Annapurna Circuit 1984 Day40-42: Ghorepani to Pokhara 1984-10-10--12

- GPS
- 24:00
- 距離
- 49.3km
- 登り
- 1,518m
- 下り
- 3,587m
コースタイム
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
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- 休憩
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- 合計
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- 山行
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- 休憩
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- 合計
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| 過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
|---|---|
| アクセス |
写真
Kali Ghandaki流域は雲海に沈んだ
MarphaやTukuche辺りのとは見る方角が異なるので、TukucheもDhaulagiriの山容も随分と違う印象
NaudharaからPokhara市街地まで、今ならこの斜面をPokhara盆地を眺めつつSarangkot方面に尾根筋を進むことができる。
以前からリゾート地であったが、随分と観光開発が進んだものだ。1984年の写真と比べ少し乾燥化が進んだのではないか。
我々は、ルートマップ通りにノーダラ(Naudhara)から尾根北側の谷に降りた。
降りた先のSuikhetの地名はGoogleMapsでも確認できる。
感想
Day 40-42
アルパインガイドの通りなら、BirethantiからNaudhara (Naudanda)へはChandorakot、Lumleを経由するのですが、Map上に道が見当たりません。集落が点在するので道はあるはずと、線を引きました。
NaudharaからPokharaまでは、 Sarangkot経由で盆地を眺めながら尾根伝いに降りたら良さそうなものだがそのように歩いた記憶はなく、アルパインガイドのルート通り北側の谷に降りたようだ。当時は尾根ルートがなかったのではないかと思う。
下山した気の緩みからNaudhara麓のSuikhet辺りの茶店でレモネードを頼んだところ生水にスンタラ(柑橘類)を絞り入れただけの代物で、きっちり腹をこわし帰国まで続きました。
幸いにも赤痢菌はShigella sonneiという株で症状が軽く「赤い下痢」にはならなかったので、調査隊が持っていた抗生物質を飲みませんでした。
研究室に顔を出した初日に、帰国時の空港検疫で引っかかった旨の電話があり、自宅から救急車で隔離病棟に収容されたのでした。1999年に感染症予防法が施行されるまでの旧伝染病予防法では、赤痢は強制隔離措の対象でした。
ケフレックス(経口用セフェム系抗生物質製剤)を服用した翌日から検出されなくなりましたが、陰性確認完了まで1週間収容されました。
退院時に、自宅から持ってくるように言われた布団類は燻蒸処理がなされ、持ち込んだラジカセは、本来なら廃棄処分だが、と、お目溢しにあずかり持ち帰った。また、自宅内は言うに及ばず、近隣の水路等にも消毒液の散布がなされ、えらい迷惑したとは親の後日談でした。
Day 36-39
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-8766715.html
field survey at Pokhara
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7725566.html
INDEX(全日程目次)
Annapurna Circuit from Dumre to Pokhara along the Marsyangdi and Kali Ghandaki rivers via Tilitso Lake in 1984
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7679096.html
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