記録ID: 3246135
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ハイキング
中国
Gassan Toda Castle(月山富田城)
2021年06月05日(土) [日帰り]

体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:01
- 距離
- 3.6km
- 登り
- 169m
- 下り
- 155m
コースタイム
| 過去天気図(気象庁) | 2021年06月の天気図 |
|---|---|
| アクセス |
写真
いつの時代に建造されたものかはわかりませんが、かなり堅固な石垣の積み方をしてあります。一国一城令がでて出雲は松江城を残して他は破却されてしまったようですが、石垣から往時がしのばれます。
眼下に流れる川沿いに街道が走りますが、ここからすべて見渡すことができます。上杉謙信の春日山城もそうでしたが、見張り台になるところは大軍が移動してくる街道沿いを把握できる位置にありますね。
二の丸に登ります。山の上のはずなので、なんでこんなに段があるのでしょうか?わざとつくったのか自然なものか。いずれにせよ三の丸に入ってから、本丸の奥まで結構な防御線を引くことができそうです。
毛利の進軍ルートと尼子の防衛を表した図です。兵糧攻めを毛利軍は選択していますが、最初からごり押しは効かないとの判断だと思います。息子の吉川元春と小早川隆景のルートは急すぎて、尼子川の抵抗を受けながら登り切れるとはおもえません。
二の丸は本丸とは分離されています。二の丸を制圧したら、また方向転換をして狭い通路を通って本丸に行かないとダメです。そうなると狭い通路で迎撃できます。二の丸をほっておくと上から迎撃されます。こういうめんどくささって城づくりでは重要だと思います。
山中鹿介を祀った慰霊塔です。月山富田城攻めもそうですが、毛利軍は親子の連携で見事に3方面作戦をとっています。連絡手段の限られた時代に、これはすごいことではないでしょうか。厳島の戦いをみても毛利軍の連係プレーの鮮やかさは見事。これが幕末の高杉晋作や大村益次郎に受け継がれているとしか思えません。
毛利勢による兵糧攻めにより月山富田城は落城しています。ここまでぐるっと城のエリアを見て回っていますが、ほんとうに登山道以外はかなり急峻な崖になっていて、力業では落とせないと思います。
感想
100名城めぐりで月山富田城のある月山に登っています。今回、登山というより90%お城巡りの解説になってしまいました。山城はそこそこいってるつもりですけど、こんなに(誉め言葉として)嫌な感じのするお城はなかなかないと思います。
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Takashi Shimojima








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