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記録ID: 2988754
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ハイキング
近畿

観音坂十一面観音磨崖仏〜大神田阿弥陀不動双体磨崖仏〜藤尾城跡

2021年03月11日(木) [日帰り]
 - 拍手
体力度
4
1泊以上が適当
GPS
08:28
距離
32.2km
登り
1,382m
下り
1,333m
歩くペース
速い
0.80.9
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

笠置山周辺の石仏を巡った後、藤尾城を見てきました。

YAMAP版の方が写真が多いです。
https://yamap.com/activities/10209973
天候 晴れ時々曇り
過去天気図(気象庁) 2021年03月の天気図
アクセス
コース状況/
危険箇所等
大神田阿弥陀不動双体磨崖仏へは道がありません。墓地道はあちこちで道が崩れており、橋が渡されています。ただその橋がどれだけ安定しているかは確証が持てませんので、橋の状態を慎重に見極めて渡る必要があります。
民家の庭先へ入り込むような路地を辿って、打滝川の左岸(西側)を南へ歩くと、事務所か倉庫のような建物に突き当たります。観音坂十一面観音磨崖仏へは、その裏手の道を登ります。
2021年03月10日 11:09撮影 by  X-T20, FUJIFILM
3/10 11:09
民家の庭先へ入り込むような路地を辿って、打滝川の左岸(西側)を南へ歩くと、事務所か倉庫のような建物に突き当たります。観音坂十一面観音磨崖仏へは、その裏手の道を登ります。
観音坂十一面観音磨崖仏への山道は、あちこちプラスチックの板と鉄の棒で階段が整備されていて、思いの外人の手が入っていました。この道は、かつては狭川あるいは阪原へ抜ける山越えの街道だったそうです。確認していませんが、現在は木津川カントリークラブで行き止まりとなっているようです。
2021年03月10日 11:13撮影 by  X-T20, FUJIFILM
3/10 11:13
観音坂十一面観音磨崖仏への山道は、あちこちプラスチックの板と鉄の棒で階段が整備されていて、思いの外人の手が入っていました。この道は、かつては狭川あるいは阪原へ抜ける山越えの街道だったそうです。確認していませんが、現在は木津川カントリークラブで行き止まりとなっているようです。
観音坂十一面観音磨崖仏(室町中期)。
2021年03月10日 11:18撮影 by  X-T20, FUJIFILM
3/10 11:18
観音坂十一面観音磨崖仏(室町中期)。
かさぎゴルフ倶楽部から北にすぐ、坂を上りきったあたりにある道標。「史の道ハイキングコース」の看板の右側に「石あて地蔵(台座のみ)」があります。この看板の左側に、道標がありますが、大神田(オオジンダ)阿弥陀不動双体磨崖仏へは、看板と道標の間から、古い道の痕跡を谷の下へ下りて行きます。
2021年03月10日 12:32撮影 by  X-T20, FUJIFILM
3/10 12:32
かさぎゴルフ倶楽部から北にすぐ、坂を上りきったあたりにある道標。「史の道ハイキングコース」の看板の右側に「石あて地蔵(台座のみ)」があります。この看板の左側に、道標がありますが、大神田(オオジンダ)阿弥陀不動双体磨崖仏へは、看板と道標の間から、古い道の痕跡を谷の下へ下りて行きます。
意外にも平坦で広い谷底をしばらく歩くと、谷の真ん中に二階建ての家ほどもある巨大な岩が見えてきました。

「南山城 石仏の里を歩く」の著者である石田正道さんは、「ふるさと案内かも」で当尾などの案内人をされていることがあり、いろいろお話を伺う機会があったのですが、石田さんは「この辺りはどこを下りても全て同じ谷に集まる。その谷を少し歩くと谷の真ん中に大きな岩があるからすぐわかる」とおっしゃっていました。

まさにその通りで、谷の真ん中の大岩は遠目にも異様な存在感を放っていました。
2021年03月10日 12:38撮影 by  X-T20, FUJIFILM
3/10 12:38
意外にも平坦で広い谷底をしばらく歩くと、谷の真ん中に二階建ての家ほどもある巨大な岩が見えてきました。

「南山城 石仏の里を歩く」の著者である石田正道さんは、「ふるさと案内かも」で当尾などの案内人をされていることがあり、いろいろお話を伺う機会があったのですが、石田さんは「この辺りはどこを下りても全て同じ谷に集まる。その谷を少し歩くと谷の真ん中に大きな岩があるからすぐわかる」とおっしゃっていました。

まさにその通りで、谷の真ん中の大岩は遠目にも異様な存在感を放っていました。
巨大な岩の右(東)側に回ると、大神田(オオジンダ)阿弥陀不動双体磨崖仏がありました。写真だとわかりにくいですが、石仏の四角い枠は、真下に立って手を伸ばしても全然届かない高さにあります。
2021年03月10日 12:40撮影 by  X-T20, FUJIFILM
3/10 12:40
巨大な岩の右(東)側に回ると、大神田(オオジンダ)阿弥陀不動双体磨崖仏がありました。写真だとわかりにくいですが、石仏の四角い枠は、真下に立って手を伸ばしても全然届かない高さにあります。
かつてはこの大岩の前に、下流へ続く道があったのかもしれませんが、今は岩の前に水の流れがあり、山の急斜面を巻く細い獣道を歩くしかありません。

ところで、この写真は下流側から上流側を撮影したものです。大岩より上流の地面が一段高くなっているのがわかると思います。

つまり、この大岩が天然の砂防ダムとなって、上流の土砂を堰き止め、この大岩より上流に、谷底が平坦な谷を形作ったように見えます。

ちなみにこの大岩より下流は、大小の岩が散らばり、とても耕作可能には思えませんでした。

このあたりを大神田(オオジンダ)と言うそうですが、この大岩が磐座として信仰されていたとすれば、まさにこの大岩が水田を作り出したわけですから、実にこの地にふさわしい名前だと思います。
2021年03月10日 12:46撮影 by  X-T20, FUJIFILM
3/10 12:46
かつてはこの大岩の前に、下流へ続く道があったのかもしれませんが、今は岩の前に水の流れがあり、山の急斜面を巻く細い獣道を歩くしかありません。

ところで、この写真は下流側から上流側を撮影したものです。大岩より上流の地面が一段高くなっているのがわかると思います。

つまり、この大岩が天然の砂防ダムとなって、上流の土砂を堰き止め、この大岩より上流に、谷底が平坦な谷を形作ったように見えます。

ちなみにこの大岩より下流は、大小の岩が散らばり、とても耕作可能には思えませんでした。

このあたりを大神田(オオジンダ)と言うそうですが、この大岩が磐座として信仰されていたとすれば、まさにこの大岩が水田を作り出したわけですから、実にこの地にふさわしい名前だと思います。
貞慶上人のお墓。地元では「上人墓(しょうにんばか)」と呼ばれているそうです。

貞慶は承元2(1208)年、観音信仰に関心を持ち、海住山寺に移りました。そして建暦3(1213)年、貞慶は海住山寺で入寂しました。59歳でした。

海住山寺にも貞慶のお墓があります。おそらくゆかりの深い両寺で分骨したものと思われます。
2021年03月10日 13:18撮影 by  X-T20, FUJIFILM
1
3/10 13:18
貞慶上人のお墓。地元では「上人墓(しょうにんばか)」と呼ばれているそうです。

貞慶は承元2(1208)年、観音信仰に関心を持ち、海住山寺に移りました。そして建暦3(1213)年、貞慶は海住山寺で入寂しました。59歳でした。

海住山寺にも貞慶のお墓があります。おそらくゆかりの深い両寺で分骨したものと思われます。
下狭川城跡。土塁と空堀でしょうか。奥の切岸の上に、昭和初年まで、狭川氏のお屋敷があったそうです。
2021年03月10日 15:10撮影 by  X-T20, FUJIFILM
3/10 15:10
下狭川城跡。土塁と空堀でしょうか。奥の切岸の上に、昭和初年まで、狭川氏のお屋敷があったそうです。
かなり深い空堀。藤尾城趾は、1992年に永井隆之氏によって発見されました。
2021年03月10日 15:40撮影 by  X-T20, FUJIFILM
1
3/10 15:40
かなり深い空堀。藤尾城趾は、1992年に永井隆之氏によって発見されました。
土塁の跡。藤尾城の土塁は、各曲輪の東側と、どちらかとえば北側に築かれていました。

東側には道があります。そして北側には、下狭川城があります。

藤尾城は狭川氏の山城とも言われます。しかし狭川氏の山城とすると、北側の土塁の方が高いのは不自然です。

奈良市史では、筒井順慶が狭川氏の動きを制するため、戦国時代末期に築いた陣城だろうとしていますが、実際に現地を見ると、こちらの説に説得力を感じました。

藤尾城の南側は、薬師堂があったとされる場所ですから、元々あった山岳寺院を陣地として利用しつつ、狭川氏を睨んで寺院北側の尾根筋を陣城として造成したのではないかと思います。
2021年03月10日 15:41撮影 by  X-T20, FUJIFILM
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3/10 15:41
土塁の跡。藤尾城の土塁は、各曲輪の東側と、どちらかとえば北側に築かれていました。

東側には道があります。そして北側には、下狭川城があります。

藤尾城は狭川氏の山城とも言われます。しかし狭川氏の山城とすると、北側の土塁の方が高いのは不自然です。

奈良市史では、筒井順慶が狭川氏の動きを制するため、戦国時代末期に築いた陣城だろうとしていますが、実際に現地を見ると、こちらの説に説得力を感じました。

藤尾城の南側は、薬師堂があったとされる場所ですから、元々あった山岳寺院を陣地として利用しつつ、狭川氏を睨んで寺院北側の尾根筋を陣城として造成したのではないかと思います。
撮影機器:

感想

大神田阿弥陀不動双体磨崖仏は谷の真ん中にある大岩がものすごい迫力で感動しました。

藤尾城跡も素人目にも遺構がよくわかり、おもしろかったです。

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