京都一周トレイル(深草編)


- GPS
- 03:32
- 距離
- 12.1km
- 登り
- 280m
- 下り
- 270m
コースタイム
- 山行
- 2:43
- 休憩
- 0:47
- 合計
- 3:30
13:03伏見桃山城
13:55大岩山展望所
15:36伏見稲荷奥社
15:53京阪伏見稲荷
歩行時間 3:30
歩行距離 12.1km
天候 | 晴れ時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰路 京阪伏見稲荷 |
コース状況/ 危険箇所等 |
京都一周トレイルなので、危険な箇所はありません。 |
その他周辺情報 | 今回のルートは、東山編の延伸部(深草ルート)を 歩いてみました。 高校時代を過ごした近くでもあるので楽しみでも ありました。 |
写真
正式には伏見城
1619年に廃城となり、
建物や部材の多くは、二
条城や淀城に移築されま
した。
跡地に桃の木が植えられ
桃山と呼ばれるようにな
り、何時しか、伏見桃山
城と呼ばれるようになっ
たそうです。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
靴
ザック
昼ご飯
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
常備薬
時計
タオル
カメラ
|
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感想
天候は、晴れ、風が強いです。
今日は、京都一周トレイルの東山から南へ延伸された深草ルートを
歩いて見ました。
高校時代を過した所でもあるので、懐かしく歩いて見ました。
当時に比べると、住宅地が多く整備された感があります。
当然のことですが。
歩き出しは、京阪伏見桃山駅から、駅の近くにある、料亭魚三楼を
思い出しました。
魚三楼(鳥羽伏見の戦い)
創業は、江戸時代の明和元(一七六四)年だそうです。
京の南の玄関口である川陸交通の要衝・伏見港に揚がる瀬戸内の魚
や京野菜、また伏見の酒造りを支えた豊かな湧水を使い、各藩の大
名屋敷の料理方などを務めたそうです。
幕末、新政府軍と幕府軍が衝突した鳥羽伏見の戦い跡が表の格子に
は時の銃撃戦の弾痕が保存されています。
伏見の清酒と一緒に頂く料理も美味しかったですよ。
駅から西は、大手筋の商店街、散策しても面白いですね。
東側を少し歩くと、大鳥居を越えると御香宮があります。
「御香宮神社」
御香宮神社の名前の由来にもなっているこちらのお水は、伏見の七
名水の1つで、霊水としても信仰されています。
かつては徳川家の産湯として使われたこともありました。
環境庁により名水百選にも認定されています。
ここで人気なのは、名水で占う“水占い”。
おみくじをこの水に浸すと運勢の文字が浮き出るという仕掛けです。
(知りませんでした、忘れてたのかな)
JR奈良線の踏切を越えると桃山御陵があります、閑静な木立の参道
に行き着きます。
ルートは市道沿いを歩き、乃木神社分岐で左に曲がります。
時間があるので乃木神社に寄ってみました。
「乃木神社」
大正12年(1923)11月1日に創建されたそうです。
祭神は、乃木希典将軍と妻静子夫人だそうです。
再び御陵の森を抜け伏見桃山城に向かいます。
「伏見桃山城」
この城は、東山から連なる丘陵の最南端に位置していて、南には巨
椋池が広がり水運により大坂と京都とを結ぶ要衝の地で、伏見港が
近くにあります。
巨椋池は、京都府で最大の面積を持つ淡水湖でしたが、昭和の初め
に干拓事業が行われ、農地に変わっています。
伏見城は3度に渡って築城されています。
最初は、伏見指月(伏見区桃山町泰長老あたり)に築造、伏見地震に
よって倒壊し、指月から北東約1kmの木幡山に新たな城が築き直さ
れたとあります。
秀吉の死後、その遺言によって豊臣秀頼は伏見城から大坂城に移り、
代わって徳川家康がこの城に入っています。
関ヶ原の戦いの際に、石田三成派の西軍に攻められて落城し建物の
大半が焼失しています。
焼失した伏見城は1602年(慶長七年)ごろ家康によって再建され、
1619年(元和5年)に廃城とされ、このとき建物や部材は二条城、
淀城、福山城などに移築されています。
伏見城の跡には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられて桃山と呼ば
れるようになり、現代に至り伏見城は桃山城あるいは伏見桃山城と
も呼ばれるようになったようです。
その後、伏見桃山城キャッスルランドとして、1964年に生まれ変わ
るのですが高校時代を過ごした割には、ほとんど記憶がありません。
子供達を連れて遊園地に行った記憶はあります、その時はお城の中
に入って見学したのは覚えています。
天守閣からも眺めも良かったと記憶しています。
昔なら、巨椋池を眺められたのでしょう。
「巨椋池」
先に少し触れましたが、巨椋池は周囲約16キロメートル、水域面積
約8平方キロメートルで、京都府で最大の面積を持つ淡水湖でした。
昭和8年から昭和16年に掛けて干拓事業が行われ、農地に変わりま
した。
以前、向島あたりで酒米の田植えをしましたが、農家の方に聞くと
いまでも、蓮根がでてくるそうで、巨椋池の名残かなとおっしゃっ
ていました。
(京都の人でも記憶にないかも知れませんね)
「伏見北堀公園」
平成5年7月22日に開設されたので、訪れるのは初めてです。
伏見城築城当時の北側にあった外堀の遺構を利用し,整備した公園
で、堀の形状を生かし,中段に武者走りをしのぶ園路を巡らし,堀
底には広場やながれ,池を整備し,斜面には既存の樹林や竹林を残
してあり,四季折々の豊かな彩が見られると思います。
今は、寒々としていますがジョギングの人達とすれ違いました。
公園を抜けて、丁字路に接した所に黒田長政の下屋敷跡を説明した
案内板がありました、参考地だそうで記憶にはありません。
仏国寺を左に折れ大岩山に向かいます。
「大岩山展望台」
大岩街道は、不法投棄による大量の廃棄物が深刻な問題となり平成
20年から行政や地域住民方々が協力し、その除去が進められ、平成
21年には山頂付近の雑木の整備が行われるとともに、平成22年3月
には大岩山展望台が完成した、比較的に新しい施設ですね。
今は、大岩神社の南参道脇にソーラーパネルの設置工事がされてい
ました。時代の変遷でしょうか。
山道を少し下ると、大岩神社があります。
大岩神社は創建の沿革は不明ですが、大岩と小岩という二つの石を
男神・女神として祀ってあるようです。
古くから「難病の神」として知られ、特に心の病や結核平癒にご利
益があると信じられていましたので、結核が不治の病だった時代に
は厚い信仰を集めたそうです。ただ、現在は訪れる人もまばらな感
じで祠も木の倒木によって半壊していました。
苔むした石段を下って、市道35号線を横断して仁明天皇深草稜を左
に見て、名神高速道路を潜って深草墓園の南側から稲荷山南山麓を
歩きます。
竹林を登って行くと伏見神寳神社に辿り着けば、千本鳥居はすぐそ
こです。
千本鳥居からは、参拝者に揉まれ京阪伏見稲荷へ、3時間半程の旅
でした。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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トレイル開設の日に歩いたのですが
次回は団体はごめんです(-_-;)
住宅地が多いですが比較的歩きやすかったです。
京都一周トレイルのプレートの撮り忘れがあるので
また行かなくては!
青春時代のお酒のにおいがプンプンするレコになるかと思っていたのですが・・・。
お花がたくさん見つかってよかったですね♪
ぞろぞろと団体歩きは、私もごめんです。
お酒の匂いもありますが、残念でした。
京都の人でも意外と知らない、巨椋池。
勉強はしましたが、実物は知りませんので、父親に
「伏見から久御山あたりに、巨椋池があったの知っ
てた」と聞くと知ってると云ってました。
小学生の頃だから、遊びに行ったどうかは聞き漏ら
しました。(確かめることはできませんが)
花は、これからでしょうね。
再来週に再び歩きます、伏見の酒蔵も。
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