二上山駅
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11/18 7:52
二上山駅
専称寺
本尊として祀られている十一面観音像は檜材の一木造りで造られ、平安時代中期(十世紀)頃の特色で、香芝市では現存する最古の木造仏だそうです。
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11/18 8:01
専称寺
本尊として祀られている十一面観音像は檜材の一木造りで造られ、平安時代中期(十世紀)頃の特色で、香芝市では現存する最古の木造仏だそうです。
春日神社
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11/18 8:04
春日神社
二上山登山口
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11/18 8:08
二上山登山口
旗城(岡城)址の説明板
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11/18 8:09
旗城(岡城)址の説明板
二上山登山口
通過した後は必ず閉めておきましょう。
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11/18 8:09
二上山登山口
通過した後は必ず閉めておきましょう。
二上山雄岳山頂
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11/18 9:42
二上山雄岳山頂
城経塚二十八宿 第二十六番経塚
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11/18 9:47
城経塚二十八宿 第二十六番経塚
大津皇子二上山墓
天武天皇(てんむてんのう)の第3皇子に生まれましたが、あまりに勇敢で聡明な資質のために24歳で謀反の罪をきせられ、死罪になりました。
二上山の麓にある横口式石槨を備えた鳥谷口古墳が本墓との説もあります。
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11/18 9:46
大津皇子二上山墓
天武天皇(てんむてんのう)の第3皇子に生まれましたが、あまりに勇敢で聡明な資質のために24歳で謀反の罪をきせられ、死罪になりました。
二上山の麓にある横口式石槨を備えた鳥谷口古墳が本墓との説もあります。
葛木二上神社
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、二つの山頂を持つ「二上山」を神体山として神を祀った素朴な山岳信仰に始まったことが考えられます。
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11/18 9:47
葛木二上神社
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、二つの山頂を持つ「二上山」を神体山として神を祀った素朴な山岳信仰に始まったことが考えられます。
二上白玉稲荷大神
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11/18 9:48
二上白玉稲荷大神
二上山城跡
楠木氏河内国七城の一つであると思われているが確証がない。室町時代初期、河内国守護畠山氏が高屋城の支城として二上山城を設けたとも思われている。
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11/18 9:42
二上山城跡
楠木氏河内国七城の一つであると思われているが確証がない。室町時代初期、河内国守護畠山氏が高屋城の支城として二上山城を設けたとも思われている。
二上山城跡
明応8年(1499年)に大和国へ入国した赤沢朝経が二上山城に入城して畠山尚順をはじめとする筒井氏、十市氏に従う国人衆を制圧した。
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11/18 9:49
二上山城跡
明応8年(1499年)に大和国へ入国した赤沢朝経が二上山城に入城して畠山尚順をはじめとする筒井氏、十市氏に従う国人衆を制圧した。
馬ノ背
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11/18 9:59
馬ノ背
二上山雌岳山頂
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11/18 10:08
二上山雌岳山頂
岩屋
鹿谷寺と共に、我が国で唯一の大陸風の石窟寺院ですが、文献にも何ら記録がなく、どのような氏族が造営にかかわったのかもわからない、謎の多い寺跡です。
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11/18 10:28
岩屋
鹿谷寺と共に、我が国で唯一の大陸風の石窟寺院ですが、文献にも何ら記録がなく、どのような氏族が造営にかかわったのかもわからない、謎の多い寺跡です。
岩屋
奈良時代に造られた大小2基の石窟から成る石窟寺院です。大きいほうの石窟は、幅7.6メートル、高さ6.14メートル、奥行4.5メートルの規模をもち、中央には凝灰岩で造られた石塔があります。
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11/18 10:28
岩屋
奈良時代に造られた大小2基の石窟から成る石窟寺院です。大きいほうの石窟は、幅7.6メートル、高さ6.14メートル、奥行4.5メートルの規模をもち、中央には凝灰岩で造られた石塔があります。
岩屋杉
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11/18 10:29
岩屋杉
石切場跡
ここから産した石材は、二上山凝灰岩です。
古墳時代終末期に奈良県明日香村高松塚古墳、マルコ山古墳の横口式石槨の石槨材として利用されています。
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11/18 10:35
石切場跡
ここから産した石材は、二上山凝灰岩です。
古墳時代終末期に奈良県明日香村高松塚古墳、マルコ山古墳の横口式石槨の石槨材として利用されています。
万葉の森登山口
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11/18 10:45
万葉の森登山口
河内国山田郷役行者遺跡
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11/18 10:54
河内国山田郷役行者遺跡
竹内峠
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11/18 10:56
竹内峠
竹内峠
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11/18 10:58
竹内峠
鶯の関跡
徳治2年(1307年)に、竹内峠に設けられたとされる関所跡。
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11/18 11:38
鶯の関跡
徳治2年(1307年)に、竹内峠に設けられたとされる関所跡。
鶯の関跡
道路脇にある公園の片隅とそこから坂道を登った府県境の石碑の2箇所に鶯の関跡の表示ありました。
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11/18 11:39
鶯の関跡
道路脇にある公園の片隅とそこから坂道を登った府県境の石碑の2箇所に鶯の関跡の表示ありました。
三ツ塚古墳群7号墳
割り石を使って石室を築いています
石室内には未盗掘の二上山凝灰岩製の刳抜式石棺がありました
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11/18 11:59
三ツ塚古墳群7号墳
割り石を使って石室を築いています
石室内には未盗掘の二上山凝灰岩製の刳抜式石棺がありました
三ツ塚古墳群7号墳
7世紀後半に築造されたと見られています
7号墳は東側から移築保存されました
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11/18 12:00
三ツ塚古墳群7号墳
7世紀後半に築造されたと見られています
7号墳は東側から移築保存されました
三ツ塚古墳群10号墳
両袖式の横穴石室墳で、全長は9.5m、玄室長4.8m、玄室幅2.2m二上山凝灰岩製の家形石棺の破片が見つかっています
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11/18 12:04
三ツ塚古墳群10号墳
両袖式の横穴石室墳で、全長は9.5m、玄室長4.8m、玄室幅2.2m二上山凝灰岩製の家形石棺の破片が見つかっています
三ツ塚古墳群案内板
南阪奈道路の建設に伴う調査により発見された古墳群です
1999年に発掘され、横穴式石室15基・小石室14基・木棺墓・土壙墓各2基が見つかりました
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11/18 12:08
三ツ塚古墳群案内板
南阪奈道路の建設に伴う調査により発見された古墳群です
1999年に発掘され、横穴式石室15基・小石室14基・木棺墓・土壙墓各2基が見つかりました
棚機神社
5世紀頃、葛城山麓の周辺では葛城氏を中心とする有力豪族が存在し、その中には、染色技術を生業とする置始氏や、機織技術に富んだ倭文氏などの伴造がおり、
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11/18 12:32
棚機神社
5世紀頃、葛城山麓の周辺では葛城氏を中心とする有力豪族が存在し、その中には、染色技術を生業とする置始氏や、機織技術に富んだ倭文氏などの伴造がおり、
棚機神社
中国南朝や朝鮮半島などから我が国にいままで伝来していなかった機台付の機やそれを織る織女、オトタナバタの説話や七夕儀礼が三者一体となってもたらされました。
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11/18 12:32
棚機神社
中国南朝や朝鮮半島などから我が国にいままで伝来していなかった機台付の機やそれを織る織女、オトタナバタの説話や七夕儀礼が三者一体となってもたらされました。
棚機神社
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11/18 12:33
棚機神社
棚機神社古墳
古墳時代後期に築造されたとみられる墳形不詳の古墳です。
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11/18 12:38
棚機神社古墳
古墳時代後期に築造されたとみられる墳形不詳の古墳です。
棚機神社古墳
棚機神社の鳥居右側に円墳らしき高まりがあり、登ると墳頂に石室石材らしきものと盗掘坑と見られる凹みがあり、これは古墳やろなぁと推測。
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11/18 12:38
棚機神社古墳
棚機神社の鳥居右側に円墳らしき高まりがあり、登ると墳頂に石室石材らしきものと盗掘坑と見られる凹みがあり、これは古墳やろなぁと推測。
平林古墳
地形の関係からか?前方部が後円部より高い古墳です。
全長は20.1mとなり長さだけ見れば県内でも五条野丸山古墳に次ぐ石室規模となります。
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11/18 12:47
平林古墳
地形の関係からか?前方部が後円部より高い古墳です。
全長は20.1mとなり長さだけ見れば県内でも五条野丸山古墳に次ぐ石室規模となります。
平林古墳
石室は施錠されていますが扉越しではありますが見学は可能です。
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11/18 12:49
平林古墳
石室は施錠されていますが扉越しではありますが見学は可能です。
神明神社裏山古墳
古墳時代後期に築造された前方部を南西に向けた墳丘長45メートル、後円部径28メートルの前方後円墳。
前方部は半壊しておるようです。
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11/18 12:53
神明神社裏山古墳
古墳時代後期に築造された前方部を南西に向けた墳丘長45メートル、後円部径28メートルの前方後円墳。
前方部は半壊しておるようです。
神明神社
神明神社裏山古墳の後円部の墳頂付近に本殿があるようです。
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11/18 12:59
神明神社
神明神社裏山古墳の後円部の墳頂付近に本殿があるようです。
神明神社
1月6日、恒例の『甘酒』行事が行われるそうです。朝7時ごろからとんどが焚かれ、8時ごろから村人に甘酒がふるまわれるものです。
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11/18 12:59
神明神社
1月6日、恒例の『甘酒』行事が行われるそうです。朝7時ごろからとんどが焚かれ、8時ごろから村人に甘酒がふるまわれるものです。
神明神社
拝殿の中にはきれいな絵馬が数多くありました。
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11/18 12:59
神明神社
拝殿の中にはきれいな絵馬が数多くありました。
芝塚1号墳
当初は径35mの円墳とされていましたが、全長50mの前方後円墳とわかりました。現在は保存処置がとられ整備されてはいますが、前方部、後円部とも大幅に改変されています。
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11/18 13:12
芝塚1号墳
当初は径35mの円墳とされていましたが、全長50mの前方後円墳とわかりました。現在は保存処置がとられ整備されてはいますが、前方部、後円部とも大幅に改変されています。
芝塚1号墳
芝塚2号墳の家形石棺がこの古墳に移築されており見学が可能です。
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11/18 13:16
芝塚1号墳
芝塚2号墳の家形石棺がこの古墳に移築されており見学が可能です。
鍋塚古墳
直径40メートルの円墳です。つくられた時期は、古墳時代中期の前半(〜西暦450年)頃と考えられています。
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11/18 13:38
鍋塚古墳
直径40メートルの円墳です。つくられた時期は、古墳時代中期の前半(〜西暦450年)頃と考えられています。
綿弓塚
松尾芭蕉(まつおばしょう)が門人・苗村千里(なえむらちり)の旧里である竹内に宿泊した時に詠んだ句を記念し、1809年に建てられた句碑です。
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11/18 13:50
綿弓塚
松尾芭蕉(まつおばしょう)が門人・苗村千里(なえむらちり)の旧里である竹内に宿泊した時に詠んだ句を記念し、1809年に建てられた句碑です。
綿弓塚
近くの民家を整備して休憩所とし、芭蕉の資料や司馬遼太郎氏の色紙などが置かれています。
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11/18 13:51
綿弓塚
近くの民家を整備して休憩所とし、芭蕉の資料や司馬遼太郎氏の色紙などが置かれています。
竹内古墳群(史跡の丘)
竹内集落の北側、キトラ山に位置する34基からなる古墳群だそうです。
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11/18 14:06
竹内古墳群(史跡の丘)
竹内集落の北側、キトラ山に位置する34基からなる古墳群だそうです。
竹内古墳群(史跡の丘)
今では案内板も何が書かれているか判りません。
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11/18 14:06
竹内古墳群(史跡の丘)
今では案内板も何が書かれているか判りません。
竹内古墳群(史跡の丘)
道も不明瞭で、どこが古墳かもわかりませんでした。
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11/18 14:10
竹内古墳群(史跡の丘)
道も不明瞭で、どこが古墳かもわかりませんでした。
蹴速之塚
相撲の始祖として知られる當麻蹶速(たいまのけはや)の塚と伝えられている五輪塔です。
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11/18 14:38
蹴速之塚
相撲の始祖として知られる當麻蹶速(たいまのけはや)の塚と伝えられている五輪塔です。
相撲館けはや座
全国でも珍しい相撲の資料館です。
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11/18 14:39
相撲館けはや座
全国でも珍しい相撲の資料館です。
当麻寺駅
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11/18 14:43
当麻寺駅
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