岡山県吉備中央町 化氣神社〜本宮山 雲海&紅葉&好展望&動植物



- GPS
- 04:32
- 距離
- 13.0km
- 登り
- 416m
- 下り
- 425m
コースタイム
- 山行
- 3:40
- 休憩
- 0:52
- 合計
- 4:32
歩行距離13km、歩行時間3時間30分、歩行数19,500歩、消費カロリー1,890Kcal
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所やヤブコギはありません。 化氣(けぎ)神社の駐車場からチロリン村キャンプグランド<写真10〜12>を経て本宮山登山口のゲート(青空に映えるコハウチワカエデ<写真46>撮影地点のすぐ西)までは舗装道路、登山口から西は基本、砂利道や歩きやすい土の作業道です。 本宮山北から頂上に延びる道のみ粘土でたまに苔が生えていますが、気を付ければ濡れていても滑りません。 化氣(けぎ)神社北土道の鳥居<写真07>から南下する土道は、低い植物がまばらに生えており、よけて歩けます。シダが足に当たるのはほんの一部で道は明瞭でしたが、なぜか前回にはあった神社への分岐には気づかず、直進したら「化気郷土自然保護地域」の案内板の裏から舗装道路に出ました。実は、往路で神社からこの道に入ろうとしたのですが、よくわからなかったので舗装道路を歩きました。神社周辺はヤブ化しているのかもしれません。 |
その他周辺情報 | 化氣(けぎ)神社の駐車場の南西、国道429号線沿いに道の駅「かもがわ円城」があります。周辺も紅葉が見頃でした。この時季は観賞用の巨大カボチャが入口にたくさん飾ってあることが多いです。 |
写真
備前焼の獅子&狛犬
狛犬が伝来した際、日本人はこれを犬と勘違いしてしまいました。口が開いている阿像は角がない獅子、口を閉じている吽(うん)像は角がある狛犬です。このセットが本来の形ですが、最近は両方とも角なしの獅子のほうが多く、これらも狛犬と呼ばれています。
吉備津彦命が吉備国に派遣された際に、海神で食物の神様でもある伊奢沙和氣神(いざさわけのかみ)を本宮山頂上に祀られました。福井県敦賀市の氣比(けひ)神宮を勧請したものとされています。賽銭箱に描かれた社紋は鹿の角のデザインです。
通称はおけぎ様です。勧請した氣比(けひ)神宮の伊奢沙和氣神(いざさわけのかみ)をはじめ、奈良県の春日大社のご祭神である武甕槌尊(たけみかづちのみこと)、經津主命(ふつぬしのみこと)、 天兒屋根尊 (あまのこやねのみこと)、比賣大神(ひめおおかみ)をお祀りしています。
コハウチワカエデ
「化気郷土自然保護地域」の案内板の横です。今回も紅葉が期待できそうです(*^^*)復路では化氣神社北土道の鳥居<写真07>をくぐってここに出てきました。
コハウチワカエデ
オオイタヤメイゲツやハウチワカエデなどに似ています。葉柄も葉の長さも5cm前後と少し小さく、葉の基部はハート形にならないことも多いです。葉は7〜9裂します。紅葉は終盤かと思っていたら、今回は色づきかけのほうが多かったです。
ノコンギクとは違い、葉には毛がほとんどなく、葉柄もほぼないように見えます。花は直径3cm前後とシロヨメナ<写真17>よりも大きく、あまり枝分かれしない茎の先端に1つずつつきます。この2輪だけでした。
「高富開拓」
チロリン村キャンプグランドの管理棟横の駐車場の向かいです。バスケットゴール脇のこんもりした一角のてっぺんにあります。我々以外はみんな無関心でしたが(+o+)
2本並んでおり、どちらも3〜4分咲きでつぼみがたくさんありました。花の形を保ったまま落ちるのがツバキ、花弁がバラバラに散るのがサザンカとされていますが、最近はその区別も難しくなりました。この時季にバラバラ散っていたら、サザンカの可能性が高いです。
キャンプグランドより雲海
テニスコートの南西、チロリン村の園内図の横です。北北西方面に雲海越しに向かって左から星山(ほしがせん)、五輪山、櫃ヶ山(ひつがせん)が見えました。動画も撮りました。ちなみに、天気が良ければ、星山の右に大山(だいせん)、櫃ヶ山の右に蒜山(ひるぜん)が見えるようです。
コハウチワカエデ
本宮山登山口のゲートの少し西です。色とりどりの紅葉が映えます。動画も撮りました。この周辺には色づきかけの木が2,3本ありました。ここまでに見た紅葉する木は色づきかけが多く、しばらく楽しめそうです。
杉の木に生えているカサの直径1〜6cmの白いキノコはたいていこれです。「スギヒラタケは食べないで!」農林水産省食品安全に関するメッセージで唯一固有名詞が使われています。意識障害やけいれんを起こしたり、腎臓病を発症して死亡する例が報告されているので、見るだけにしましょう。
星山から櫃ヶ山
左奥が星山(ほしがせん)、右奥が櫃ヶ山(ひつがせん)です。稜線がまるで墨絵のように見えました。予報よりも天気が良かったので、展望が楽しめる本宮山北側の道を先に歩くことにして正解でした。星山の右に見えるはずの大山(だいせん)は次回のお楽しみ(*^^*)
ノコンギクとは違い、葉には毛がほとんどなく、葉柄もほぼないように見えます。花は直径2cm前後とノコンギクやヨメナ<写真09>よりも小さく、花が付く茎はよく枝分かれし密集して咲きます。花色は白ですが、たまにこのように青紫色を帯びることがあるようです。星山から櫃ヶ山<写真16>撮影地点辺りから見られるようになり、次第にシロヨメナロードになりました。
天子山&二上山
標高530m峰の頂上付近が伐採され、展望地と化していました。まずは北北東方面を望みました。中央より少し左奥の尖っているのが美咲町の天子(あまご)山、その右の双耳峰の左が二上(ふたかみ)山の三角点があるほうです。
星山&櫃ヶ山&三坂山
北北西方面には、最奥左端に星山(ほしがせん)、中央に櫃ヶ山(ひつがせん)、右端に三坂山(みさかやま)が見えました。さらに天気がよくなりそうだったので、ピストンに予定変更、復路でもここに立ち寄ることにしました。
「本宮山」
標高582.8mの本宮山頂上三角点です。かつてここに化氣(けぎ)神社<写真01〜04>があったので周辺は広く、現在も神社の所有地になっています。展望は効きませんが、ゆっくり休憩できます。
かつては本宮山南南西の山の神峠に祀られていましたが、昭和20年代の道路拡張工事の際に本宮山頂上に遷座されました。ご祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)です。前回にはなかった屋根と扁額がありました。大事にされているようです。
本宮山から牛窓の海に差した霊光のご利益で病が治癒した嵯峨皇子(さがのおうじ)が、白鹿に導かれお礼参りを果たせたため、「いさざ王」という鹿角をご祭神とし祀ったという伝説があります。「いさざ王」は化氣(けぎ)神社<写真01〜04>の神宝とされています。
晴れの国岡山に多い龍王宮です。雨乞いの神様が祀られています。前回もそうでしたが、見えてはならない内部が丸見えです。確かに、近年は雨が増えたので雨乞いの必要もなくなったのでしょうが、山神宮<写真21>との扱いの差が(-_-;)
直径7〜10mmの小さな花がひょろんと10cm前後に伸びた茎の先端につきます。実は、この花はさらに小さな花が3つ集まったものです(*_*;往路では気づきませんでしたが、下り始めてすぐに連れが大騒ぎしました。周辺に数株、道の真ん中から少しでもずれると踏みそうでした。
浅く3〜5裂した葉はホソエカエデに似ていますが、岡山県内のはウリハダカエデと考えてよさそうです。葉の色は色づきかけでどす黒いものから黄色っぽいもの、そこそこ赤いものと様々でした。
ホオジロ♀
胸からお腹が薄茶色で斑紋がありません。オスの顔には白黒の縞模様がありますが、メスはこのように模様も薄く茶色です。もう1羽いたようで、動画にはチチチという鳴き声が入っています。
同じ杉の切り株です。カサの直径は3cm前後で、表側には毛が生えており、ビロードのような手触りでした。もこもこの姿も淡い色合いも可愛いキノコです。これも食用には向かないようです。
見えている葉はニガイチゴ<写真41>のものです。花も直径5mm程の実も可愛らしく、蔓を剪定したりしなければ匂いません。ちなみに、ヘクソ(屁糞)と名が付きますが、トイレではなく、正露丸のようなにおいです。それほど嫌なものではないのですが、なにしろきついので閉口します(-_-;)
クマイチゴよりも葉が小さく長さは5cm前後です。葉の形は基本3裂で、先端が丸みを帯びることも多いようです。樹高数十cmの木を何度も見かけましたが、紅葉半ばでどす黒いのが多く、これが一番いい色でした。
杉林越しに大平山
朝よりも天気がよくなったので、再びのぞいてみることにしました。西方面には伐採地と作業道の奥に杉林、さらに奥に大平山が見えています。写真中央より少し左だと思います。
本宮山
振り返ると作業道の向こうに本宮山が見えました。ここから360度パノラマ展望を動画に撮りました。今回は大山(だいせん)や蒜山(ひるぜん)は無理でしたが、前回は展望が楽しめなかったのでこれで十分です(^^♪
法面を見上げるとちょうど日に照らされて光り輝いて見えました。葉は3枚セットで黄色く色づいているのでタカノツメかもしれません。本宮山の登山道に同じような葉がたくさん落ちていたのを思い出しました。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
手袋(防水加工)
軍手
雨具
スパッツ
日よけ帽子(フード付き)
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
アタックザック
ザックカバー(防水用)
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
タオルハンカチ
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(地図アプリ使用)
eTrex22x(GPSナビゲーター)
虫よけスプレー
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感想
【紅葉に始まり紅葉で終わる】
出発点は化氣(けぎ)神社です。周辺は「化気郷土自然保護地域」に指定され、樹齢300余年のスギ、ヒノキなどの巨樹をはじめ、ヤブツバキ、モミなど豊富な植生を有しています。その一部は参道になっており、復路で歩きました。
紅葉には無縁の植物ばかりかと思いきや、駐車場ではイチョウの黄葉、鳥居の入口付近ではコハウチワカエデの紅葉と出だしから紅(黄)葉シーンが見られました(^^)/舗装道路沿いもところどころ色づきかけのカエデなどが目を楽しませてくれました。行きと帰りで同じコースを歩いたため、陽の当たり具合によって紅葉の見え方に変化があり、復路でも紅葉を楽しむことができました。
また、ムラサキシキブやサルトリイバラなどの色鮮やかな実、キッコウハグマなどの可憐な花、器用にススキの実を食べるホオジロのメスなど、動植物もこの時季にしては多彩でした(^^♪
【展望地が多い本宮山】
今回は標高400m前後から600m足らずの低山コースで、午後3時頃まで曇りという天気予報でしたので、展望については半ば諦めていました。
最初に展望が効いたのはチロリン村キャンプグランドでした。オートキャンプ場でこの日は自動車を10台くらい見かけました。テニスコート近くのチロリン村の園内図の横から北北西方面を望むと、予期せぬ雲海の向こうに星山(ほしがせん)、櫃ヶ山(ひつがせん)など真庭市にある山々がうっすらと見えました。しかし、星山の右奥にあるはずの大山(だいせん)、櫃ヶ山の右奥の蒜山(ひるぜん)は残念ながら見えませんでした(-_-;)ここは岡山県の真ん中なので、県北の山が見えただけでもラッキーです。
当初は本宮山の南側から北側に反時計回りの予定でしたが、予想よりも天気が良かったので、より展望の効く本宮山北側から歩くことにしました。前回は雨上がりで展望は全く楽しめず、代わりに動植物観察を堪能しました。
2019年7月21日https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1936895.html
今回は期待通り、この後、展望地が次々と出てきました。今年行われた大規模な植林帯伐採のせいでしょうか、登山口ゲートからの砂利道は前回よりも広々として頭上には青空が見え、上に行くほど伐採地に続く作業道の入口が増えました。小石がゴロゴロした細い作業道はすぐに行き止まりになりますが、あっちこっちの伐採地から多方面が見渡せるようです。その中でも本宮山頂上の北北西にある標高530m小ピークは展望地と化しており、360度パノラマ展望を楽しむことができました。
本宮山頂上は展望が効きませんが、開けておりゆっくり休憩できます。ここからさらに北東に進んだきれいな砂利道からは眼下に旭川が見えました。霞んでいなければ東方面の山々が見渡せます。
北西に方向転換した砂利道は不意に行き止まりになりました。植林帯に上がると踏み跡を辿って周回できるようですが、今回はおとなしく引き返し、さらにクリアになった展望を楽しみました(*^^*)
【化氣(けぎ)神社にまつわる鹿伝説の謎】
最初に訪問した化氣(けぎ)神社はなぜか鹿と関係が深いようです。
まずは、本宮山頂上にある海神社のご祭神です。本宮山から牛窓の海に差した霊光のご利益で病が治癒した嵯峨皇子(さがのおうじ)が、白鹿に導かれお礼参りを果たせたため、「いさざ王」という1尺8寸4分の鹿角をご祭神とし祀ったという伝説があります。この「いさざ王」は化氣(けぎ)神社の神宝とされており、そのため、社紋は鹿の角のデザインです。
化氣神社は福井県敦賀市の氣比(けひ)神宮を勧請したものですが、ここには角鹿(つぬが)神社という境内社があり、敦賀の地名の由来とされています。
また、化氣神社は後に奈良県の春日大社のご祭神もお祀りしました。春日大社といえば、鹿は神様のお使いとされています。
これらの妙な鹿との縁には、大和国が関係していそうです。ヒントになるのは、化氣神社の由緒です。
吉備津彦命(きびつひこのみこと)が大和国から吉備国に派遣された際に、氣比(けひ)神宮のご祭神である伊奢沙和氣神(いざさわけのかみ)を本宮山頂上に祀られました。吉備津彦命は、吉備国に君臨していた温羅(うら)という鬼を退治し吉備国を平定したとされ、桃太郎のモデルといわれています。鹿の角は大和国の象徴、大和国の支配の印ではないでしょうか。
そう考えてみると、化氣神社の名前にまつわる伝説もまた違ってみえてきます。福井県敦賀市の氣比(けひ)神宮を勧請した際、神社名をど忘れした使者が比氣(ひけ)と間違えて報告、氣比(けひ)ちゃうんかいと困った宮司が比(ひ)ではなく化(け)の文字を当てたという言い伝えがあります。確かに、化氣(けぎ)神社なら氣比(けひ)神宮と音が似ていますし、漢字で化氣(けぎ)と書けば比氣(ひけ)と字形が似ていなくもありません。宮司の苦肉の策だというのですが、勝手に名前を考えることなどあるのでしょうか。
これは吉備国に侵攻し勝利を収めた大和国に対する宮司のささやかな抵抗だと考えられないでしょうか。ご祭神や社紋は言うとおりにせざるを得なかったものの、完全に大和国のいいなりにはなりたくないと名前だけは微妙に変更、勘違いだの聞き間違いだのと言い訳し、このくらいならと許してもらったのかもしれません。
伝説には支配する者、される者の歴史が垣間見られるようで勝手に想像をふくらませてみるのも楽しいものです。いや、攻め込まれて負け、鬼よばわりされた岡山県民の歴史って、楽しいもんじゃないか(-_-;)
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