記録ID: 8717324
全員に公開
ハイキング
近畿
高取山…壷阪寺&高取城址
2025年09月22日(月) [日帰り]

- GPS
- --:--
- 距離
- 10.1km
- 登り
- 514m
- 下り
- 517m
コースタイム
| 天候 | 晴 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年09月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車
また、壺阪山駅から壷阪寺までは、土日祝日に奈良交通のバスが運行されます。 |
| コース状況/ 危険箇所等 |
特に危険な箇所はありませんし、道標が完備されていますから、迷うおそれも少ないです。ただ、土佐街道の部分は、道幅の狭い自動車道ですから、クルマに気を付けてください。 トイレは、土佐街道の公園、壷阪寺境内にあります。高取城址には簡易トイレがありますが、そのあとは、「上子島沢砂防公園」まで公衆トイレはありません。 |
| その他周辺情報 | 壷阪寺を拝観する場合、入山料800円(大人料金)が必要です。 今回は立ち寄っていませんが、土佐街道に「くすりの資料館」があります。 飲食店は、土佐街道に数店あるようです。飲料の自販機は、土佐街道に点在しています。壷阪寺の境内にも自販機がありますが、そのあとは、高取城址から下った「上子島沢砂防公園」の近くまでありません。 |
写真
風情ある建物が多く残る「土佐街道」を壷阪寺へ向かって歩く。昔、このあたりを「土佐」といったそうだけど、その謂れは、飛鳥の都造営のため、土佐から労役のために連れてこられた人々が、土佐へ帰れなくなって、ここへ住み着き、故郷を懐かしんで「土佐」と名付けたという説もあるよう。
高取城址へやってきた。写真は大手門跡。高取城自体は、1332(元弘2)年、南朝方武将・越智邦澄によって築城されたらしいが、1589(天正17)年、豊臣秀長の家臣・本多利久(先述の俊政の父)によって新たに築造されたそう。
立派な石垣が残る高取城址の天守台。高取城は「日本100名城」に選定され、岐阜県の岩村城、岡山県の備中松山城とともに、「日本三大山城」にも数えられている。高取城は1873(明治6)年、廃城となり、1887(明治20)年ごろまで天守閣など多くの建造物が残っていたらしいが、その後自然に崩壊していったらしい。何とももったいない話。備中松山城みたいに天守閣が残っていたらなあ〜…。
「一升坂」を土佐街道に向かって下る。城と城下の往還に使用されていた道で、設置されている説明版によると、昔は道幅がもっと広くて、籠や馬も行きかっていたらしい。それにしても、城と城下の行き来は、さぞかし大変だったことだろう。
感想
「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、9月20日に彼岸の入りとなったものの、朝夕こそ多少涼しいとはいえ、日中は中々涼しくなりません。
涼しい中部山岳へ行きたいと思いつつも、山小屋の予約とか考えると「あ〜、面倒くせえ〜…」となってしまい、結局、近郊の低山のライト山行と相成りました(笑)。
今回は、西国札所の壷阪寺から「最強の山城」ともいわれる高取城を目指してみました。
実際に登ってみると、ここを攻め落とすのは並大抵の力じゃムリだなあ〜と実感でき、また、よくこんな場所に立派な近世城郭を作り上げたものだと感心するとともに、城と城下の行き来はさぞかし大変だっただろうと、昔の人の労苦が偲ばれました。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:646人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
tenwheeler








いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する