記録ID: 8052200
全員に公開
キャンプ等、その他
四国
歩き遍路ー長尾寺〜女体山〜大窪寺(結願)
2025年04月24日(木) [日帰り]



体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 08:11
- 距離
- 18.6km
- 登り
- 893m
- 下り
- 480m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | お昼時ならば大窪寺の打ち込みうどんは有名。 |
写真
お大師さんの休み場
十六世紀の半ば過ぎに書かれた岡田太夫の「さぬき一円道者日記」には、西沢の里から宮ノ西の里の間に六人の道者の名が書かれている。このあたりが「お大師さんの休み場」と呼ばれる由来も、ここがそのような聖なる土地柄であったためと思われる。「新撰讃岐国風土記」には、 宮ノ西に仏堂として「数珠くり地蔵」のお堂が載っている。 門前に「お茶堂」があって、むかしからお接待で賑わうミニ札所であった。
お地蔵さんは、この世とあの世を守る仏として庶民に親しまれ、信仰されてきた。
玉泉寺の本尊日切地蔵の日切というのは、日を限ってお願いすると功徳がいただけるというお地蔵さまである。 境内には、六十年間に二百八十回四国霊場を巡拝した中務茂兵衛が建てた、明治二八年(一九九五)と、明治四四年の二つの道標がある。
同寺の本堂・庫裏・鐘楼は、昭和恐慌の不景気の最中に整備されたもので、山門は霊芝寺から移された薬医門である。本堂前行の棚仕立ての古木(白い房の長い藤の花)は、近在きっての美しさである。
十六世紀の半ば過ぎに書かれた岡田太夫の「さぬき一円道者日記」には、西沢の里から宮ノ西の里の間に六人の道者の名が書かれている。このあたりが「お大師さんの休み場」と呼ばれる由来も、ここがそのような聖なる土地柄であったためと思われる。「新撰讃岐国風土記」には、 宮ノ西に仏堂として「数珠くり地蔵」のお堂が載っている。 門前に「お茶堂」があって、むかしからお接待で賑わうミニ札所であった。
お地蔵さんは、この世とあの世を守る仏として庶民に親しまれ、信仰されてきた。
玉泉寺の本尊日切地蔵の日切というのは、日を限ってお願いすると功徳がいただけるというお地蔵さまである。 境内には、六十年間に二百八十回四国霊場を巡拝した中務茂兵衛が建てた、明治二八年(一九九五)と、明治四四年の二つの道標がある。
同寺の本堂・庫裏・鐘楼は、昭和恐慌の不景気の最中に整備されたもので、山門は霊芝寺から移された薬医門である。本堂前行の棚仕立ての古木(白い房の長い藤の花)は、近在きっての美しさである。
重要文化財 長尾寺经幢二基
極幢(きょうどう)は中国で唐から宋時代に流行したもので、わが国では鎌倉中期ごちからつくられ経文を埋納保存する施設、 あるいは供養の標識として各地に建てられるようになった。この形式に単制と複制とがあり単制はこの極幢のようなもの、複制は幢身の上部に中台や雇(がん)部があって灯籠ふうになったものである。
この極幢は凝灰岩製で基礎の上に面取り四角柱の身を立て、その上に重厚な八角の笠と低い宝珠をのせたもので東側のは弘安九年五月、西側のは弘安六年七月の銘があり一歩ずつ相ついで奉納されたことがわかる。
昭和二十九年九月十七日重要文化財に指定された。
極幢(きょうどう)は中国で唐から宋時代に流行したもので、わが国では鎌倉中期ごちからつくられ経文を埋納保存する施設、 あるいは供養の標識として各地に建てられるようになった。この形式に単制と複制とがあり単制はこの極幢のようなもの、複制は幢身の上部に中台や雇(がん)部があって灯籠ふうになったものである。
この極幢は凝灰岩製で基礎の上に面取り四角柱の身を立て、その上に重厚な八角の笠と低い宝珠をのせたもので東側のは弘安九年五月、西側のは弘安六年七月の銘があり一歩ずつ相ついで奉納されたことがわかる。
昭和二十九年九月十七日重要文化財に指定された。
人生で136回の歩き遍路。
「高地蔵の流水灌頂
文久元年(1861)、安芸国(現在の広島県)の忠左衛門が136回目の四国遍路八十八ヶ所巡りの途中で当地にて亡くなった。
これを契機に当時の長尾名村・長尾西村・前山村(現在のさぬき市長尾名・長尾西・前山)の3村の有志が村境に流水灌頂の本尊として高地蔵を建て、行き倒れのお遍路さんを供養したことが高地蔵の流水灌頂の始まりといわれている。
以来、僧侶によるお遍路さんや家族の供養及び諸願成就の読経の後、参加者全員で6基の卒塔婆を巡り、樒(しきみ)で清流を注ぐ流水灌頂が行われるようになった。この民俗行事は「さぬき市無形民俗文化財」に指定されており、毎年3月13日午後1時から行われる。
さぬき市文化財保護協会
長尾支部」
「高地蔵の流水灌頂
文久元年(1861)、安芸国(現在の広島県)の忠左衛門が136回目の四国遍路八十八ヶ所巡りの途中で当地にて亡くなった。
これを契機に当時の長尾名村・長尾西村・前山村(現在のさぬき市長尾名・長尾西・前山)の3村の有志が村境に流水灌頂の本尊として高地蔵を建て、行き倒れのお遍路さんを供養したことが高地蔵の流水灌頂の始まりといわれている。
以来、僧侶によるお遍路さんや家族の供養及び諸願成就の読経の後、参加者全員で6基の卒塔婆を巡り、樒(しきみ)で清流を注ぐ流水灌頂が行われるようになった。この民俗行事は「さぬき市無形民俗文化財」に指定されており、毎年3月13日午後1時から行われる。
さぬき市文化財保護協会
長尾支部」
「馬の墓
一九五○年代までは、馬車・荷馬車などが陸上輸送の主力であった。現在の自動車の前身である。
この付近は、燃料である薪炭や、前山の水車で製造された小麦粉などが荷馬車で運ばれた。
志度・長尾から、今の前山ダムのある中津までの馬車も通っており、長い年月の間には、曳き馬が死ぬこともったのである。
こうした馬の墓が何カ所かある。
人の墓と同じように、動物の墓も作られ、懇ろに供養されるのである。
さぬき市長尾へんろ道」
一九五○年代までは、馬車・荷馬車などが陸上輸送の主力であった。現在の自動車の前身である。
この付近は、燃料である薪炭や、前山の水車で製造された小麦粉などが荷馬車で運ばれた。
志度・長尾から、今の前山ダムのある中津までの馬車も通っており、長い年月の間には、曳き馬が死ぬこともったのである。
こうした馬の墓が何カ所かある。
人の墓と同じように、動物の墓も作られ、懇ろに供養されるのである。
さぬき市長尾へんろ道」
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
行動食
飲料
笛
GPS
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
タオル
虫よけ
望遠鏡
iPhone
接眼レンズ
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---|
感想
〇今回の山行目的
・歩き遍路結願の皆さんに同行させてもらい癒しの遍路道を歩く。
〇天気
デポ駐車場は霧雨曇天。スタート〜GOALはど快晴。
〇アクセス
大窪寺駐車場は広いです。舗装路です。
100台ほどいけると思います。
紅葉の時期は人気でかなり縦列して待たないと停められません。
〇ルート
歩き遍路道です。お遍路交流サロンからで地図をいただき、田和神社コース+四国のみちで大窪寺を目指しました。
◎感想
春の気持ちのいい青空のもと、皆さん笑顔で結願しました。
私は途中からで讃岐の道だけでしたがご一緒させていただけてよかったです。
お寺や遍路道に色濃く残されている弘法大師様の言われが興味深かったです。
いつか私も歩き遍路で八十八か所をめぐって、それぞれの場所に残っているいわれを味わってみたいなと思いました。
◎感謝
ご一緒させていただいた、グランパさん、はなさん、まみさん、ありがとうございました!!!
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