日光街道北上 3/4

- GPS
- 10:17
- 距離
- 47.3km
- 登り
- 142m
- 下り
- 5m
コースタイム
- 山行
- 10:18
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 10:18
| 過去天気図(気象庁) | 2024年02月の天気図 |
|---|---|
| アクセス | |
| ファイル |
非公開
日光街道.xlsx
(更新時刻:2024/02/22 16:13)
|
写真
実は東塚は「塚だったようなもの」も残っている。
おっちゃんの話しによると、地主が「更地にして売ってしまおう」と考えたが県とか市が「やめてくれい」と懇願にきて、今は駐車場になっている。ここが一里塚の跡地だと言っても「・・・」としか反応できない。
近くのお寿司屋さんが土日は店頭で手作りお弁当を売っているので、やきそばと赤飯を買った。2つで550円!
ここにもベンチがあったので休憩をしていたら、お寿司屋さんの息子さんが「がんばってください」とお茶のペットボトルをくださった。なんともありがたかった。
「これより赤道です。通行は自己責任で」という看板がたっている。赤道(あかみち)とは「国家が所有しているが道路法が適用されない道」とのこと。
歩行速度は4km/時、一里は約4kmだからちょうど一時間。
前の一里塚から5時間かかってやっと到達したわけだ。
ここ上戸祭は両塚が現存している。
この写真は東側
いつの間にか日光街道は車道が低くなっており、杉並木が一段高く両側にという形になっている。
これって江戸時代からそうだったのかなぁ。謎だ。
この造りの歩道を歩いていると路地とクロスするたびに微妙なアップダウンになり、何度も何十度もあると地味に足腰に響いてくるー。
感想
2/17(土)前回から一週間ぶり。
茅ヶ崎を始発で出て約2時間半。間々田駅着は07:17だった。
駅を出たら300m足らずで日光街道に出た。
快晴、風なし。
まぁそりゃそうだ。雨予報だったらそもそもココには来ていない。
当時の旅人は一旦家を出たら、雨だろうと雪だろうと旅を続けなければならかった。
日光街道150km、往復で実に300kmもの行程だ。
のんびり旅をする人、急な用事があり急いでいる旅人。
いろいろいただろうけど、長い旅になるとお金も余計にかかる。
速い人は片道150kmを3泊4日で歩いたという。鉄人かよ江戸人。
さて旅も3日目に入り、一里塚が残っていることが多くなってきた。
旅人にとって一里塚は重要なランドマークだ。
心身が街道歩きになれてくると、一里塚に近づくのがなんとなくわかるようになる。
当時は遠くかも見えるように塚があり、その塚に木が植えてあった。
多くはエノキ(榎)の木だが、松や杉などもある。
日光街道の都心部は一里塚の痕跡が残っていないことも多々あり、
とてもさびしい。目先の目標が「次の一里塚」という感覚になっているからだ。
「24里目の下石橋一里塚」を通過すると「28里目の上戸祭の一里塚」まで約20kmの区間で一里塚が現存していなかった。
モチベーションが下がることこのうえない(¬з¬)
日光街道で(いろいろな意味で)印象的だった一里塚は以下3箇所だ。
1)「22 小金井」
日光街道では一番有名かと思う。国指定史跡にもなっている。
昔の街道の広さがわかるのもいい。
3日目の行程で唯一ベンチに腰をおろして休憩と食事をした場所だ。
2)「23 下石橋」
林の中にあり、最近発見されたらしい。
それだけにちょっとわかりにくいが、案内板もあり、たぶん地域の方々が落ち葉などをひとところにまとめてくださっているのだろう。「手入れされている感」を感じる。
3)「30 石那田」
交差点のたもとにあり非常に見つけやすい場所にあるが、放置感がすさまじい。
看板の字さえも読めないし、塚(土台部分)に石柱がたっているだけで草ぼうぼうだ。
もちろん現存しているだけでありがたいのだが、もう少しなんとかして欲しい。
意見をする立場にもないが、さびしいものだ。
本日は徳次郎までを目標にしていたが、暗くなってしまい目前で断念。
バスでJR宇都宮駅に戻り、ホテルで一泊することにした。
明日は最終日だ!
10時間17分
47.3km
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
けんちゃまん










いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する