記録ID: 8793361
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無雪期ピークハント/縦走
関東
四阿山
2011年10月18日(火) [日帰り]


- GPS
- 03:48
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 827m
- 下り
- 827m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
鳥居峠の林道入り口は写真のようにゲートが閉まっています。11月3日まで開放中(嬬恋村のHPにて確認できます。)
ゲートは自分で空けて通過したら自分で閉めます。
この辺りは熊の生息地であるため、熊鈴を携帯するように注意書きが書かれていました。
ゲートは自分で空けて通過したら自分で閉めます。
この辺りは熊の生息地であるため、熊鈴を携帯するように注意書きが書かれていました。
登山口からは「的岩コース」と「花童子の宮跡コース」の2通りあります。
何も考えず、写真の登山口を素直に真っ直ぐ進みました。(的岩コース)
カラ松林とナラ林を進む。なだらかな傾斜なので、体を温めるには丁度良い。
何も考えず、写真の登山口を素直に真っ直ぐ進みました。(的岩コース)
カラ松林とナラ林を進む。なだらかな傾斜なので、体を温めるには丁度良い。
四阿山山頂
四阿山は草津白根山から浅間山へ続く、群馬・長野県境稜線上にそびえる山。上信境では、浅間山、黒斑山に次ぐ高峰で吾妻山とも呼ばれる。「ピッケル・ザイル党には向かないかもしれないが、しみじみとした情緒をもった日本的な山」と深田久弥の「日本100名山」に書かれているが、嬬恋の高原から望むゆったりとした山容はまさに日本的情緒を感じさせてくれる。古事記によれば、日本武尊が東征から戻って、信濃に入る峠に立たれたとき「あづまはや」と叫んで、弟橘姫を偲ばれたといい、嬬恋村の名もこの伝説による。信州上田地方では、最も遅くまで雪の残る山で、頂上に真田昌幸の建立に始まるという神祠を祭る。(上毛新聞社 ぐんま100名山より)
四阿山は草津白根山から浅間山へ続く、群馬・長野県境稜線上にそびえる山。上信境では、浅間山、黒斑山に次ぐ高峰で吾妻山とも呼ばれる。「ピッケル・ザイル党には向かないかもしれないが、しみじみとした情緒をもった日本的な山」と深田久弥の「日本100名山」に書かれているが、嬬恋の高原から望むゆったりとした山容はまさに日本的情緒を感じさせてくれる。古事記によれば、日本武尊が東征から戻って、信濃に入る峠に立たれたとき「あづまはや」と叫んで、弟橘姫を偲ばれたといい、嬬恋村の名もこの伝説による。信州上田地方では、最も遅くまで雪の残る山で、頂上に真田昌幸の建立に始まるという神祠を祭る。(上毛新聞社 ぐんま100名山より)
そして、嬬恋清水で作った山頂コーヒー。最高に美味しかったです。
ゆっくりしていたら、下から1組の夫婦が登ってきました。話をすると、私の先に車を駐車していた方でした。
山頂から帰ってきたと話したら、「速い〜」と驚いていました。今年の4月に千葉県から嬬恋村に移住してきたそうで、色々と登山の話で盛り上がりました。
地元オススメの温泉を聞いてみたところ『半出来温泉』というところを教えていただきました。帰りに早速よってみます。ありがとうございました。
ゆっくりしていたら、下から1組の夫婦が登ってきました。話をすると、私の先に車を駐車していた方でした。
山頂から帰ってきたと話したら、「速い〜」と驚いていました。今年の4月に千葉県から嬬恋村に移住してきたそうで、色々と登山の話で盛り上がりました。
地元オススメの温泉を聞いてみたところ『半出来温泉』というところを教えていただきました。帰りに早速よってみます。ありがとうございました。
【的岩伝説】
的岩を発見した源頼朝は、屈な的岩であるというので武を練る心から弓矢の力を試すことにした。
狩場に集まった1万人の中から弓矢達者100人を選ばせ的岩に10個の的を作らせ各々その技量を
揮わせた。しかし、どうしたのか誰も的を射抜くものがない。
そればかりか矢は的に届かないうちに落ちてしまう。大将頼朝は頗る不機嫌であった。
そこへ1人の勢子が現れて、自分なら握り飯で的を射抜いてみせると広言を吐いた。
頼朝はその勢子に向かい、
「早速言う如くせよ。若し的を抜くことができたら恩賞を取らせるであろう」といった。
勢子は背負袋から握り飯を取り出して右手にそれをつかみ、心の中で何か呪文を唱えてから身構
え的に向かって勢い良く投げつけた。
握り飯は的に当たっただけでなく、その余る勢いに厚い岩を貫いて岩の破片が火花をあげて四方
へ散った。的岩には2メートルにも余る大穴があいて信州の方の空が青く見えた。
驚いていると、その勢子は雲に乗って吾妻山の峰に走った。
頼朝は、これは吾妻山の山霊が勢子に化身して我の武を奨め給うたのであろうと、祭壇をもうけて
鏑矢を供え武運長久を祈ったという。 (軽井沢ホステリング観光ガイドより)
的岩を発見した源頼朝は、屈な的岩であるというので武を練る心から弓矢の力を試すことにした。
狩場に集まった1万人の中から弓矢達者100人を選ばせ的岩に10個の的を作らせ各々その技量を
揮わせた。しかし、どうしたのか誰も的を射抜くものがない。
そればかりか矢は的に届かないうちに落ちてしまう。大将頼朝は頗る不機嫌であった。
そこへ1人の勢子が現れて、自分なら握り飯で的を射抜いてみせると広言を吐いた。
頼朝はその勢子に向かい、
「早速言う如くせよ。若し的を抜くことができたら恩賞を取らせるであろう」といった。
勢子は背負袋から握り飯を取り出して右手にそれをつかみ、心の中で何か呪文を唱えてから身構
え的に向かって勢い良く投げつけた。
握り飯は的に当たっただけでなく、その余る勢いに厚い岩を貫いて岩の破片が火花をあげて四方
へ散った。的岩には2メートルにも余る大穴があいて信州の方の空が青く見えた。
驚いていると、その勢子は雲に乗って吾妻山の峰に走った。
頼朝は、これは吾妻山の山霊が勢子に化身して我の武を奨め給うたのであろうと、祭壇をもうけて
鏑矢を供え武運長久を祈ったという。 (軽井沢ホステリング観光ガイドより)
感想
今回は登山計画が一切無かったので、成りゆき任せの登山でした。前日、角落山に登ったせいか、非常に楽に感じました。楽というと語弊ががありますが、登山道が非常によく整備されていて、ストレスを感じることなく登れるということです。途中でであった登山者に「根子岳にはいかないのですか?」と何度も訊ねられました。
恥ずかしながら根子岳の存在すら知りませんでした。あとで調べましたが、花の100名山にも数えられる素晴らしい山で、四阿山と一緒に登るのが一般的だそうです。
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