記録ID: 3327594
全員に公開
ハイキング
九州・沖縄
長崎街道(大村宿〜長崎)
2021年08月21日(土) [日帰り]

体力度
5
1泊以上が適当
- GPS
- 08:29
- 距離
- 50.7km
- 登り
- 868m
- 下り
- 868m
コースタイム
| 天候 | 10:35 長崎県大村市 曇り 29℃ 13:32 長崎県諫早市 曇り 31℃ 19:07 長崎県長崎市 曇り 30℃ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2021年08月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
バス
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
大部分舗装路歩きだが峠越えには未舗装路あり。大村宿〜永昌宿の日野峠越えは数km登山道が続く。 旧日見トンネルから日見峠への最初の登りはかなり荒れていた。蜘蛛の巣と棘のある草繁茂。 |
写真
12:34
大村宿〜永昌宿
日野峠越え。大村藩と佐賀藩諫早領の藩境。この辺りはかつての山道の景観が残ってて歴史の道百選に選定されてる。ちょっと石畳残ってたのは嬉し。もう少し諫早側へ下りると大渡野番所跡がある。
大村宿〜永昌宿
日野峠越え。大村藩と佐賀藩諫早領の藩境。この辺りはかつての山道の景観が残ってて歴史の道百選に選定されてる。ちょっと石畳残ってたのは嬉し。もう少し諫早側へ下りると大渡野番所跡がある。
13:19
永昌宿
長崎街道塩田宿から有明海側をゆく多良街道との合流地点。写真の橋は諫早城跡に架かる国重文の眼鏡橋。1839年に架けられ50mの長さは江戸期に造られた石橋としては日本一の長さ。
永昌宿
長崎街道塩田宿から有明海側をゆく多良街道との合流地点。写真の橋は諫早城跡に架かる国重文の眼鏡橋。1839年に架けられ50mの長さは江戸期に造られた石橋としては日本一の長さ。
16:41
矢上宿
島原街道との追分であった宿場町。この辺りの中心地として栄えていたとのこと。明治初め頃に解体されるまで左の自動車学校辺りに本陣が建ってた。ちなみに脇本陣は小学校になってる。
矢上宿
島原街道との追分であった宿場町。この辺りの中心地として栄えていたとのこと。明治初め頃に解体されるまで左の自動車学校辺りに本陣が建ってた。ちなみに脇本陣は小学校になってる。
17:08
日見宿
長崎方面最後の宿場町。日見峠越え前後の人馬中継所としての役割の宿場だったらしい。むかし旧日見峠は馬で越えるのは難しかっただろうから小倉からきた人はここで馬を下りて歩き、長崎からきた人はここで馬に乗ったのだろうと推測。
日見宿
長崎方面最後の宿場町。日見峠越え前後の人馬中継所としての役割の宿場だったらしい。むかし旧日見峠は馬で越えるのは難しかっただろうから小倉からきた人はここで馬を下りて歩き、長崎からきた人はここで馬に乗ったのだろうと推測。
17:40
日見宿〜長崎
西の箱根と言われた難所だった日見峠。こちらは明治期に開削された新道。峠を33mも掘って整備した道。整備後は整備費用を回収するため通行料をとってたそう。この峠を越えると長崎市街まで下り道。
日見宿〜長崎
西の箱根と言われた難所だった日見峠。こちらは明治期に開削された新道。峠を33mも掘って整備した道。整備後は整備費用を回収するため通行料をとってたそう。この峠を越えると長崎市街まで下り道。
撮影機器:
感想
長崎街道の大村宿から長崎出島までの区間(大村宿〜永昌宿〜矢上宿〜日見宿〜長崎)を歩いてきた記録。
宿場町の旧い街並みは残ってなかったけど日野峠の石畳、馬に乗ったままでは越えられないだろう旧日見峠越え、路傍の恵比寿様たち。脇往還という位置づけの道だが古道感が残っていて五街道と遜色ないくらい味があった。
●小倉〜大村宿の記録
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3122856.html
●参考にしたホームページ
日本の街道地図と走り歩き旅
http://kaidourun.livedoor.blog/archives/cat_192545.html
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:469人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
higashino9














いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する