記録ID: 8866631
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ハイキング
大山・蒜山
大山
2025年10月28日(火) [日帰り]

体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 03:10
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 934m
- 下り
- 942m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:01
- 休憩
- 0:09
- 合計
- 3:10
距離 7.2km
登り 934m
下り 942m
10:46
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
阿弥陀堂
大山寺域における最古の建築物。国指定重要文化財
享録二年に倒壊したため、天文二十一年に再建された物。
元は常行堂、明治に行が行われなくなった為、阿弥陀堂となった。
本尊の阿弥陀如来座像は天承元年仏師良円の作で、こちらも重文。
大山寺域における最古の建築物。国指定重要文化財
享録二年に倒壊したため、天文二十一年に再建された物。
元は常行堂、明治に行が行われなくなった為、阿弥陀堂となった。
本尊の阿弥陀如来座像は天承元年仏師良円の作で、こちらも重文。
5合目の標識そばには、「山の神さん」という登山の安全を祈る祠がたたずんでいます。 かつて、5合目には、朝日を拝む遥拝所があったとか。 その故事にちなみ、平成3年に社が再建されたとのことです。
平安時代、村上天皇より大山権現(地蔵権現)を大智明菩薩とするみことのりが下され、御本尊を本殿権現社(現在の「大神山神社奥宮」)にまつり大智明権現というようになりました。
大山は太古より大己貴命が鎮り坐すお山として「大神岳」又は
「大神山」と呼び此の所を、神祭りの場としていました。
奈良朝時代より修験道、更に仏教が入り、神仏習合説のもと大神に大智明権現の稱名を奉り、神官社僧により奉仕し平安時代には此の奥宮を中心として、三院百八十坊僧兵三千の西日本一の霊山となり、以来時勢により盛衰を重ねて居ましたが、明治8年神仏分離令に依り大神山神社奥宮となり元の様に純然たる神社となりました。現在の社殿は重要文化財に指定され文化2年(1805)の建築で日本最大級の権現造り正面の長廊は、両翼約50メートルあります内部には彩色豊に長大な柱や長押の白檀塗は日本一と
云われております
大山は太古より大己貴命が鎮り坐すお山として「大神岳」又は
「大神山」と呼び此の所を、神祭りの場としていました。
奈良朝時代より修験道、更に仏教が入り、神仏習合説のもと大神に大智明権現の稱名を奉り、神官社僧により奉仕し平安時代には此の奥宮を中心として、三院百八十坊僧兵三千の西日本一の霊山となり、以来時勢により盛衰を重ねて居ましたが、明治8年神仏分離令に依り大神山神社奥宮となり元の様に純然たる神社となりました。現在の社殿は重要文化財に指定され文化2年(1805)の建築で日本最大級の権現造り正面の長廊は、両翼約50メートルあります内部には彩色豊に長大な柱や長押の白檀塗は日本一と
云われております
大山寺は、奈良時代養老年間(約一,三〇〇年前)金蓮上人に依って開山されました。
昭和の三年四度の火災に見舞われた本堂は昭和二十六年に再建されました。現在も尚、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され、実に山陰の名刹として、天台でいう所謂鎮護国家の霊場として更に、中国地方一円の人々から御先祖様に会える寺として崇敬を集めています。
昭和の三年四度の火災に見舞われた本堂は昭和二十六年に再建されました。現在も尚、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され、実に山陰の名刹として、天台でいう所謂鎮護国家の霊場として更に、中国地方一円の人々から御先祖様に会える寺として崇敬を集めています。
撮影機器:
感想
初めての中国地方の山。やはり来てみないと解らないことが沢山ありました。大山寺も含めて素晴らしかったです。帰りにビジターセンターで大山の成り立ちのビデオも鑑賞して非常に勉強になりました。また、大山ではたくさんの種類のキノコが自生していることを知り、キノコの御蕎麦が無性に食べたくなりました・・・結果、まつおか食堂へ向かいました。これが大正解。天然キノコの御蕎麦も栗の入った大山おこわもとっても美味しくて忘れられない旅の思い出となりました。
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ゴクさん












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