記録ID: 409162
全員に公開
ハイキング
房総・三浦
鎌倉・名越切通しをいく〜海キラキラ・陽だまりホッコリ〜
2014年02月22日(土) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 193m
- 下り
- 192m
コースタイム
13:20逗子駅発
17:45鎌倉駅着
17:45鎌倉駅着
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
[復路]鎌倉+++品川+++高田馬場+++東伏見 |
コース状況/ 危険箇所等 |
雪が残っていたが、おおむね問題がなかった。 何組かのハイカーにも出会った。 ■名越切通 切通しについての逗子市の解説です。 http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/syakyou/newbunkazai/nagoe/nagoe.html ■日蓮さん ・日蓮さんは最初、千葉の清澄寺にいたけれど、法華経がよいとして、念仏やら禅宗やらの他の宗教を攻撃し始めた。それで清澄寺を追い出されて、鎌倉の安国論寺に逃げてきた。 ・ちょうどそのとき、東国では天変地異が頻発して民衆はあわて幕府もその対策に腐心していたので、ちょうどいいと、日蓮は北条時頼に対して,やはり人民は法華経がいいよ、それで、この災害は克服できるよ、一方で、他の宗教を信じれば内乱が起きたり、外国に攻められたりして国が滅びますよと言った。 ・これが、あの日本史でも習った『立正安国論』(ちなみに地理学で有名な立正大学はこの立正安国論から名前をとったもの。立正大学は古くは日蓮宗のお坊さんの学校だったというわけ) ・非常に攻撃的だったからしばしば日蓮さんは襲撃にあい、幕府も伊豆や佐渡に日蓮さんを島流しにしたのだ。 ・しかし日蓮はくじけなかった。ポジディブシンキングで「法華経を信じる者にはこのくらいの災難はついて回るもんだよな」と考え島流しに耐え続けながら同時にいくつかの本も書いた。 ・佐渡のあと、有名な身延山に住んで、弟子を教育したり本を書いたりした。 ・最後は湯治に行く途中、あの有名な池上本門寺でこの世を去った。 ■日蓮宗と浄土宗の違い ・日蓮は、浄土宗なんかを信じているから大変なことになるんだと、言いました。それで世の中の迫害にあいました。そもそも浄土宗と日蓮宗の違いはナニなのか、それは、このHPにカンタンに書いてありました。 http://www.myoujouji.jp/q_and_a/QandA.php?no=17 ・浄土宗を開いたのは法然上人。日蓮宗を開いたのは日蓮聖人。 ・浄土宗のお経は「阿弥陀経」。日蓮宗のお経は「法華経」です。 ・「阿弥陀経」は、阿弥陀仏がおられる西の極楽「西方極楽浄土」で仏様になりましょう、という教え。「他力本願」という言葉があります。一般的には「他人任せ」という意味で使われていますが、自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されることです。 ・「法華経」はこの世に生きるすべての生き物、人も動物も植物がみんな仏になる可能性(仏性と言います)を持っているから、『すべての生き物の命に手を合わせましょう』という教えです。「娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)」という言葉があります。これは「私たちが生きているこの世界こそが、仏様の世界なんだよ」という意味です。 ・仏様がおられるのはあの世でもない、西方極楽浄土でもない。みんなが仏様の種を持っているんだから、この世界こそが仏様の世界なのです。 ・「この世では仏になれない」という阿弥陀経の浄土宗と 「この世こそが仏様の世界」という法華経の日蓮宗ということだそうです。わかりやすいなー。 ■車大路(くるまおおじ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E5%A4%A7%E8%B7%AF ■横須賀水道道 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E9%A0%88%E8%B3%80%E6%B0%B4%E9%81%93 ■元鶴岡八幡宮 ・1063年(康平6年)、源頼義が前九年の役の勝利に感謝するため、この地に京都の石清水八幡宮を勧請し、由比若宮を建てた。頼義の子義家も社殿を修復するなどして源氏と鎌倉の結び付きを強くしている。その後、鎌倉に入った源頼朝が、由比若宮を小林郷北山に遷座し、現在の鶴岡八幡宮が造営された。祭神は、鶴岡八幡宮本宮(上宮)と同じく、応神天皇・比売神・神功皇后。授けられる「破魔矢」は、源頼義が奉納した弓矢にちなむものという。 |
写真
逗子駅13:00の集合。待ち時間の間、みなさんと逗子駅の近くにある亀岡八幡宮に行ってみました。陽だまりのなか青空市をやっていて、中には明治時代の本をたくさん売っている人などがいました。つい、明治の地理の教科書買ってしまいました。250円! ま、安かったかな。ちなみにここの場所の名前、小字が「高畠」というようで、なだらかな丘でカメの背中のようであったことから鎌倉の「鶴岡八幡宮」に対し「亀岡八幡宮」と名付けられたとか。
法性寺は日蓮宗で鎌倉後期の創建。日蓮さんが鎌倉松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちされてここまで逃げてきたところ、3匹の白い猿が出てきて日蓮の世話をしてくれた。そこで恩に感じた日蓮は、ここに寺を建てるように弟子に頼んだのが由来なのだそうで、それで、両側には猿がいる、そして名前が猿畠山(えんぱくさん)というわけ。
山王の説明。「山」という字は、縦3本・横1本。「王」という字は縦1本・横3本。これで一心三観、三観即一心を意味するんだそうです。
日蓮さんは、立正安国論を書いてずいぶんと災難に会われたんんですね。いつの世も国家と改革の志士は、ぶつかって、痛い目に会うんです。
日蓮さんは、立正安国論を書いてずいぶんと災難に会われたんんですね。いつの世も国家と改革の志士は、ぶつかって、痛い目に会うんです。
踏切を渡ると井戸がありました。「日蓮乞水」(にちれんのこいみず)です。鎌倉五名水の一つになっています。『新編鎌倉誌』に「日蓮乞水は、名越切通の坂より、鎌倉の方一里半許前、道の南にある小井を云なり。日蓮、安房国より鎌倉に出給ふ時、此坂にて水を求められしに、此水俄に湧出けると也。水斗升に過ざれども、大旱にも涸ずと云ふ。甚令水也。」とあるそうです。碑文には建長5年(1253)とあるそうで、当時この前の道が街道であったことを物語ります。
そして安国論寺。日蓮さんが20年をすごした由緒ある場所です。ここで「立正安国論」を書いて北条時頼に差し出しました。その結果、法難を受け、焼き討ちにあった際には白猿が袖を引いて南面窟に避難させてくれました。
創建は建長5年(1253)。鎌倉時代には、北条時政の屋敷があった所。安房から鎌倉に入った日蓮上人が松葉が谷に来て、初めてここで草庵を結びました。庵で「立正安国論」を著して前執権・北条時頼に建白しました。
戻って、逆川を見に行きました。短い距離ですが、逆川は海とは逆に北行していることから逆川と名付けられました。この石碑は十橋 逆川橋と書いてあるようです。鎌倉十井のように十橋が選ばれたのでしょうか。
撮影機器:
感想
鎌倉の七切通しを”制覇”する会。
今回は、名越(なごえ)切通を逗子から鎌倉へ攻めました。
前回(http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-391592.html )の
大仏切通・極楽寺坂切通と同じく、YTさんをリーダーに15人ほどが集まりました。
先週の大雪で開催が危ぶまれましたが、だいぶん雪も解け予定どおりのコースを行くことができたのはとても良かったです。
逗子駅から法性寺経由で名越切通へ。切通周辺の道は、大規模な西武の開発により味気ない分譲地の舗装道路に変わり痕跡もとどめていませんが、途中からは山道に入り、昔ながらのヤグラや山道がわれわれを楽しませてくれました。
途中、パノラマ台からは、鎌倉の海が逆光に輝き、稲村ヶ崎や江の島、その向こうには箱根の連山もうっすらとその姿を望むことができました。
鎌倉の中庭に下ってからは、日蓮で有名な安国論寺(ここ立派なスリバチですね)、そして六大路のひとつ、車大路を歩き、鶴岡八幡宮の遷宮前の神社と云われる元鶴岡八幡宮にお参りし、逆川の地形を観察したあと薄暮の鎌倉駅に無事戻ってきました。
有志は、そのあと駅前の魚民で魚を食べる民に変身! 冷えたからだをあたたかいお酒と鍋で温めました。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:1134人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する