岐阜の山旅(下)
東海

最終更新:nagara
基本情報
標高 | 917m |
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場所 | 北緯35度36分36秒, 東経137度18分52秒 |
宮山は、捨薙山南西尾根が大野峠(無反峠)に至る手前のピークで、東白川村と白川町の境界線上に位置する。
行政区分上は上記町村に跨るが、里との繋がりは白川町(黒川地区)との方が強い。
これは、白川町黒川の佐久良太(さくらだ)神社の奥宮が祀られている関係であり、地元では「お山様」と指呼され親しまれている。
また、「続ぎふ百山」の「捨薙山」の項では、白川町出身の藤井丙午氏が中学時代に一ヶ月間、宮山の奥宮にこもって勉強に励んだエピソードが紹介されている。この藤井丙午氏は、元新日本製鉄副社長、元参議院員という肩書を持っていた。
以前は奥宮の北側に917.6mの三角点(点名:笹畑)が埋設されていたが、2024年に鞘堂が建設された際に廃点となり、その跡地付近に建つ柱にマジックで山名等が記載されており名残を留めている。
なお、当項の標高は旧三角点の標高ではなく、このマジックで記載されたものを採用した。
行政区分上は上記町村に跨るが、里との繋がりは白川町(黒川地区)との方が強い。
これは、白川町黒川の佐久良太(さくらだ)神社の奥宮が祀られている関係であり、地元では「お山様」と指呼され親しまれている。
また、「続ぎふ百山」の「捨薙山」の項では、白川町出身の藤井丙午氏が中学時代に一ヶ月間、宮山の奥宮にこもって勉強に励んだエピソードが紹介されている。この藤井丙午氏は、元新日本製鉄副社長、元参議院員という肩書を持っていた。
以前は奥宮の北側に917.6mの三角点(点名:笹畑)が埋設されていたが、2024年に鞘堂が建設された際に廃点となり、その跡地付近に建つ柱にマジックで山名等が記載されており名残を留めている。
なお、当項の標高は旧三角点の標高ではなく、このマジックで記載されたものを採用した。
山頂 |
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