記録ID: 4662678
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ハイキング
甲信越
若穂太郎山
2022年09月10日(土) [日帰り]


- GPS
- 10:03
- 距離
- 7.5km
- 登り
- 719m
- 下り
- 712m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
春山城跡
時代 平安後期~戦国時代
所在地 綿内・城ノ峰(春山、菱田、大柳) みなもどの 平安後期(一〇三〇年頃)信濃源氏の祖と云われる源 頼季が須坂市井上地区に土着し、その後、一族が綿内地 域を含む周辺一帯を統治するために築いた山城の一つと 伝わります。
城ノ峰(六三五)の遺構が大城で、そこから南鞍部 を挟んだ小頂(六六二)にあるのが小城跡です。共に 戦国時代(一五〇〇年代)に武田信玄が築城し直した武 田流遺構と言われ、主郭を囲んで幾つかの堀切・土塁・ 曲輪跡などが見られ堅固な防御線を形造っています。 城主として、小坂九郎義遠・富永伯耆守・綿内内匠満行・井上左衛門尉信満などの名前があがり すが、確かな記録が残されていない者もいます。
南北朝時代(一三三六年から約六十年間)や戦国時代 (一四六七~一五九〇年)には、上杉氏、武田氏、村上 氏など多くの有力武将たちがこの山城の争奪戦を繰り広 げました。そこには地元の武士や住民も否応なく様々な 形で組み込まれた記録や伝承も残っており、この山城は綿内城・車坂城・前山城・十三度城などとも呼ばれています。
令和二年十一月
若穂地区住民自治協議会 若穂郷土史研究会
時代 平安後期~戦国時代
所在地 綿内・城ノ峰(春山、菱田、大柳) みなもどの 平安後期(一〇三〇年頃)信濃源氏の祖と云われる源 頼季が須坂市井上地区に土着し、その後、一族が綿内地 域を含む周辺一帯を統治するために築いた山城の一つと 伝わります。
城ノ峰(六三五)の遺構が大城で、そこから南鞍部 を挟んだ小頂(六六二)にあるのが小城跡です。共に 戦国時代(一五〇〇年代)に武田信玄が築城し直した武 田流遺構と言われ、主郭を囲んで幾つかの堀切・土塁・ 曲輪跡などが見られ堅固な防御線を形造っています。 城主として、小坂九郎義遠・富永伯耆守・綿内内匠満行・井上左衛門尉信満などの名前があがり すが、確かな記録が残されていない者もいます。
南北朝時代(一三三六年から約六十年間)や戦国時代 (一四六七~一五九〇年)には、上杉氏、武田氏、村上 氏など多くの有力武将たちがこの山城の争奪戦を繰り広 げました。そこには地元の武士や住民も否応なく様々な 形で組み込まれた記録や伝承も残っており、この山城は綿内城・車坂城・前山城・十三度城などとも呼ばれています。
令和二年十一月
若穂地区住民自治協議会 若穂郷土史研究会
感想
お天気がはっきりしない土曜日の朝、
どんよりした曇天で朝寝坊
善光寺平周辺の山々はどこも曇り?🏔?
唯一山頂が晴れてたジモトの若穂太郎山へ!
トレーニングです
山頂ではゆっくりとランチタイムでした
気温は30度ほど
蒸し暑くてバテバテ💦でしたが、
終始、お日さまを浴びて大量の汗を流し
🍺🍖デトックス??健康的な?
ハイキングができましたぁ?😱
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