記録ID: 8301721
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ハイキング
中国
月山富田城
2025年06月16日(月) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 4.5km
- 登り
- 214m
- 下り
- 215m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
写真
山中鹿介幸盛祈月像
「我に七難八苦を与えたまえ」と鹿介が三笠山の端に掛かる三日月に祈った言葉は、「逆境の中に身を置いてこそ自分の力量が試され、自分の能力が磨かれる」と鹿介が斜陽にある主家の立て直しのために自己研鑽と鍛錬をした
「我に七難八苦を与えたまえ」と鹿介が三笠山の端に掛かる三日月に祈った言葉は、「逆境の中に身を置いてこそ自分の力量が試され、自分の能力が磨かれる」と鹿介が斜陽にある主家の立て直しのために自己研鑽と鍛錬をした
山中幸盛塔
その孫・尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となり、天然の地形を利用した難攻不落の要塞城といわれ「天空の城」とも呼ばれた。その後、城を巡っても度々攻防戦が行われたが最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となった
その孫・尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となり、天然の地形を利用した難攻不落の要塞城といわれ「天空の城」とも呼ばれた。その後、城を巡っても度々攻防戦が行われたが最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となった
二ノ丸
三の丸に続き、遠くに中海、さらに日本海を望むことができる。双児井戸跡が残る。また、発掘調査の結果、建物跡や柱穴の跡、備前焼の瓶等も発見され、破城の際に崩された石垣も発見されている
三の丸に続き、遠くに中海、さらに日本海を望むことができる。双児井戸跡が残る。また、発掘調査の結果、建物跡や柱穴の跡、備前焼の瓶等も発見され、破城の際に崩された石垣も発見されている
感想
・広瀬町には仕事で2回訪れており、月山富田城は兼ねてより登りたいと思っていた。
・松江城が出来るまでは広瀬町が出雲の政庁であった。
・月山富田城24代城主について学ぶことができた。
・富田城は500の曲輪群、唯一の登城路である西側は標高差100mの七曲りで防衛された。
・難攻不落の城、天空の城、日本五大山城・百名城を見ることができ幸せに思う。
・6月18日NHK歴史探偵「月山富田城」では、大内軍45000の総攻撃を15000で守備した。大内軍は2ケ月経っても落とせず、その後大内氏は滅びた。尼子氏は難攻不落の富田城と、砂鉄などで唐や国内交易で富を築き中国8ケ国の守護として栄えた。
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