関東
最終更新:burabo
基本情報
| 場所 | 北緯35度43分31秒, 東経139度48分19秒 |
|---|
【 妙亀塚(都指定旧跡)
台東区橋場一丁目二十八番三号
この妙亀塚のある地はかつては浅茅ヶ原と呼ばれた原野で、近くを奥州街道が通じていた。
妙亀塚は「梅若伝説」にちなんだ名称である。「梅若伝説」とは平安時代、吉田少将惟房の子梅若が、信夫藤太という人買いにさらわれ、奥州へつれて行かれる途中、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。我が子を探し求めてこの地まできた母親は、隅田川岸で里人から梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵をむすんだ、という説話である。謡曲「隅田川」はこの伝説をもとにしている。
塚の上には板碑が祀られている。この板碑には「弘安十一年戊子五月二十二日孝子敬白」と刻まれており、区内でも古いものである。しかし妙亀塚と板碑の関係は、明らかではない。
なお隅田川の対岸、木母寺(墨田区堤通)境内には梅若にちなむ梅若塚(都旧跡)があり、この妙亀塚と相対するものと考えられている。
平成十五年三月
台東区教育委員会 】
台東区橋場一丁目二十八番三号
この妙亀塚のある地はかつては浅茅ヶ原と呼ばれた原野で、近くを奥州街道が通じていた。
妙亀塚は「梅若伝説」にちなんだ名称である。「梅若伝説」とは平安時代、吉田少将惟房の子梅若が、信夫藤太という人買いにさらわれ、奥州へつれて行かれる途中、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。我が子を探し求めてこの地まできた母親は、隅田川岸で里人から梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵をむすんだ、という説話である。謡曲「隅田川」はこの伝説をもとにしている。
塚の上には板碑が祀られている。この板碑には「弘安十一年戊子五月二十二日孝子敬白」と刻まれており、区内でも古いものである。しかし妙亀塚と板碑の関係は、明らかではない。
なお隅田川の対岸、木母寺(墨田区堤通)境内には梅若にちなむ梅若塚(都旧跡)があり、この妙亀塚と相対するものと考えられている。
平成十五年三月
台東区教育委員会 】
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