ウイング神姫 鐘ケ坂バス停
今日の出発点
鐘ケ坂公園までは国道176号または、並行する旧篠山街道を歩きます。我々は旧篠山街道を歩きました。(gps参照)
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2/24 9:17
ウイング神姫 鐘ケ坂バス停
今日の出発点
鐘ケ坂公園までは国道176号または、並行する旧篠山街道を歩きます。我々は旧篠山街道を歩きました。(gps参照)
現在の鐘ケ坂トンネル
丹波市と丹波篠山市を結んでいる。
通称『平成トンネル』。2005年完成。トンネルの延長は1012m。事業費は約78億円
立派な歩道があり歩いても通り抜けることが可能
5
2/24 9:35
現在の鐘ケ坂トンネル
丹波市と丹波篠山市を結んでいる。
通称『平成トンネル』。2005年完成。トンネルの延長は1012m。事業費は約78億円
立派な歩道があり歩いても通り抜けることが可能
ナンキンハゼの実
種子は白いろう質で包まれている。
4
2/24 9:36
ナンキンハゼの実
種子は白いろう質で包まれている。
鐘ケ坂公園に到着
桜の名所だ。
無料の駐車場もある。車の場合、丹波市側から金山に、登るのであればここをベースとすればよい。
3
2/24 9:40
鐘ケ坂公園に到着
桜の名所だ。
無料の駐車場もある。車の場合、丹波市側から金山に、登るのであればここをベースとすればよい。
昭和の鐘ケ坂トンネルへの道路は、ここで通行止め。
まずは、写真正面の鐘ケ坂不動滝へ向かう。
3
2/24 9:41
昭和の鐘ケ坂トンネルへの道路は、ここで通行止め。
まずは、写真正面の鐘ケ坂不動滝へ向かう。
鐘ケ坂不動滝
落差8m。谷間にひっそりとたたずむ。
滝の全容がわかりにくい。
5
2/24 9:42
鐘ケ坂不動滝
落差8m。谷間にひっそりとたたずむ。
滝の全容がわかりにくい。
滝への遊歩道の脇にツバキの花見っけ。
4
2/24 9:45
滝への遊歩道の脇にツバキの花見っけ。
ツバキは、ポロっと散る。
散った花が絵になる。
5
2/24 9:45
ツバキは、ポロっと散る。
散った花が絵になる。
滝から鐘ケ坂公園に戻り、明治のトンネルへ向かう。
明治のトンネルに続く、遊歩道の入り口横には苔むした鐘ケ坂公園の石標がある。
4
2/24 9:47
滝から鐘ケ坂公園に戻り、明治のトンネルへ向かう。
明治のトンネルに続く、遊歩道の入り口横には苔むした鐘ケ坂公園の石標がある。
最初に昭和のトンネルの前に出る。
昭和のトンネル 1967年完成。全長455m
2008年12月24日をもって閉鎖となった
6
2/24 9:51
最初に昭和のトンネルの前に出る。
昭和のトンネル 1967年完成。全長455m
2008年12月24日をもって閉鎖となった
サザンカ咲く遊歩道を登っていく。
3
2/24 9:54
サザンカ咲く遊歩道を登っていく。
登山道入り口を過ぎ、遊歩道を登っていくと明治のトンネル
明治のトンネル 1883年完成 全長268m
「明治のトンネル」はレンガ積み工法のトンネルとしては日本最古(現存する道路トンネルとしても日本で5番目の古さ)。
使用されたレンガは約28万枚。総工費は4万円(当時)。
7
2/24 10:00
登山道入り口を過ぎ、遊歩道を登っていくと明治のトンネル
明治のトンネル 1883年完成 全長268m
「明治のトンネル」はレンガ積み工法のトンネルとしては日本最古(現存する道路トンネルとしても日本で5番目の古さ)。
使用されたレンガは約28万枚。総工費は4万円(当時)。
明治のトンネルのレンガは美しい。
5
2/24 10:00
明治のトンネルのレンガは美しい。
明治のトンネルの中からの風景(芸術的)
通常は通り抜けはできないが、通り抜けイベントもあるらしい。
8
2/24 10:02
明治のトンネルの中からの風景(芸術的)
通常は通り抜けはできないが、通り抜けイベントもあるらしい。
トンネル横の石仏
歴史を感じる。
5
2/24 10:02
トンネル横の石仏
歴史を感じる。
登山道入り口へ戻り、鐘ケ坂峠への古道を歩く。
登りが続く。
古来から交通の難所とされてきた。
4
2/24 10:12
登山道入り口へ戻り、鐘ケ坂峠への古道を歩く。
登りが続く。
古来から交通の難所とされてきた。
鐘ケ坂峠 標高400m
兵庫県丹波市柏原町と丹波篠山市の境だ。
4
2/24 10:24
鐘ケ坂峠 標高400m
兵庫県丹波市柏原町と丹波篠山市の境だ。
ヒカゲノカズラ
林の下には、落ち葉に混ざり、いろいろな地衣類が見られる。
ヒカゲノカズラ類がデボン紀からほとんど形を変えずに現在に至ったことは間違いないと考えられている。
4
2/24 10:48
ヒカゲノカズラ
林の下には、落ち葉に混ざり、いろいろな地衣類が見られる。
ヒカゲノカズラ類がデボン紀からほとんど形を変えずに現在に至ったことは間違いないと考えられている。
金山の頂上近くにいくと展望の良い尾根道となる。
天気がよくなってきた。最高
5
2/24 10:48
金山の頂上近くにいくと展望の良い尾根道となる。
天気がよくなってきた。最高
今日は、くもりであまり景色は期待できないと思ったけど、遠くまでよく見える。
5
2/24 10:49
今日は、くもりであまり景色は期待できないと思ったけど、遠くまでよく見える。
シキミの花
シキミの語源のひとつは四季を通じて美しい姿を保つため 「四季美」 と呼ばれていたというもの。 もうひとつはその毒性から 「悪しき実」 と呼ばれていたものが変化し 「シキミ」 となったというもの。
5
2/24 10:51
シキミの花
シキミの語源のひとつは四季を通じて美しい姿を保つため 「四季美」 と呼ばれていたというもの。 もうひとつはその毒性から 「悪しき実」 と呼ばれていたものが変化し 「シキミ」 となったというもの。
金山山頂 標高537m
明智光秀が丹波に侵攻した際、篠山の波多野秀治の本拠地八上城と丹波の赤井直正の本拠地黒井城の連携を断つため築いたとされる金山城の城跡だ。
6
2/24 10:52
金山山頂 標高537m
明智光秀が丹波に侵攻した際、篠山の波多野秀治の本拠地八上城と丹波の赤井直正の本拠地黒井城の連携を断つため築いたとされる金山城の城跡だ。
金山山頂は360度の展望
鐘ケ坂峠、その先に柏原のまち
標高500mちょっとの山で、この展望はすごい。
7
2/24 11:10
金山山頂は360度の展望
鐘ケ坂峠、その先に柏原のまち
標高500mちょっとの山で、この展望はすごい。
鬼の架け橋
古くから奇勝として知られ、たびたび文人墨客が訪れており、歌川広重が描いた浮世絵「六十余州名所図会 鐘坂」にもその姿が描かれている。
8
2/24 11:04
鬼の架け橋
古くから奇勝として知られ、たびたび文人墨客が訪れており、歌川広重が描いた浮世絵「六十余州名所図会 鐘坂」にもその姿が描かれている。
鬼の架け橋の横の岩の上から北方向の展望
白い山頂は氷ノ山かな
7
2/24 10:56
鬼の架け橋の横の岩の上から北方向の展望
白い山頂は氷ノ山かな
アセビの花
蕾が多いが、鬼の架け橋の近くで咲いていた。春ですね!
6
2/24 10:58
アセビの花
蕾が多いが、鬼の架け橋の近くで咲いていた。春ですね!
岩から氷柱(つらら)
山頂周辺はやはり気温が低い。
歩くのに支障はないが、雪も少し残っている。
4
2/24 11:15
岩から氷柱(つらら)
山頂周辺はやはり気温が低い。
歩くのに支障はないが、雪も少し残っている。
山頂から大乗寺方面へ下山開始
尼寺「圓林寺」跡
明治末期から大正時代に随分栄えたそうだ。
団体のハイカーがいっぱい。(ざっと30人)
4
2/24 11:25
山頂から大乗寺方面へ下山開始
尼寺「圓林寺」跡
明治末期から大正時代に随分栄えたそうだ。
団体のハイカーがいっぱい。(ざっと30人)
大乗寺へ降りていく。
追入神社方面と別れ大乗寺方面に下山する。急に他のハイカーがいなくなった。
4
2/24 11:39
大乗寺へ降りていく。
追入神社方面と別れ大乗寺方面に下山する。急に他のハイカーがいなくなった。
獣除けの柵を開け、舗装路に出る。
大乗寺登山口の梅
5
2/24 11:49
獣除けの柵を開け、舗装路に出る。
大乗寺登山口の梅
大乗寺 真言宗高野山の寺
創建は白鳳時代(645−710)、インドから渡来したと伝わる法道仙人開基による古刹。明智光秀に一度焼かれ、再建
4
2/24 11:52
大乗寺 真言宗高野山の寺
創建は白鳳時代(645−710)、インドから渡来したと伝わる法道仙人開基による古刹。明智光秀に一度焼かれ、再建
大乗寺の宝来紙(ほうらいし)
お寺版「しめ縄」ともいえる縁起物
起源は、弘法大師・空海が中国からもたらしたもので、寒冷な高野山には農地がなく、しめ縄を作る稲が手に入らなかった。そこで代わりに絹や紙を使い、切り絵にして飾ったことに始まります。
5
2/24 11:52
大乗寺の宝来紙(ほうらいし)
お寺版「しめ縄」ともいえる縁起物
起源は、弘法大師・空海が中国からもたらしたもので、寒冷な高野山には農地がなく、しめ縄を作る稲が手に入らなかった。そこで代わりに絹や紙を使い、切り絵にして飾ったことに始まります。
追手神社へ舗装路を歩く。道の横に何か珍しい野草が生えていないかなあ。
3
2/24 11:54
追手神社へ舗装路を歩く。道の横に何か珍しい野草が生えていないかなあ。
路側のヒメオドリコソウ
全然珍しくない。が植物差別はだめですよ。
5
2/24 11:58
路側のヒメオドリコソウ
全然珍しくない。が植物差別はだめですよ。
路側のコハコベ
日本では史前帰化植物として扱われている。
4
2/24 11:59
路側のコハコベ
日本では史前帰化植物として扱われている。
大乗寺山門
両脇に仁王、中央の上には立派な竜の飾りものが居る。
5
2/24 12:02
大乗寺山門
両脇に仁王、中央の上には立派な竜の飾りものが居る。
大乗寺の快祐上人の祠(千日さま)
天明8年(1788)に建立。大乗寺中興の祖、快祐上人が、千日間の護摩供養の後、生身のまま入定(即身成仏)されたので、『千日様』として崇められている。
手前の古木が素晴らしい。
5
2/24 12:05
大乗寺の快祐上人の祠(千日さま)
天明8年(1788)に建立。大乗寺中興の祖、快祐上人が、千日間の護摩供養の後、生身のまま入定(即身成仏)されたので、『千日様』として崇められている。
手前の古木が素晴らしい。
今年の干支、龍の宝来紙
快祐上人の祠に飾られていた。ネットでみると結構、販売されている宝来紙だ。
5
2/24 12:06
今年の干支、龍の宝来紙
快祐上人の祠に飾られていた。ネットでみると結構、販売されている宝来紙だ。
追手神社
追手神社は、845(承和12)年の創建と伝えられる古社。
境内でいろいろな春の山野草が見られる。
5
2/24 12:15
追手神社
追手神社は、845(承和12)年の創建と伝えられる古社。
境内でいろいろな春の山野草が見られる。
「夫婦イチョウ」
並んだ2本のイチョウは雌と雄で文字通り夫婦イチョウ
4
2/24 12:15
「夫婦イチョウ」
並んだ2本のイチョウは雌と雄で文字通り夫婦イチョウ
追手神社本殿
まずは、お詣り。
4
2/24 12:19
追手神社本殿
まずは、お詣り。
「千年モミ」
境内のど真ん中、社殿の正面に、巨木なモミの木が堂々と立っている。巨樹ファン垂涎
6
2/24 12:21
「千年モミ」
境内のど真ん中、社殿の正面に、巨木なモミの木が堂々と立っている。巨樹ファン垂涎
「千年モミ」は、幹周/7. 80m、樹高/34m、樹齢/推定1000年。
日本最大のもみの木
国の天然記念物
4
2/24 12:52
「千年モミ」は、幹周/7. 80m、樹高/34m、樹齢/推定1000年。
日本最大のもみの木
国の天然記念物
ユキワリイチゲ 蕾はまだ固い。
境内にたくさん植わっていた。もう少ししたら、いっぱい咲くでしょう。
5
2/24 12:18
ユキワリイチゲ 蕾はまだ固い。
境内にたくさん植わっていた。もう少ししたら、いっぱい咲くでしょう。
境内から旧山陰道の民家の裏を南下する。
旧山陰道沿いの集落大山宮。街道に並ぶ民家の裏の土手に山野草が大切に保護されています。
これは、セリバオウレン
真っ白いのは雄花で一番数が多い。
7
2/24 12:32
境内から旧山陰道の民家の裏を南下する。
旧山陰道沿いの集落大山宮。街道に並ぶ民家の裏の土手に山野草が大切に保護されています。
これは、セリバオウレン
真っ白いのは雄花で一番数が多い。
セリバオウレンの雌花と両性花
雄花の次に両性花が多く、雌蕊だけのセリバオウレンは珍しい。
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2/24 12:32
セリバオウレンの雌花と両性花
雄花の次に両性花が多く、雌蕊だけのセリバオウレンは珍しい。
こちらは雄花だけど、赤っぽい色をした退化しためしべが花の中心部にあります。
5
2/24 12:41
こちらは雄花だけど、赤っぽい色をした退化しためしべが花の中心部にあります。
キクザキイチゲ
開きかけ。もうすぐ見ごろか
7
2/24 12:39
キクザキイチゲ
開きかけ。もうすぐ見ごろか
きれいな紫色
今日、昼から天気がよければ、もっと開くでしょう。
6
2/24 12:40
きれいな紫色
今日、昼から天気がよければ、もっと開くでしょう。
アズマイチゲ
まだ蕾だ。
5
2/24 12:27
アズマイチゲ
まだ蕾だ。
大山宮のアズマイチゲ群落は、市指定の天然記念物
7
2/24 12:29
大山宮のアズマイチゲ群落は、市指定の天然記念物
いったん消防倉庫のところで旧街道に出て、すぐ南の山の斜面へ
ここからが、セツブンソウの大群落
セツブンソウとセリバオウレンの夢の競演
5
2/24 12:35
いったん消防倉庫のところで旧街道に出て、すぐ南の山の斜面へ
ここからが、セツブンソウの大群落
セツブンソウとセリバオウレンの夢の競演
セツブンソウ
くしゃくしゃっとした半透明のガク(花びらみたい)がいい。
7
2/24 12:41
セツブンソウ
くしゃくしゃっとした半透明のガク(花びらみたい)がいい。
セツブンソウは丁度見ごろで斜面いっぱいに白い花を咲かせていました。
5
2/24 12:43
セツブンソウは丁度見ごろで斜面いっぱいに白い花を咲かせていました。
セツブンソウまつりだ!
今日来たかいがありました。
6
2/24 12:43
セツブンソウまつりだ!
今日来たかいがありました。
リュウキンカ
旧街道沿いの家の庭によく植えられていました。
キンポウゲの仲間なので花弁の光沢が強い。
6
2/24 12:45
リュウキンカ
旧街道沿いの家の庭によく植えられていました。
キンポウゲの仲間なので花弁の光沢が強い。
追手神社近くのウイング神姫 大山神上バス停
今日のゴールだ。
バスは13:02定刻どおり来た。あぶない、あぶない
3
2/24 12:58
追手神社近くのウイング神姫 大山神上バス停
今日のゴールだ。
バスは13:02定刻どおり来た。あぶない、あぶない
★ここからは、柏原観光
スタートは柏原駅
柏原は織田家ゆかりの城下町。
柏原藩初代藩主は信長の弟・織田信包。
その後、信則・信勝と続いたが、跡継ぎに恵まれず1650年に断絶。しかし、1695年に信長直系の子孫、織田信休が藩主着任。
以後、1871年の廃藩置県まで信長の子孫が十代にわたって柏原藩を治めた。
4
2/24 13:16
★ここからは、柏原観光
スタートは柏原駅
柏原は織田家ゆかりの城下町。
柏原藩初代藩主は信長の弟・織田信包。
その後、信則・信勝と続いたが、跡継ぎに恵まれず1650年に断絶。しかし、1695年に信長直系の子孫、織田信休が藩主着任。
以後、1871年の廃藩置県まで信長の子孫が十代にわたって柏原藩を治めた。
駅前の田ステ女の石像
寛永十年(一六三三年)に柏原藩で誕生。
江戸時代の歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人。 氏名は田ステで、「女」は名の一部ではなく女流歌人の名に添える接尾辞
4
2/24 13:16
駅前の田ステ女の石像
寛永十年(一六三三年)に柏原藩で誕生。
江戸時代の歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人。 氏名は田ステで、「女」は名の一部ではなく女流歌人の名に添える接尾辞
太鼓櫓のレプリカ
あとで本物がでてくる。
4
2/24 13:20
太鼓櫓のレプリカ
あとで本物がでてくる。
新町高燈篭
天保七年(1836)柏原町下町の田村重三郎の発意と領民の寄進で伊勢神宮遥拝の検討をするために建立。
高さは全5.3m、丹波市内最大の石造建造物
4
2/24 13:27
新町高燈篭
天保七年(1836)柏原町下町の田村重三郎の発意と領民の寄進で伊勢神宮遥拝の検討をするために建立。
高さは全5.3m、丹波市内最大の石造建造物
柏原藩陣屋跡
柏原藩2万石の居館及び政庁として正徳4年(1714)の造営から廃藩置県を迎えるまでその役目を果たした。
現存する建物は、陣屋の表御門にあたる長屋門と表御殿の一部
7
2/24 13:53
柏原藩陣屋跡
柏原藩2万石の居館及び政庁として正徳4年(1714)の造営から廃藩置県を迎えるまでその役目を果たした。
現存する建物は、陣屋の表御門にあたる長屋門と表御殿の一部
陣屋の表御門にあたる長屋門
門から表玄関へと続く構えがそのまま残るのは、全国の陣屋跡のうちここ柏原陣屋のみ
5
2/24 13:55
陣屋の表御門にあたる長屋門
門から表玄関へと続く構えがそのまま残るのは、全国の陣屋跡のうちここ柏原陣屋のみ
柏原藩陣屋跡は、全国でも数少ない陣屋遺構として、また明治以降小学校として使用された経緯から幕末から近代に至る学制の変遷を考えるうえでも貴重であるとして、国の史跡に指定されいる。
4
2/24 13:36
柏原藩陣屋跡は、全国でも数少ない陣屋遺構として、また明治以降小学校として使用された経緯から幕末から近代に至る学制の変遷を考えるうえでも貴重であるとして、国の史跡に指定されいる。
ステ女記念館の横のステ女の石像
ステ女は、正岡子規により「元禄の四俳女」の一人と称されています。
4
2/24 13:53
ステ女記念館の横のステ女の石像
ステ女は、正岡子規により「元禄の四俳女」の一人と称されています。
織田信包(おだのぶかね)像
丹波国柏原藩初代藩主。信包系織田家初代。織田信長の弟。
5
2/24 13:54
織田信包(おだのぶかね)像
丹波国柏原藩初代藩主。信包系織田家初代。織田信長の弟。
たんば黎明館
明治18年(1885)氷上第一高等小学校として建設された。兵庫県有形文化財に指定されている。
7
2/24 13:56
たんば黎明館
明治18年(1885)氷上第一高等小学校として建設された。兵庫県有形文化財に指定されている。
黎明館の向かいに、また、ステ女の石像が
「雪の朝、にのじにのじの下駄のあと」ステ女の句です。
4
2/24 14:03
黎明館の向かいに、また、ステ女の石像が
「雪の朝、にのじにのじの下駄のあと」ステ女の句です。
旅愁(りょしゅう)は日本の詩人である犬童球渓が明治40年(1907年)に詞を訳した翻訳唱歌である。
犬童球渓は旧制柏原中学で音楽教師として勤めた。
3
2/24 14:03
旅愁(りょしゅう)は日本の詩人である犬童球渓が明治40年(1907年)に詞を訳した翻訳唱歌である。
犬童球渓は旧制柏原中学で音楽教師として勤めた。
織田家廟所
元禄8年(1696年)大和宇陀から柏原に移封された織田信休(2万石)以後歴代の藩主とその家族の墓所
4
2/24 14:12
織田家廟所
元禄8年(1696年)大和宇陀から柏原に移封された織田信休(2万石)以後歴代の藩主とその家族の墓所
柏原八幡神社
時間の都合で参拝せず、正面の鳥居の写真のみです。
4
2/24 14:21
柏原八幡神社
時間の都合で参拝せず、正面の鳥居の写真のみです。
木の根橋
樹齢1000年とも推定される大ケヤキの根が、幅8mの奥村川をまたいで、自然の橋を作っている。
このケヤキが枯れないように毎年100万円かけて樹医さんに薬を入れてもらっているとのこと。
6
2/24 14:22
木の根橋
樹齢1000年とも推定される大ケヤキの根が、幅8mの奥村川をまたいで、自然の橋を作っている。
このケヤキが枯れないように毎年100万円かけて樹医さんに薬を入れてもらっているとのこと。
織田神社
柏原藩の三代藩主、織田信勝を祭っている。
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2/24 14:23
織田神社
柏原藩の三代藩主、織田信勝を祭っている。
稲畑人形(いなはたにんぎょう)は、兵庫県丹波市氷上町稲畑で作られる土人形。江戸末期に、赤井若太郎忠常により、作り始められた。兵庫県伝統工芸品指定、丹波市重要無形文化財指定
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2/24 14:27
稲畑人形(いなはたにんぎょう)は、兵庫県丹波市氷上町稲畑で作られる土人形。江戸末期に、赤井若太郎忠常により、作り始められた。兵庫県伝統工芸品指定、丹波市重要無形文化財指定
太鼓櫓
江戸時代に建てられた3階建てのやぐら。最上階には「つつじ太鼓」という大太鼓があり、時報や火事大水などの警報、登城の合図、参勤交代で江戸から藩主が帰藩した時などに打ち鳴らされていた。
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2/24 14:31
太鼓櫓
江戸時代に建てられた3階建てのやぐら。最上階には「つつじ太鼓」という大太鼓があり、時報や火事大水などの警報、登城の合図、参勤交代で江戸から藩主が帰藩した時などに打ち鳴らされていた。
柏原駅14:40の電車で帰宅
おつかれさまです。
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2/24 14:36
柏原駅14:40の電車で帰宅
おつかれさまです。
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