記録ID: 3820341
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ハイキング
中国
西の京で歴史散策・大内氏館跡と鴻ノ峰
2021年12月09日(木) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 04:34
- 距離
- 12.1km
- 登り
- 364m
- 下り
- 361m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
鴻ノ峰への登山道はところどころ傷んでいるところがあります。 |
その他周辺情報 | 市街地にある寺社仏閣には、国指定の重要文化財が多くあります。街道筋の旧家もよく残されており、県庁内にも同じく国重文の旧庁舎が保存されていました。 |
写真
感想
今までなぜかきちんと歩いたことのなかった山口県。以前、まだ小郡駅と呼ばれていた新山口駅で、新幹線から山陰本線に乗り換えで降り立っただけ、もしくは山陽新幹線で通過しただけの県でした。今回は見たかった国宝瑠璃光寺五重塔に初見参です。
山口市は中世に栄華を誇った大内氏が拓いた町。応仁の乱で荒れ果てた京都から文人墨客が多く訪れ、西の京とも呼ばれました。毛利氏が萩に藩庁を置いた時代には一時的に廃れたものの、幕末には再び藩庁となり、現在の県庁所在地に繋がっています。
そんな山口市、お世辞にも広くはない盆地のなかに、室町時代から幕末、昭和までの古いものがぎゅっと詰め込まれていました。大規模な空襲にも遭っておらず、家並みも当時のまま。町の神社、お寺クラスでも国重文指定が多く、羨ましく思いました。
我が地元、群馬と山口は幕末に楫取素彦繋がりの縁があり。ちょっと前の大河ドラマ「花燃ゆ」でも取り上げられました。一方で、群馬は古い県庁舎も表面だけ残して壊しちゃうし、市街地の多くは空襲で焼けています。県民性の違いもあるんだろうな。
それでも小京都、同じような出自の足利市や、お隣の桐生市と同様、市街地の真横に山がある環境は似ていると思いました。詰の城、街を取り囲む低山、名門の武家一門、それぞれの町のその後を比べてみると、歴史って面白いなぁ、と思いました。
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コメント
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知り合いの山口出身の方は「山口には何もない」というのが口癖でしたが、室町時代の城郭や寺院から大正・昭和の建物まで色々なものが残っていてユニークな街ですね。
大内氏は京都から文化人を多数招いたことや、末期の当主が政務を放棄して遊興に耽っていたことなどが越前朝倉氏と似ていますが、すっかり寂れてしまった一乗谷と違って、現代まで当時の面影を残した街が続いているのが良いですね。
山口県遠征、萩城下か秋吉台か錦帯橋かと思いきや、山口駅周辺だったんですね。(山口県は詳しくなくて上記の観光地しか知りません・・・^^;)
先月、自分が行った月山富田城の尼子氏と戦国時代中国地方の覇権を争った大内氏の居城はこの辺りだったんだ。大内氏は平安室町から続く名門で大内義隆と陶晴賢はドラマで知っていますがあんまり詳しくなくて。大河毛利元就で厳島の戦いは見応えがあった記憶。私も大内氏について一読してからぜひ行ってみたくなりました。
冬の遠征は山は雪があるので足が鈍りますが、地方都市の遠征、良い感じですね。18きっぷ、で行こうかな、、、。
山口県、日帰り仕事で岩国に行った事が。
こんな立派なお寺が沢山あるのは知りマセンデシタ♪
尾道といえば、ラーメンが有名デスが、
何処を巡ったのかな♪
ひと月も経たずに遠征とは。。。
コロナ禍のうっぷんを一気に放出ですね。
今度も長期遠征だったりして
羨ましいです
瑠璃光寺の五重塔に行ったのがもう30年ぐらい昔になります。さすがに国宝だと思える優美さと背景の新緑の美しさが今でも感動とともに記憶に残っています。思わずコメントさせていただきました。
ここのところ実家のある広島に帰る機会が多いのですが飛行機(広島行き岩国行きともに)から見える富士山、南アルプス、特に冠雪していますと見入ってしまいますね。
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