甲信越
いの字山(いのじやま)
最終更新:やっくん
基本情報
| 標高 | 1280m |
|---|---|
| 場所 | 北緯36度06分11秒, 東経138度01分18秒 |
以下は山頂看板「いの字山の由来」より
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松本藩の絵地図にある東山に、「八峯山」・「いの字山」と二つの山名のみが記入されている。「いの字山」が江戸時代に有名な山であったことがわかる。この辺一帯は当時諏訪郡と筑摩郡二十ヶ村の入合池で採草地として利用されていた。いの字の形をした幅10メートル・長さ100メートルに及ぶ二層の安山岩崩落地は中山道を通る旅人の目をひき付け、その下から流れ出る清く冷たい水は旅の疲れを癒してくれたことであろう。
江戸時代の民俗学者菅江真澄は初冬に阿礼神社に参詣して「いの字山みねもふもともかきくれて、かゝれる雲や雪となるらむ」と詠んでいる。
名勝いの字山の名は後世にも引き継がれ、山裾のいの字原は吉川英治の「宮本武蔵」や中里介山の「大菩薩峠」に、宮本武蔵と棒術名人夢想権之助、机竜之助と若侍数人の決闘の場所として登場している。
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松本藩の絵地図にある東山に、「八峯山」・「いの字山」と二つの山名のみが記入されている。「いの字山」が江戸時代に有名な山であったことがわかる。この辺一帯は当時諏訪郡と筑摩郡二十ヶ村の入合池で採草地として利用されていた。いの字の形をした幅10メートル・長さ100メートルに及ぶ二層の安山岩崩落地は中山道を通る旅人の目をひき付け、その下から流れ出る清く冷たい水は旅の疲れを癒してくれたことであろう。
江戸時代の民俗学者菅江真澄は初冬に阿礼神社に参詣して「いの字山みねもふもともかきくれて、かゝれる雲や雪となるらむ」と詠んでいる。
名勝いの字山の名は後世にも引き継がれ、山裾のいの字原は吉川英治の「宮本武蔵」や中里介山の「大菩薩峠」に、宮本武蔵と棒術名人夢想権之助、机竜之助と若侍数人の決闘の場所として登場している。
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| 山頂 | |
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| 展望ポイント |
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