記録ID: 8245276
全員に公開
ハイキング
中国
(岡山)鬼城山;古代の山城遺跡を巡る
2025年06月04日(水) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:47
- 距離
- 3.6km
- 登り
- 158m
- 下り
- 159m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 1:14
- 休憩
- 0:31
- 合計
- 1:45
距離 3.6km
登り 158m
下り 159m
13:00
13:10
15分
鬼ノ城 東門
13:57
ゴール地点(駐車場)
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
「ビジターセンター」には20台程度の駐車場あり(無料)。「ビジターセンター」にはWCあり |
コース状況/ 危険箇所等 |
遊歩道状によく整備されており、歩きやすい。また標識も多い。空身で歩いている人も多かった。 なお「ビジターセンター」でガイドマップが入手できる |
その他周辺情報 | 登山口にある「ビジターセンター」では、この「鬼ノ城」が、古代の山城だった頃の遺構の説明がある。入場無料 (ご参考;総社市のホームページより、鬼ノ城ビジターセンターに関するページ) https://www.city.soja.okayama.jp/kanko_project/bunka_sports/hakubutukantekisisetu/kinojouzan_vc.html |
写真
感想
※ 6月に入り、そろそろ梅雨入りも近そうだが、この週の半ばに数日晴れる、という天気予報を見て、岡山の山に泊りがけで出かけてみた。この日は、途中の寄り道で、岡山平野付近にある「鬼城山」という低山ハイク。
・この山は、登山の対象といえるほどのものではないが、古代の山城(7世紀)があった山だそうで、ビジターセンターから遊歩道を歩いてみると、あちこちに、その山城の痕跡や、復元された城門などがあり、「歴史散歩」と思えば、興味深かった。
・また、この日は初夏の陽気で、山城周縁部の遊歩道からは、低山ながら展望も良いし、新緑の中、気持ちの良い歴史散歩ができた。
※ 「ビジターセンター」での説明によると、この「鬼ノ城」は、九州の太宰府付近にある、大野城(大野城山)や、基肄城(きいじょう;基山)と同じく、7世紀中葉の「白村江の戦い」以降に、唐・新羅の侵攻に備えて作られた、古代山城、との説明がされていた。
大野城山、基山とも歩いたことがあるが、この「鬼ノ城」ほど立派には、山城遺構は復元されていない。当時の建造技術の高さを見られ、なかなか興味深い山城だった。
※ 自分用メモ;山の名前は、「鬼城山」(きのじょうさん)、古代山城の名前は、「鬼ノ城」(きのじょう)
※ ウイキペディア 「鬼ノ城」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E3%83%8E%E5%9F%8E
※ (ご参考;YAMAP」での同じ山行記録)
https://yamap.com/activities/40478158
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:60人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
山登りにしては面白い所を歩かれたようですね。とても興味をそそられました。
そして瀬戸内海が見渡せて、岡山市や総社市の眺めが素晴らしいようですね。
さて最初に表題の山名が読めませんでしたが「きのじょう」と読むのですか、地名は難しいです。岡山だから「桃太郎伝説」に関連した所とばかり想像していましたが、驚いたことに鬼ノ城は「神籠石式山城(こうごいししきやまじろ)」だったんですね。
神籠石式山城は、やはり大陸との守りに備えた「防人の地」九州に多くて、東の方の存在は記憶にありませんでしたが、岡山にもその痕跡があったとは・・。
九州では高良山が有名ですが10年程前にその「神籠石」を見に行きました。他には熊本の鞠智城(きくちじょう)や武雄市のおつぼ山や神崎の帯隈山などにも行ってみましたが、鞠智城以外はほとんど「失われた世界」になっていてがっかりしたことを覚えています。
神籠石式山城は学説的にまだ確立されていないようですが、福岡の大野城や水城などが「白村江の戦い」以降大陸からの脅威に備えた山城であることは間違いないのでしょうから、その一環として備えられた朝鮮式山城に間違いと個人的には認識していますが、どうなんでしょうね。
ごちゃごちゃと長いコメントで失礼しました。
この「鬼城山」ハイクは、岡山県北部にある「那岐山」という山に行く途中、ついでに立ち寄った、という程度のものですが、私、最近は考古学にもちょっと興味がでてきたので、そういう意味では、興味深いでした。
北部九州の大野城、きい城が、「白村江の戦い」の後に、大宰府防衛の為に作られた程度の知識はありましたが、岡山のような場所にも、この場所のような古代山城があったのは、私にとっては意外でした。
ここの「ビジターセンター」にあった解説パネルによると、、
唐・新羅連合軍が攻めてくるという想定で、まず前線防衛ゾーンは北部九州と設定し、大野城などのほか、神籠石のある場所(近年では、山城の一種とされている)も含め、20カ所くらいに山城が作られたようです。
更に、九州北部の防衛ゾーンでは敵勢を食い止められなかった場合に備え、瀬戸内海の両岸、岡山平野付近と讃岐平野付近に、首都のある近畿地方を守るための最終防衛ラインとして、山城をいくつか作ったようです。
それほど、唐、新羅連合軍の侵攻が、国家存亡の危機として捉えたのでしょうね、この山城の様子からも、国家の総力を挙げて造った様子が感じられました。
・・・いつの世も、人のいるところ 争いは絶えないものですね〜
※ この山は、桃太郎伝説の場所でもあるようでした。民間伝承なので、ビジターセンターでも 桃太郎のことはほとんど説明されてませんでしたが、ウイキペディアなどで調べると、「ウラ」というこの地域の豪族が、桃太郎(=ヤマト政権の暗喩)に倒される「鬼」の原型のようです
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する