岡田 山田 平瀬城趾 田沢


- GPS
- 04:31
- 距離
- 11.3km
- 登り
- 367m
- 下り
- 474m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
この山スキー最適期に単独上信越山越え6日山行の準備を終えながら何故か出発できない気分の3日を過ぎ、天気周期も悪くなり、ポツポツ雨の降る日に近場の山城歩き山行に出かける。何やってんだか自分でもわからない。
自宅から歩いて行く未踏の山城がまだいくつかある。松本駅からバス便の多い浅間温泉まで自転車で行って少し時間を稼ぐ。浅間温泉から野を越え山を越える。車ではいつも通らない細い道を選んで芥子坊主方面へ。岡田の河岸段丘を登っていくと岡田宿。地域の歴史看板は全読する。何度来ても面白い。
六助池下あたりで廃仏毀釈でやられた廃寺跡があり、周囲の雰囲気なども見る。みていると近くでネギを植えていたおじさんとあいさつして、このあたりのことをあれこれ聞いたり話たりする。土地の人と話せてとても楽しい。
六助池脇からお宮に上がる道を登って、名も無い山に登頂。この山は10年ほど前から松くい虫で松が枯れ、倒木、伐木で景観がガラリと変わったが、近頃は少し落ち着いてきた。松本のどこからでも見える山なので山頂に行ってみたかった。松の作業道もすでに役割を終えて藪に覆われていた。山頂部も藪の中だった。
田溝池の辺に降りて、山田集落を目指す。山間の小盆地山田は謎めいた集落だ。今回も地元通行人には会わなかった。道路工事の人には会った。
通過していよいよ平瀬城背後の尾根を下り始める。このあたりも松枯れの片付け作業で伐採現場だ。木が減って冬枯れもあって安曇野がよく見える。裏から攻められたらヤバい城だ。あの山田集落は、16世紀には平瀬城防備の武装集団集落だったのだろう。
急な斜面のコルにカタクリの群生あり。花を愛でた後はたと気づけば、このコルは虎口か土橋という立地だった。すでに城の背後の要害エリアに入っている。ここから本丸への急斜面は巧妙に地形を加工してある。これでは駆け上がる間に刺殺されてしまうだろう。
本丸台地は10年以内前に地元の島内と山田がかなり丁寧に整備した模様。余計なものは無く、戦国さながらの展望があり、案内看板も充実。やはり山城は丁寧に保存してあるとうれしい。常念もかすかに見え、白馬方面も雲を纏いつまだ見える。しばし草に寝転んであれこれ思いを浮かべる。ここからは梓川奈良井川の合流点、全安曇野が丸見えだ。
1550年の武田軍信濃侵攻の戦役では、ここで平瀬八郎左ヱ門以下204人が死んだ。南無阿弥陀仏。
下り道は急だが標高差150mほど。山麓に小規模ながら良い佇まいの集落あり。篠ノ井線の山側で、19号線からは引っ込んでいる。田沢駅までの車のうるさい19号線歩きはつまらなかった。
田沢駅では3分差スレスレで汽車が来て松本へ。浅間温泉までバス。浅間温泉からはデポした自転車で家まで帰る。 結局、雨は降らなかったな。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する