記録ID: 6438823
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ハイキング
日光・那須・筑波
とちぎ健康づくりロード42.43.44/167 壬生町
2024年02月09日(金) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 04:48
- 距離
- 19.9km
- 登り
- 25m
- 下り
- 25m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:34
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:34
距離 19.9km
登り 11m
下り 33m
9:50
334分
スタート地点
15:24
ゴール地点
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
その他周辺情報 | お昼は執念の海鮮丼 https://arekore.htamtochigi.com/2024/02/09/kinryukaku/ |
写真
まずは雄琴神社。壬生町の総氏神、総鎮守、今から約920年前、寛治5年、天照大御神、天武天皇、舎人親王を御祭神に鎮守府将軍清原武則の子孫保定によって創建されたと伝えられています。
壬生城跡の北側に精忠神社
祭神の鳥居元忠は、関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで討ち死にした。徳川家康は元忠の忠義に報いるため、一時は山形藩24万石にまで加増した。後に子孫が不祥事を起こしても、元忠の勲功を考慮し、特例として減封で許されている。鳥居忠英の代になって壬生藩に落ち着くことになり、元忠を祀る神社を創建した。とウィキメディアにあります。過去の人物を神格化して祀っているんですね。
祭神の鳥居元忠は、関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで討ち死にした。徳川家康は元忠の忠義に報いるため、一時は山形藩24万石にまで加増した。後に子孫が不祥事を起こしても、元忠の勲功を考慮し、特例として減封で許されている。鳥居忠英の代になって壬生藩に落ち着くことになり、元忠を祀る神社を創建した。とウィキメディアにあります。過去の人物を神格化して祀っているんですね。
縄解地蔵:縄解とは苦しみから解放されることで、信仰によって罪ある者さえ解放されたと言い伝えられ、京都洛西、壬生寺の縄目地蔵菩薩と三重県名張市の延命地蔵菩薩とともに、日本三体地蔵尊と呼ばれています。 安産祈願でも訪れる方も多い地蔵尊です。
撮影機器:
感想
今回は壬生の3コースを一気に歩きました
ピッピとピコの花を巡るコースと公園とおもちゃで遊ぶ壬力(みりょく)満喫さんぽはおもちゃのまち駅
古墳や神社を巡って知る「みぶ歴史」さんぽは壬生駅が拠点
その間は東武線で往復しました
快晴無風で快適に歩けました
壬生はもともと水辺、水生(みぶ)の意味があるそうです。思川と黒川、姿川など確かに海運の拠点ですね
古墳時代から文化が栄えていたようです
蘭学など近世の文化の拠点でも有るようです
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