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もく星号遭難の地(もくせいごうそうなんのち)

都道府県 東京都
最終更新:yan629
基本情報
標高 649m
場所 北緯34度43分20秒, 東経139度24分31秒
カシミール3D
わが国最初の旅客遭難機となった日本航空「もく星」号は
乗員4名乗客33名を載せ大阪経由福岡行きとして羽田空港を飛び立ちましたが、
事故当日の天候は極めて悪く視程ゼロに近い状況であったため、
この地に激突したとされています。
乗客乗員37名がその犠牲となりました。
昭和27年4月9日のことです。
展望ポイント

山の解説 - [出典:Wikipedia]

もく星号墜落事故(もくせいごうついらくじこ)は、連合国軍占領下の1952年(昭和27年)4月9日に日本航空の定期旅客機もく星号が伊豆大島火口付近の山腹に激突した航空機事故である。民間航空機としては第二次世界大戦後初めての事故とされる。
アメリカ人機長の飛ばすもく星号が消息を絶った当日午後、「浜名湖西南16キロの海上で…米軍救助隊が…全員救助」「舞阪沖…で遭難」など、いずれもアメリカ軍筋を出処とする複数の発表があり、これに捜索が振り回された結果、機体の発見は遭難から丸一日経ってからとなった。
この事故で大きな謎とされたのは、高度6千フィートで大島上空を通過するはずのもく星号が、海抜2千数百フィートの三原山に激突していることであった。運輸省による航空事故調査会は人為的なミスにしぼって、アメリカ人機長と航空管制センター(埼玉・アメリカ空軍ジョンソン基地内)との交信テープの提出をアメリカ軍に要請したが拒否され、タイプ打ちした紙の記録の提出で片づけられた。
航空事故調査会は一か月という異例の早さで調査を終えることとなり、事故原因は推定のまま残された。

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