吉田阿熊イラストマップ、本日はこれも元にウロウロしてみます。
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7/14 10:27
吉田阿熊イラストマップ、本日はこれも元にウロウロしてみます。
阿熊集落センターをスタートです。
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7/14 10:47
阿熊集落センターをスタートです。
まずは岩崎神社前を通過して県道を下ります。まずは阿熊川のせり出した巨岩、草木に覆われた巨石、石宮が見えます。
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7/14 10:54
まずは岩崎神社前を通過して県道を下ります。まずは阿熊川のせり出した巨岩、草木に覆われた巨石、石宮が見えます。
これが「天狗の石」のようです。
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7/14 10:55
これが「天狗の石」のようです。
現在の石祠は「大正十四年八月(1925)建設/阿熊道路一工事記念」。神社方面へ戻ります。
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7/14 10:57
現在の石祠は「大正十四年八月(1925)建設/阿熊道路一工事記念」。神社方面へ戻ります。
岩崎神社、城峯山の平将門を滅ぼした藤原秀郷が伊豆の三島神社を勧請。秀郷の矢が落ちた場所“矢崎”→“岩崎”、
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7/14 11:03
岩崎神社、城峯山の平将門を滅ぼした藤原秀郷が伊豆の三島神社を勧請。秀郷の矢が落ちた場所“矢崎”→“岩崎”、
鳥居の傍らに、「馬頭観世音」と
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7/14 11:08
鳥居の傍らに、「馬頭観世音」と
青面金剛庚申塔「享保六年辛丑十月吉日(1721)」
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7/14 11:08
青面金剛庚申塔「享保六年辛丑十月吉日(1721)」
岩崎神社、氏子は明神様と呼ぶそうです、柿祭り。境内社には諏訪大神、地鎮大神等が祀られています。
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7/14 11:11
岩崎神社、氏子は明神様と呼ぶそうです、柿祭り。境内社には諏訪大神、地鎮大神等が祀られています。
神社の裏手から室久保集落へ向かう道に合流します。
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7/14 11:14
神社の裏手から室久保集落へ向かう道に合流します。
集落より金嶽山、P2とP3あたりかな、危険な岩山ですが、武甲山をバックに天に昇る“龍勢”が見られます。
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7/14 11:23
集落より金嶽山、P2とP3あたりかな、危険な岩山ですが、武甲山をバックに天に昇る“龍勢”が見られます。
小峰山と大前山かな。天狗山は隠れていると思います。
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7/14 11:26
小峰山と大前山かな。天狗山は隠れていると思います。
廿二夜塔と名号塔「南無阿弥陀(佛)」
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7/14 11:30
廿二夜塔と名号塔「南無阿弥陀(佛)」
ムラサキカタバミ、あちこちで可愛く咲いていますが、要注意外来生物に指定されているようです。
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7/14 11:31
ムラサキカタバミ、あちこちで可愛く咲いていますが、要注意外来生物に指定されているようです。
「馬頭尊 大正十四年二月十五日(1925) 新井吉五郎建之」
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7/14 11:36
「馬頭尊 大正十四年二月十五日(1925) 新井吉五郎建之」
紫陽花
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7/14 11:37
紫陽花
「馬頭尊 大正八年二月廿日(1919) 横田倉(中)」
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7/14 11:41
「馬頭尊 大正八年二月廿日(1919) 横田倉(中)」
大通龍神社を探していたら薬師堂がありました。
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7/14 11:43
大通龍神社を探していたら薬師堂がありました。
内部には薬師如来の石仏、
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7/14 11:46
内部には薬師如来の石仏、
よく見るとグリチャミの足元には木彫りの観音様が…
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7/14 11:46
よく見るとグリチャミの足元には木彫りの観音様が…
一応、此処へお戻ししておきましょう。
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7/14 11:46
一応、此処へお戻ししておきましょう。
その先に旧道がありました。
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7/14 11:50
その先に旧道がありました。
銀杏畑、何か果物の様に銀杏がたわわに実をつけています。周辺をウロウロしましたが、結局神社は見つからず、
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7/14 11:55
銀杏畑、何か果物の様に銀杏がたわわに実をつけています。周辺をウロウロしましたが、結局神社は見つからず、
横田倉の馬頭尊に戻って来ました。よく見るとその前に尾根筋へ向かう細道があったので、行ってみると、
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7/14 12:14
横田倉の馬頭尊に戻って来ました。よく見るとその前に尾根筋へ向かう細道があったので、行ってみると、
岩壁の下にお宮がありました。御神体は降ろされているようです。これが目的の神社?マップには石燈籠と石段があったのに…
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7/14 12:16
岩壁の下にお宮がありました。御神体は降ろされているようです。これが目的の神社?マップには石燈籠と石段があったのに…
背後の岩壁
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7/14 12:16
背後の岩壁
登れそうな所から取り付いてみます。念のために持参したチェンスパが役立ちました。
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7/14 12:23
登れそうな所から取り付いてみます。念のために持参したチェンスパが役立ちました。
尾根の肩に到着すると小平地があり、
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7/14 12:37
尾根の肩に到着すると小平地があり、
何と半鐘の梯子が横たわっていました。見守りや有事の際はここまで登ってきたのでしょうが、このルートは厳しすぎるので別の道があるようです。
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7/14 12:37
何と半鐘の梯子が横たわっていました。見守りや有事の際はここまで登ってきたのでしょうが、このルートは厳しすぎるので別の道があるようです。
さらに平らな尾根の先には何か祀られているようです。
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7/14 12:38
さらに平らな尾根の先には何か祀られているようです。
オオムラサキの羽根が落ちていました。
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7/14 12:39
オオムラサキの羽根が落ちていました。
二連の木祠ですが、こちらも御神体は降ろされているようです。
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7/14 12:42
二連の木祠ですが、こちらも御神体は降ろされているようです。
さらに先に進むと岩尾根の末端に琴平神社のお宮がありました。木札に「再建遷宮 昭和五十三戊午年十月十日遷座 吉田町大字阿熊字田倉川久保氏子中 大工新井勝二 宮司引間慧」とありました。
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7/14 12:47
さらに先に進むと岩尾根の末端に琴平神社のお宮がありました。木札に「再建遷宮 昭和五十三戊午年十月十日遷座 吉田町大字阿熊字田倉川久保氏子中 大工新井勝二 宮司引間慧」とありました。
琴平社の建つ岩峰を振り返り
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7/14 12:52
琴平社の建つ岩峰を振り返り
峠、右は川久保、左は室久保集落、直進します。
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7/14 12:52
峠、右は川久保、左は室久保集落、直進します。
細長い山頂部の傍らに、
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7/14 13:01
細長い山頂部の傍らに、
崩れた石祠の屋根、どちらも古そうな感じでした。
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7/14 13:02
崩れた石祠の屋根、どちらも古そうな感じでした。
467峰
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7/14 13:08
467峰
ここでお昼休憩にしました。少し雨が降って来ました。
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7/14 13:12
ここでお昼休憩にしました。少し雨が降って来ました。
この先で左からヤマレコの足跡のあるルートに合流します。
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7/14 13:37
この先で左からヤマレコの足跡のあるルートに合流します。
竹藪を通過
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7/14 13:39
竹藪を通過
今年初、トマトのような立派なタマゴちゃん、
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7/14 13:59
今年初、トマトのような立派なタマゴちゃん、
金嶽方面からの主要道?の尾根に乗りました。
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7/14 14:06
金嶽方面からの主要道?の尾根に乗りました。
いよいよ山頂直下のようです。
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7/14 14:11
いよいよ山頂直下のようです。
「大平」675.3 m三等三角点
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7/14 14:15
「大平」675.3 m三等三角点
粟野山675.4m
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7/14 14:15
粟野山675.4m
一旦城峯方面に下ってから、
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7/14 14:18
一旦城峯方面に下ってから、
途中の枝尾根から白岩集落へ降ります、踏み跡もありました。
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7/14 14:26
途中の枝尾根から白岩集落へ降ります、踏み跡もありました。
ここは左へ
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7/14 14:40
ここは左へ
少々岩もありますが、下りやすい尾根でした。
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7/14 14:42
少々岩もありますが、下りやすい尾根でした。
最後は林道切通の擁壁、これは降りられないので、
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7/14 14:46
最後は林道切通の擁壁、これは降りられないので、
右の谷筋に逃げてから林道に出ました。
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7/14 14:48
右の谷筋に逃げてから林道に出ました。
白岩集落の熊野神社
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7/14 15:04
白岩集落の熊野神社
石段脇に右「二十二夜待 文政九戌年九月吉日(1826) 」、左「廿三夜 文久二壬戌星三月(1862)女人講中」
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7/14 15:05
石段脇に右「二十二夜待 文政九戌年九月吉日(1826) 」、左「廿三夜 文久二壬戌星三月(1862)女人講中」
「熊野神社縁起」・鉢形城落城で家臣新井丹次が白岩に落ち延び奥地に熊の大権現を祀る・貞享元年(1684)現在地に勧請・明治二十七年(1894)神域の各社を集めた
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7/14 15:07
「熊野神社縁起」・鉢形城落城で家臣新井丹次が白岩に落ち延び奥地に熊の大権現を祀る・貞享元年(1684)現在地に勧請・明治二十七年(1894)神域の各社を集めた
三部屋の覆屋、右には山之神様と稲荷社、中は十二天様、左には天神様の石宮と
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7/14 15:10
三部屋の覆屋、右には山之神様と稲荷社、中は十二天様、左には天神様の石宮と
自然石(石灰岩?)の「金毘羅大神」が祀られています。
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7/14 15:12
自然石(石灰岩?)の「金毘羅大神」が祀られています。
白岩の獅子舞、ちょっと独特の雰囲気ですね。
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7/14 15:14
白岩の獅子舞、ちょっと独特の雰囲気ですね。
路傍の塚に石造物、上)二夜塔(安永?)、中)弁財天(天明四甲辰,1784)、下)青面金剛庚申塔、
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7/14 15:25
路傍の塚に石造物、上)二夜塔(安永?)、中)弁財天(天明四甲辰,1784)、下)青面金剛庚申塔、
反対側には、衜(道)祖神
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7/14 15:27
反対側には、衜(道)祖神
二体の御地蔵様と石神様
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7/14 15:28
二体の御地蔵様と石神様
石垣の小径に入ってみると、薬師堂に通じる旧道でした。
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7/14 15:28
石垣の小径に入ってみると、薬師堂に通じる旧道でした。
結局、大通龍神社は見つかりませんでした。
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7/14 15:44
結局、大通龍神社は見つかりませんでした。
駐車地に戻ってゴールです。
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7/14 15:54
駐車地に戻ってゴールです。
初めてなので、炒めてカレーに乗せていただきます。傘はトロリとろける感じ、柄はシャキシャキでした。
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初めてなので、炒めてカレーに乗せていただきます。傘はトロリとろける感じ、柄はシャキシャキでした。
自宅に懐かしいカレー皿がありました。「北野印度会社」清里の店舗に食べに行ったことがあります。
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自宅に懐かしいカレー皿がありました。「北野印度会社」清里の店舗に食べに行ったことがあります。
お皿の裏には旭日?に「北」
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お皿の裏には旭日?に「北」
「NISHIKIYA スパイシーバターチキンカレー」レトルトのは思えないくらいのレベルでした。
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「NISHIKIYA スパイシーバターチキンカレー」レトルトのは思えないくらいのレベルでした。
タマゴタケのチキンカレー、カレーもキノコも美味しゅう御座いました!
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タマゴタケのチキンカレー、カレーもキノコも美味しゅう御座いました!
翌日、もう少し詳しい地図で調べたら、大通龍神社は室久保集落にありました。石燈籠(明治参十一季,1898)
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7/15 10:46
翌日、もう少し詳しい地図で調べたら、大通龍神社は室久保集落にありました。石燈籠(明治参十一季,1898)
境内に並んでいる石祠群、最左「嘉永六年丑六月吉日(1863)/氏子中」、左三番目「明治廿八年五月吉日(1895)立/當所 室久保吾六 新井弥作」
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7/15 10:51
境内に並んでいる石祠群、最左「嘉永六年丑六月吉日(1863)/氏子中」、左三番目「明治廿八年五月吉日(1895)立/當所 室久保吾六 新井弥作」
てんぐ岩探しで阿熊川に下りる途中で、謎のスポットありました!個人の所有地かなぁ。新旧二棟の石祠、新しめの御地蔵様、中世板碑、そして
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てんぐ岩探しで阿熊川に下りる途中で、謎のスポットありました!個人の所有地かなぁ。新旧二棟の石祠、新しめの御地蔵様、中世板碑、そして
金剛界大日如来坐像と思われますが、まるで仮面を被っているようで一寸ユーモラス、まさに“赤影参上!”のようです。
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金剛界大日如来坐像と思われますが、まるで仮面を被っているようで一寸ユーモラス、まさに“赤影参上!”のようです。
たぶんこれが「てんぐ岩」、立派な岩壁ですが県道からは見えません。
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たぶんこれが「てんぐ岩」、立派な岩壁ですが県道からは見えません。
一寸した庇があります。
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一寸した庇があります。
岩場の縁を登って行きます。急傾斜で土も滑りやすく灌木を伝わりながら、
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岩場の縁を登って行きます。急傾斜で土も滑りやすく灌木を伝わりながら、
岩の上にたどり着きました。ネズ(ネズミサシ)、秩父市の天然記念物に指定されているようです。
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岩の上にたどり着きました。ネズ(ネズミサシ)、秩父市の天然記念物に指定されているようです。
てんぐ岩の舳先
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てんぐ岩の舳先
マルバマンネングサ?ヒメレンゲ?
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マルバマンネングサ?ヒメレンゲ?
残念ながらムカデランは見つかりませんでした。
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残念ながらムカデランは見つかりませんでした。
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