【動画】へっぽこ登山河内飯盛山(大阪府) 虫多かったけど楽しかったで(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎


- GPS
- 04:58
- 距離
- 7.7km
- 登り
- 489m
- 下り
- 479m
コースタイム
- 山行
- 4:02
- 休憩
- 0:57
- 合計
- 4:59
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年08月の天気図 |
アクセス | 四條畷駅付近のコインパーキングを利用。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
よく整備されています。 |
写真
感想
大阪には飯盛山という山は二つあります。
一つは和泉山脈にある泉南飯盛山。
もう一つは生駒山地にある河内飯盛山。
今回は生駒にそびえる河内飯盛山に登ってきました。
河内飯盛山も歴史深い山です。
山頂には戦国武将、三好長慶の居城がありました。
現在は石垣が残るだけになっていますが、大きなお城だったようです。
また、古くは楠木正成(まさしげ)の息子である楠木正行(まさつら)が麓の四條畷で戦死しました。
そのため山頂には楠木正行公の像がたっています。
先日、楠木正行のお母さんである久子夫人ゆかりの楠妣庵観音寺にお参りに行きました。
楠木正行公はどのような生涯だったのでしょう。
戦死した父親正成の首が送られてきて、正行は後を追おうと自害しようとしました。
しかし母親の久子夫人から叱責されて思いとどまったようです。
このように苦しい思いをしながら暮らしていたようです。
それから時は経って世の中は南北朝時代になりました。
南朝の後醍醐天皇も崩御され、後村上天皇の時代になっています。
幕府は室町。
南朝側の武将として、いよいよ楠木正行は挙兵します。
軍神と呼ばれた父親の息子です。
父親の足跡をたどるような戦いで、正行は快進撃を続けます。
正行は北朝側の百戦錬磨の武将たちを次々に破っていきます。
父親の楠木正成を知る室町幕府の重鎮たちは、正行の存在を恐れるようになります。
まさに楠木正成の再来。
このように正行の活躍で南朝側は勢いづいてきます。
しかし北朝、幕府軍も全勢力を上げて楠木正行を討ちにきます。
これまで無敗を続けていた正行も四條畷の戦いで敗れることになります。
正行の軍は、後ろ左右を塞がれて、前進することしか出来なくなりました。
それでもなお、正行軍は前進を続けて敵の正面を攻撃します。
そしてとうとう正行は力尽きてしまいます。
今回、下山後に参拝した四條畷神社の主祭神は楠木正行公です。
今も昔も壮絶な人生があるんですね。
真夏で灼熱の中、河内飯盛山に登ります。
私たちの地元、河内の歴史に触れてみたいと思います。
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