北陸
最終更新:うみさま
基本情報
| 場所 | 北緯36度03分56秒, 東経136度13分15秒 |
|---|
| トイレ | |
|---|---|
| 水場 |
山の解説 - [出典:Wikipedia]
福井城(ふくいじょう)は、現在の福井県福井市大手にあたる越前国足羽郡北ノ庄(改め福居)のち福井にあった城。本丸の石垣と堀が残るが、二の丸、三の丸はほぼ消滅して市街地化している。形式は平城。本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされる。江戸時代には福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄える。現在、本丸跡地には福井県庁、福井県議会や福井県警察本部が庁舎を構えている。なお、本項目では福井城が築城される以前に同地に存在した北ノ庄城についても合わせて記す。前身となる北ノ庄城(北庄城、庄城とも)の築城年代は不明だが、南北朝時代には現在の福井市北庄・木田・板垣町付近に城郭が存在したようで、『日本城郭大系』11巻(1980年)は、福井藩主松平吉邦の命で享保5年(1720年)に編纂された『越前国古城跡并館屋敷蹟』(『城跡考』)の記載を引用して、これを延元3年/建武5年(1338年)に南朝方の新田義貞に対抗して北朝方の斯波高経が築いた城塞群「足羽七城」の1つに数えている。
その後、黒丸城に拠っていた朝倉貞景の子・朝倉頼景がこの地に館を築き、北庄朝倉家の拠点となったという。
織田信長配下の軍勢によって朝倉氏が滅亡した後、信長は越前支配のために、朝倉氏旧臣の前波長俊を一乗谷の守護代に任じた。また、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益の3名に自らの意思を伝達する役割を持たせ、北庄の朝倉景行の館に配置した。簡易な前線基地か砦程度の物であったと推定されている。後に信長は越前49万石を柴田勝家に与えた。
北ノ庄城には柴田氏が天正3年(1575年)に築城した「柴田氏北ノ庄城」と、その跡地に結城氏が慶長6年(1601年)に築城または改築した「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とがある。現在見られる福井城の遺構は結城氏によるものである。
柴田氏北ノ庄城と結城氏北ノ庄城との関係について、柴田氏のものを結城氏が改築したもの、柴田氏のものの跡に結城氏によってまったく別の城として築かれたものという解釈がある。現状では前者の調査がほとんど進んでいないため不明である。そのため前者と後者を区別しないこともある。
2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(137番)に選定された。
福井市は坤櫓、巽櫓、艮櫓、瓦御門、瓦御門橋、北不明御門、多聞櫓、土塀を木造復元する計画や2040年迄に福井県庁を中央公園に移転する計画も有る。
付近の山
この場所を通る登山ルート
この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。

福井城の山行記録へ







Loading...