関東
笠䅣稲荷神社(かさのぎいなりじんじゃ)

最終更新:へるにゃん
基本情報
場所 | 北緯35度28分48秒, 東経139度38分16秒 |
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由緒沿革 天慶年間(938〜947)に、淳和天皇勅願所浦島院勧福寿寺の僧侶が隣域の山腹(稲荷山)に社殿を建立し、伏見稲 ラ大社の御分霊を勧請したことが創祀と伝えられ、同寺の守護神、附近一帯の産土神として崇敬を集めていました。文永11年、蒙古来寇の折りには、鎌倉の執権北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納して、国家の安泰を祈願しました。戦国時代に兵火に罹災してしまったものの、永禄2年9月19日に再興なって大祭を行い、元禄2年9月19日には稲荷山の中腹より山麓に遷座する運びとなりました。これより神威益々加わり、社前を通行する者の笠が自然と脱げて地に落ちたことから、「笠脱稲荷大明神」と称されるようになり、後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し、禾に尊い皇を添えて「笠䅣稲荷大明神」と改称しました。明治2年には旧社地が京浜間の鉄道敷設用地に接収されたため現在地に移り、更に霊験あらたかとなって、同17年9月25日、村社に列し、大正10年9月17日、神饌幣帛供進社に指定されました。
特殊信仰 古くよりカサノギ稲荷さんに参拝するとカサ(性病・婦人病)が治るという伝承があり、病気にかかった女性は土団子を作って神前に供え、お百度を踏んで祈願をします。霊験を得て病気が治ると、粢団子を作りお礼詣りをする習慣があり、病気平癒の御利益も秀でています。
特殊信仰 古くよりカサノギ稲荷さんに参拝するとカサ(性病・婦人病)が治るという伝承があり、病気にかかった女性は土団子を作って神前に供え、お百度を踏んで祈願をします。霊験を得て病気が治ると、粢団子を作りお礼詣りをする習慣があり、病気平癒の御利益も秀でています。