんのデータを許可を得て拝借してます。
higashino9さん、感謝です+お疲れでした(メチャ早い!)。
天候 | 晴れ時々曇り 5/19未明は摂氏5℃まで冷え込みました。夜間休息時には薄手のダウンジャケットがあっても十分でした。 |
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過去天気図(気象庁) | 2012年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
大会オフィシャルサイト:http://www.ultratrailmtfuji.com/ 大会開会式(動画):http://www.ustream.tv/recorded/22663193 夜間行動だった事もあり、長者ヶ岳から端足峠までの下りは足場に注意が必要でした(特に雨ヶ岳からの下り)。長者ヶ岳から熊守山周辺は険しい細尾根道が続き、毛無山から端足峠までの下り(急坂)はひどくぬかるんで滑りました。高度差こそ少なめですが、アップダウンは激しくキタタン並みでした。相当の人数が一度に行動していたので、当日雨が本降りになっていたらかなり危険だったのではないかと思います。 また、この大会には富士山が欠かせませんが、最も眺めの良い山中湖の石割山周辺と本栖湖の竜ヶ岳にて夜間行動となり展望が得られなかったのが惜しいところです。 今回の大会は、エイド間の体調管理に気を配り行動しました。エイドに関しては、各ポイントで軽く食事ができるようになってました。各エイドにより食事は異なりますが、今回は地元特産品がメインでした。(STYの場合、エイドステーション(AS)は「西富士中学校」と「本栖湖スポーツセンター」のみ)また、富士山こどもの国では、あらかじめ70x50cmの大会専用のビニール袋に荷物を預ける事ができ「ドロップバッグ」として個人的に補給できました(ただしUTMFのみ)。サポートの無い選手にとっては、「ドロップバック」が唯一のプライベート補給となります。 その他アドバイス: ・かなりの長距離となりますので、物理面・精神面からサポートを付けて参加すべきだと思います。 サポートが無いと携帯する装備が増えるだけでなく、特に余裕の無くなってくる終盤 集中力にも影響してきます。 ・コーラと温かいスープ。特に、初日夜はコーラで余勢がついたと思います。 ただし、コーラは疲労した内臓にとって刺激物となりますので体調を見ながら摂る必要があります。 ・この記録の様に完走狙いの方は、エイドで十分休憩してください。不眠不休が基本となるので、時には仮眠も必要です。 (仮眠は「すばしり」「西富士中学校」「本栖湖スポーツセンター」で利用できました)当然の事ですが、各エイドでの小休憩時間にあわせて仮眠時間もあらかじめ行動時間に組み込む計画性が必要です。ここで頑張れば次があるというのではなく、一区間ごとに食事と脚を大切にし最後のゴールに繋げてください。無理は禁物です。 今後の大会開催に向けた課題(個人的意見): ・エイド食および熊森山山頂での水の確保(一部では後続選手まで十分行き渡りませんでした) ・エイドシステムの見直し(エイドによって異なる利用手順・利用内容に関し一長一短あり) ・リタイヤ者の確保および運送方法(特に天子山塊稜線上での対応方法) ・大会ルール上の必須装備品目およびスタート・西富士中での装備チェックの管理方法 ・選手サポーターに対する情報提供方法(サポーターへの事前情報提供が少なかった) ・大会会場およびエイドステーションの運営方法と活用方法 |
写真
感想
UTMF(Ultra-Trail Mt. Fuji)、この大会にもともと参加する計画はありませんでした。
折りしも最初の募集が掛かったのが2年前の事。当時は、UTMFなど恐れ多くその前にまづ道志村トレイルレースをガンバって完走してからという思いがありました。
実際、開催時期も道志村トレイルレースとほぼかぶっていたので、躊躇なく道志村トレイルレースを選択しました。もともと、UTMFを完走できる器量があるとすら考えてなかったのです。
それが、昨年の震災により大会延期となり、更に昨年末に参加者再募集の告示がありました。2011年はトレランの大会に明け暮れた時期でもあり、少しばかりの自信がつき始めた頃です。その時にはUTMBのドキュメンタリーやらトップ選手と話をして、この大会にかなり影響を受けており、再募集がずっと気になり続けてました。
世界のトップクラスも参加するこの大会を自分もできれば体験したいと思うようになってました。どうせ、抽選から外れるだろうと半ば思い込んで応募したのが昨年11月末。それがこの大会の全ての始まりでした。
このUTMFはスタートした瞬間から、何かこれまでとまったく異なる雰囲気を感じました。まづ、外国人選手が多い事。しかも、アジアだけでなく欧米からのトップ選手も多く参加してました。また、100km以上の大会に初参加だからかもしれませんが、ペース配分がかなり緩やかだった事です。これまで最長で道志村トレイルレースや北丹沢12時間山岳耐久レースにしか参加したことのない自分にはとても新鮮でした。
そういった意味で、序盤はある意味早すぎたと思います。第一エイドの富士吉田工業団地までの所要時間は2時間少々。自分で設定したタイムを大幅に上回るものでした。一瞬「アレッ?」と思う瞬間もありましたが、やはりその後思い知らされます。
第一エイド過ぎまでは、小川比登美さんの後にぴったりついていきましたが、その後の杓子山への上り返しでどんどん距離が離れていきます。それどころか、多くの選手に抜かされました。杓子山山頂到着は、日没直前で辛くも行き着けたという感じでした。
しかし、これが良かったと思います。その瞬間から背伸びして先を急ぐ事を完全に止めました。そして、ハセツネ完走狙いの選手の話を思い出しました。つまりこうです。ハセツネで何より完走を目指す一般参加者であるならば、下手なペースで先を目指すよりもいかに休息をうまく利用しながら体力温存しゴールに繋げられるかが重要になるそうです。聞いた話では、途中効率良く眠ったり食事した方が最終的には全体をうまくまとめられるという事でした。以降、この考えを徹底的に守り実践に移していきます。心肺への負荷を様子見ながら自分のペースに見合った選手をペーサーとして活用し、時には追い越しつつマイペースを守りました。このスタイルに切り替えた時、自分にとって幸運だったのは、序盤のハイペースで得られた蓄えを、その後の時間的な貯金として充てることができた事です。(当初の計画では、ポイントごとの行動時間に対し十分な休憩時間が加味できてませんでした)
ここで、今回の大会に欠かせない仲間がお二人。同じヤマレコのPatagonianさんとPatakoさんです。お二人には今回無理行って、金曜夜からサポート役として山中湖からゴールまでアシストいただきました。特に、Patagonianさんは第一エイドで電話した時点ではまだ仕事で東京でした。とにかく、終わってみて確実に言えるのは、お二人のサポート無くして自分は決して完走することができなかったです。
各エイド到着前にあらかじめ携帯電話で連絡を取り合うのですが(実際は毎回走りながら(笑))、到着早々着替えを出していただいたり、休息中には足マッサージまでお願いしてしまいました。特に、足マッサージは効果絶大で、本栖湖以降選手が歩き始めていた中、後まで自分が走る事ができた一番の理由だと思います。汚れた足を毎回Patakoさんにマッサージいただいた事は決して忘れることができません)
そういった意味では、今回自分独りでなく3人1チームとしての完走と言っても良いのではないでしょうか。こんな形で二人三脚ならず三人四脚で大きなトラブルもないまま前半終了を告げる西富士中(100km地点)に到着。ここまでは正直ビックリするほど安定して走る事ができました。
西富士中では整体マッサージを受け、1時間少々仮眠。その後、軽く食事してゆっくり時間をかけ体の立て直しをはかり、夕暮れ前再び出発しました。ここから一番のヤマバが始まります。天子山塊から毛無山、そして竜ヶ岳まで稜線を抜けます。問題がふたつありました。ひとつ目は夜間行動になる点。特に試走したこともなく一部で細尾根だと聞いてました。正直、予想以上のアップダウンがあるとは覚悟してました。
ふたつ目はSTY選手との行動になること。STY選手の場合、体力的にUTMF選手より余裕があるはずなので相当行動しにくくなると考えてました。いづれの不安も残念ながら当たってしまいました。
尾根道では列ができ、時に疲労の激しい自分が先頭を歩かされたり、また下りでは体力の残っているSTY選手にあおられたり。。。この区間は選手の大多数を占めるピンクゼッケン(STY)に完全にコース主導権を握られてしまいました。精神的にも追い込まれ、次第に疲労感が高まっていきました。また、熊森山では心の甘えからあてにしすぎてしまった補給水(500ml水)が一時的に枯渇する事態も。STY選手とは状況異なるとは言え、我ながらチカラ不足を感じ始めました。
しかし、これも「周りは周り、自分は自分」の気持ちでガマンの行動に徹しているうち、少しずつですが状況が変わってきます。毛無山手前あたりからSTY選手がバタバタと登山道に倒れ始めます。かつて、道志村トレイルレースでも同じ光景を目にしましたが、今回はそのレベルを超える人数が倒れこんでました。その多くは、ヘッドランプを付けたまま着の身着のままで横になって眠り込んでピクリとも動きませんでした。時間にして午前2-3時ごろだったでしょうか?
例外に漏れず、自分も寝不足と空腹感で何度も横になりましたが、余りの寒さ(防寒が十分でなかった)で15分も眠っていると起きてしまいました。しまいには、これではいつになってもPatagonianさんとPatakoさんの待つ本栖湖に到着しないと考え、軍隊行進の様にひたすら前の人間に喰らいつきながら歩みを繰り返しました。
竜ヶ岳山頂直下で後ろを振り返ると、無数のヘッドランプが登山道上に光ってます。ヘッドランプの光しか確認できませんが、その動きを見ながら多少の差こそあれ皆同じ様な状況なんだろうなと想像できました。(これをある人は「民族大移動」、またある人は「ゾンビの行進」と呼びました)
竜ヶ岳山頂到着。西富士中からここまで11時間半も掛かりました。この区間だけは、想定していた所要時間から大幅に遅れを取りました。本当に長く厳しい道のりでした。しかし、ゆっくりしている時間はありません。本栖湖エイドでのPatagonianさんとPatakoさんとの合流時刻からはかなり遅れてます。一連の西富士中学校からの稜線での行動で、足の痛みがだいぶ増してきましたが竜ヶ岳山頂からの下りは走りました。下りだすと眠気が消し飛んだのか、併走するSTYのハイペースに合わせて走る事ができました。そして、テンションも上がり最後はSTY選手を追い越し本栖湖スポーツセンター(エイド)に到着しました。この時はさすがに自分自身にびっくりしてしまいました。
本栖湖スポーツセンターは、ほぼ野戦病院化してました。仮眠室では収まりきらず廊下にまで選手が横になってます(大半はSTY選手)。この「すばしり」ほど快適でない汗臭さに満ちた空間はかなりの選手で埋め尽くされれてましたが異常なくらい静まり返ってました。西富士中では少しでも声を出して話していると耳障りで煙たがられましたが、ここでは誰一人として反応しませんでした。みな体力回復を図ろうと、ひたすら貪欲に眠り続けていたのです。
STY選手の本栖湖スポーツセンター門限は午前5時。皆、嫌々ながら叩き起こされて出走します。十分回復できていないのか、みな無言でゆっくりと引き払っていきました。その後、自分も簡単な食事を済ませ、午前6時に出走に向けて本栖湖スポーツセンターを後にしました。
何故か本栖湖からゴールまでは心は穏やかでした。体はかなり疲労してましたが最後の見せ場を作れるような気がしました。Patagonianさんからは、五湖台まではゆっくり余裕を持たせ最後にスパートといったアドバイスをいただきましたが気持ち的には最初から勝負を掛けるつもりでした。
本栖湖からゴールまでは、写真もほとんど撮らず黙々とジョギングペースを維持しました。STY選手ですらもう足が残っておらず早歩き程度のペース。早歩き以上のペースあれば確実に前の選手を追い越す事ができました。しかし、自分にとってはそれだけでは満足できませんでした。とにかく、ゴールまで走り続けるという執念を持っていたような気がします。それは、まるで心が遠い遥か彼方のゴールに一直線に向かって伸び続けているかのように。
とにかく、前を歩く選手を抜き続けました。抜くにしても気持ちを入れて力強く一気にいきました。ただ、これは相手を抜くという対外的な駆け引きというよりは、如何に自分自身の意思をつらぬき通せるか(走り通せるか)という自分自身への一方的な挑戦でした。こんな感じで、自身の世界に没頭し続けているうち、気が付くと羽根子山の登山道を下り切ってました。
そして、最後は河口湖沿いのロード。
ロードは思いのほか距離が長く感じましたが、走りながら感極まって胸が一杯になる瞬間も。しかし、旅愁に浸るのはまだ早いと自分に言い聞かせ、心に鞭を打ちながら引き続きペース保ち走り続けました。
やがて河口湖大橋をくぐり終わりが見え始めます。ゴール200mくらい手前から沿道の大喝采が始まりました。みんな「お帰りなさぁ〜い。」で迎えてくれます。沿道の応援で気持ちも頂点に達します。ハイタッチを求める観衆と手ばたきしたり挨拶したりしながら、最後は爆走モードでフィニッシュ。ゴールゲートでは鏑木さんが迎えてくれて、ひとりひとりにねぎらいの言葉を掛けてくれました。ふと鏑木さんの顔を見上げると、数年越しのこの大会の実現に感極まってか目元が潤んでました。
ゴール後、43時間前にこのスタートゲートを出発した事が未だに信じられない気持ち(達成感)と、ガタガタの体にしびれ渡るような晴れ晴れとした爽快感で今回の富士山を一周する156kmの旅を終えました。
ainuさんのサポートができたことが本当によかったです。
2日間があっという間に過ぎていきました。
どこかのエイドだけのサポートだけではなく、
ainuさんと一緒に富士山を一周(僕達は車ですけど)できたことは
コースを一緒に走ったわけではないけど完走したような達成感でした。
人が困難を乗り越えていく瞬間を共有できたので、
本当に感動しました。そして完走したすべてのランナーにリスペクトしたいです。
山登りから学んだことはたくさんありましたが、
UTMFから得た経験は今後の山登りの財産になりそうです。
ainuさん本当におめでとうございました!
ainuさんこんにちは。
完走おめでとうございます!!
ただただ「スゴイ」としか言いようがありませんね。気の利いたコメントは出てきませんが、大きな事故・怪我なく無事にゴール出来て本当に良かったですね。
PatagonianさんとPatakoさん、こんにちは。
サポートもレースの前後を含めれば丸二日間以上、相当大変だったと思います。お疲れさまでした。
おめでとうございます。
kaffeeさん
こんばんは。
ainuさんが完走できたことが本当によかったです
2日間というととても長く感じそうですが、
実は時間の過ぎるスピードは早かったです。
kaffeeさんも第2回に是非
同じく42時間55分で完走した者です。
同じくらいのタイムでもチェックポイントの通過タイムがそれぞれ異なり、非常に面白い内容でした!
自分は昨日よりも今日の方が足のむくみがすごく、自分の足ではないみたいです…
お互いにいい思い出になりましたね!
また来年頑張りましょう!?
ありがとうございます。
完走できましたが、やはりサポートいただいた仲間のおかげです。
物理的なサポート以上に精神的なサポートが大きかったですね。
焦らず・急がず・楽しく、これが維持できたからだと思います。
確かに二日目は相当きつかったのですが、完走率が思いのほか高かったので、こちらが驚きでした。
恐らく、それなりのレベルの参加者が集まったのではないかと思います。
丹沢24の成果が出たのかもしれません。
PatakoさんからPatagonianさんに対し「太ももをマッサージしてあげなさいよ」といわれた時は、
さすがに一瞬ひるみました(笑)。
あれは、やり場に困りましたね。恐らく積極的にエイドでマッサージを買ってくれた
Patakoさんは本気だったと思いますが。
こちらも、西富士中のエイドを除けば、区間区間はあっとい間だった気がします。
でも、お互い連絡をうまく取りあえたと思ってます。
1点。毛無山以降何度か電話をいただきましたが、あれは実は気づいてました。
ただ、雨ヶ岳からの下りで後続もついており電話が取れる状態ではなかったのです。
あそこは、ぬかるんでいて大変滑って夜間危なかったのです。
お許しを〜。
お疲れ様でした。
天気にも恵まれ本当に良かったです。
特に終盤天気が崩れていたら、相当こたえていたと思います。
こちらは、エイドは十分休んでその分走り出したら抜き去る、そんなペースを維持しました。
唯一の誤算は天子山塊から本栖湖までです。
あそこは疲れと眠気にやられてしまいました。
しかし、本栖湖スポーツセンターで元気になり、最後は一気に抜けました。
皆さん、それぞれスタイルがあるのだと思います。
それにしても、序盤ご一緒した何人かの方々が上位に食い込んでいるところを見ると
そういう人達までは最後まで休まずマイペースを維持できたのでしょうね。
ホント凄いです。
まずは無事完走、おめでとうございます。
ちゃんと丹沢から富士山
43時間走り切ったainuさんはもちろん、サポートにご尽力されたPatagonianさんも
それぞれに素晴らしい時間を過ごされ何よりです。
本当にお疲れ様でした。
ainuさん。
ね、「生存適者」だったでしょ?
大会はふた晩にも及びましたが、その割りに長かったのか短かったのか良く分からないところです。
終わってみれば、あっという間でした。
これはPatagonianさんのコメントとまったく同じです。
そして、河口湖に最後に戻って来たときも、富士山を一周してきた事を飲み込めない自分がいました。
実は今も同じ気持ちです。
「適者生存」という言葉はいろいろな解釈がありそうですね。
いろいろな想いを胸に走りました。
応援ありがとうございます。
ainuさん、patagonianさん、お疲れ様でした。
完走、おめでとうございます。
何もしていないのに、とってもうれしい自分です
レポ、すばらしく、熱く見入っていました。
まさにドキュメンタリー。
怪我なく、完走されて、レコをアップしてもらえた事を
とても嬉しく思っています
レポートですが、最後少しばかり手直ししました。
どうも走り書きになってしまったのでもう少し読みやすくと。
ドキュメンタリーで思いますが、この大会はドキュメンタリーにしやすいと思います。
競技時間がながく、ステージステージでかなり流れが変わってきます。
キツいと思った頃に終わってしまう30kmくらいの大会と違うような気がしました。
また、ガツガツやる必要もないところがよかったです。
距離がある分、みんなペースを抑えるんですね。
何はともあれ、無事終わってよかったです。
応援ありがとうございました。
That's a fantastic achievement, well done!
160km is a massive distance.
Next year with Sakura-chan?
Thank you.
It was surely a long race but we really had fun, I think.
I honestly did not feel that it was a 100mile race at all.
I still can not believe that I ran all the way around Mt. Fuji.
To me, the 160km was a running series with short ones chained altogether.
I ran from one check point to another while taking good rest in between.
At each point, I met Patagonian & Patako.
They relaxed and helped me maintain my motivation high all the way.
I have no words to thank them for their back-up supports over two nights.
hehe, it will be a Sakura's turn next year.
I bet, she would get a kick out of it also.
ainuさん、おめでとうございます。
ほんとに凄いの一言です。156キロ、7000メートル超の累積標高差、全く考えられない世界です。
正にBorn to Run の世界ですね。本で見た世界に知り合いが挑戦したなんて、初めての事です。
しかし丹沢24時間の後、millionさんもハセツネを単独で制覇しているし、westmalle さんは奥多摩大三角形なんてコースをやっちゃうし、皆さん凄いですね。
俄然、エネルギーを貰いました
ご無沙汰してました。お元気ですか?
UTMFは先日NHKでもドキュメンタリーやってましたが、持久戦でした。
156kmを一気にやっつけるというのではなく、一つ一つ区間をこなしていく。
その中で都度休みも取りつつ立て直していく。
そんな感じでしたよ。
実は、自分にとってUTMFの前身は「丹沢24」だったんですよ。
あれをやるとなった瞬間から、その向こうにUTMFが見えてました。
言い換えれば、「丹沢24」が自信になってUTMFの完走につながったんです。
そういった意味では、Futaroさんのお誘いには言葉もありません。
長距離はスピードだけではどうにもならない部分もあり、
そういった自分自身の体とのぎりぎりの駆け引きがとても楽しいレースでした。
そして、レースで一番元気をくれたPatagonian夫妻との思い出も忘れる事ができません。
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