にわか四国遍路(7・8)―西条市小松町大頭〜西条市小松町新屋敷



- GPS
- --:--
- 距離
- 20.2km
- 登り
- 968m
- 下り
- 985m
過去天気図(気象庁) | 2009年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
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2009年(平成二十一年)4月3日、大街道発の新居浜行き特急バスに友人と乗り、国道11号を東へ。桜三里を越えて小松町大頭にたどり着いた。今日は大頭から石鎚山の中腹750メートルにある横峰寺を目指す。四国遍路伊予路における最大の難所といわれ、遍路道の中では三番目に高い札所である。
今から振り返ると、この遍路は果たして行ってもよかったのかと、妙な思いに駆られる。ここでその理由を語ることは避けたいが、一つだけ言えるのは、四国遍路というものは気軽な観光ではないということだ。何百年もの長きにわたって人々の思いが込められている。昔の人々がどのような気持ちで遍路を行ったのか。自分の勉強不足や遍路に対する姿勢を改めて考えさせられた。今回の横峰への道は、まさにそうした遍路行だった。
それでも自然の真っ只中、横峰寺への道の素晴らしさは変わらない。国道11号から南へ入ると山が深くなる。このルートではあまり遍路の姿を見かけない。効率よく巡るには不便で、一般的には国分寺から香園寺へ向かい、一泊して横峰寺をピストンするのが通例だからだ。しかし大頭から南下し、最奥の湯浪を経由するのが本来の正規ルートである。湯浪には店も宿もなく不便だが、古来の由緒ある道を歩く人も少なくない。
登ること一時間余り、10時7分に湯浪休憩所へ到着。東屋で大休止を取る。やがて遍路道は完全な登山道となり、沢を横目に急坂を登る。久々の山登りで体力を消耗した。11時2分、横峰寺直下の古坊に到着。鬱蒼とした杉林の中にお堂があり、むしろが敷かれた内部はどこか不気味で恐ろしい。かつてこの地に集落があったというが、こんな山中に人々が暮らしていたことに驚かされる。
そして11時11分、ようやく横峰寺に到着した。一本の光が差し込む境内で、長い道程の疲れとともに、ここが「最大の難所」といわれる理由を実感する。本尊は大日如来。本堂や大師堂が山にへばりつくように建てられている。さらに50メートルほど進むと奥の院・星ヶ森がある。ここは空海が修行をした地とされ、鳥居の先からは伊予の高嶺・石鎚山を望むことができた。残雪を抱いた山容は圧巻である。
星ヶ森からは、虎杖へと下るモエ坂が分岐しており、石鎚山頂(成就コース)までは8時間かかると案内されていた。だが時間も装備もなく、今回は断念。星ヶ森でカップヌードルを食べて小休止した。
横峰寺からの下りは登り以上に長く感じられた。急坂を6キロ下り、香園寺奥の院・白瀧に13時56分到着。本物の滝に不動明王が立つ姿は圧巻で、滝行の場としても知られている。
さらに下り、久々に町並みが見えたとき、横峰寺がいかに下界から遠い存在だったかを思い知る。桜の花びらが舞う中、香園寺へ。ここはコンクリート造の近代的な建物で、本堂と太子堂が同居している。子安大師として安産祈願の信仰を集める寺でもある。
次の札所、宝寿寺へはわずか1キロ。半年ぶり二度目の訪問となった。伊予国一宮の法楽所として栄えたが、豊臣秀吉の四国征伐で堂を焼失し、江戸時代に再興されたと伝わる。
今日の遍路はここまで。小松駅から予讃線に乗り松山へ戻る。山道は辛かったが、星ヶ森から見た石鎚山の姿は忘れられない。次回の遍路はいつになるのだろうか。
●本日の歩行距離・・・18キロ
●総歩行距離・・・120キロ(四国遍路全行程の約8.5%)
▼にわか四国遍路(9)―西条市小松町新屋敷〜新居浜市坂井町に続く
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