早大尾根~ペテガリ岳~神威橋


- GPS
- 248:00
- 距離
- 52.0km
- 登り
- 3,104m
- 下り
- 3,191m
コースタイム
- 山行
- 11:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 11:30
- 山行
- 5:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:00
- 山行
- 7:45
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:45
- 山行
- 8:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 8:00
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:00
- 山行
- 7:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:00
- 山行
- 9:45
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:45
- 山行
- 5:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:30
- 山行
- 9:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:30
過去天気図(気象庁) | 2024年02月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
北海道登山史の象徴とも言える出来事の一つに日高山脈・ペテガリ岳の厳冬期初登がある。1943年1月、今村昌耕(1937年入部)・佐藤弘(1938年入部)の両氏がイグルーを駆使してコイカクからのロングアタックに成功し、1940年雪崩大量遭難の雪辱を果たした。しかし今の僕がより心惹かれるのは、1947年1月の早稲田大学山岳部による早大尾根の記録だ。終戦直後で物資の乏しいなか、海外遠征へのトレーニングとして一ヶ月にわたる極地法によって登路を拓いたと聞いている。早大尾根からペテガリに登ることを選んだのは、ただ単に海外に向けた準備山行に適していたからなのか、それとも狙っていた厳冬期ペテガリが第二登に甘んじたプライドが困難な登路を課したのか。先人達に想いを馳せ、早大尾根を登る自分をイメージするたびにゾクゾクしていた。
1947年早大尾根開拓以来、僕の知る限りでトライしたのはたったの3人だ。1995年1月に『無名峰』の島田茂さんは中の川林道から入山し、7日間の格闘の末にペテガリアタックと下山路の東尾根との分岐点となる・1518峰に到達するも、悪天と時間不足に阻まれピークを断念している。2018年2月には、カシンも登っている長原孝友さんが妻の理恵子さんとポンヤオロ林道から入山してピークに達するも、下山路の東尾根で雪庇を踏み抜き誘発雪崩で遭難している。
僕にとっては2人ともが憧れの存在だ。彼らをもってしても無事の踏破を許さない早大尾根の謎を、他の誰でもなく僕自身がこの身をもって体感してみたかった。好きな山を、憧れの存在となるべく近い目線で見て、そしていつか叶うならば語り合ってみたかった。仲間に入りたかった。
ペテガリにこだわるもうひとつの理由として、最後の日高巡礼を納得のいく形で締めたい気持ちがあった。ペテガリは3年前に初めて後輩を連れた夏メインで目指したピークだ。加えて僕が登山に目覚めるきっかけになった2年目夏の1839峰も含めて、一つの山行の中で再訪することに今年は執着していた。たぶん、北海道を離れる前に思い出を再確認して、「お守り」のようなものが欲しかったのだと思う。僕にとって勝負の山はいつもイニシエーションに近い気がする。
今年の夏は支六の沢右股に支流としてかかる大滝とその上部の大滝群を遡行した。けれど個人的未踏の39南面継続は入山直前に日和って断念したし、支六の沢は巻きに終始せざるを得ず完全には納得できなかった。正月には神威から中ノ岳、ペテガリまで歩いたが日数以内に39まで辿り着けなかった。要するにもう後がなかった。それでも二の足を踏んでいた僕を決定的に後押ししたのは、ちょうど今年の正月に後輩の中川が東尾根を登ったという報告だ。長すぎる早大尾根でなく、東尾根からペテガリに登って39に繋ごうと考えていたが、ペテガリで興味を引く登路は早大尾根しかなくなった。
日高全山やカムエク南西稜でさえ相次いで、しかも単独で登られる近年において未だに得体の知れない早大尾根。そこから香る死の匂いは果たしてどれ程のものなのか。それとも冬季藪漕ぎが予想されて、しかも両岸渓谷でエスケープの存在しない、ただ単に「楽しくない、気持ちの良い登山はできない」からみんな敬遠しているのか。そして39への継続。引き返すには踏み込みすぎた地点でもしも低気圧が接近してきたら、僕はきちんと生きて帰れるだろうか?早大尾根にコテンパンにやられてペテガリ頂上に辿り着いたとき、39へと伸びる稜線を見て何を思うだろうか?
春にカシン遠征も控え、この機を逃して一線に踏み込まなければ自分を一生呪い続けることくらい分かっていた。明らかに早大尾根を狙っている彼には申し訳ないと思ったけど、課題を奪い合うくらいの方が総体運動として面白くなるだろうと目を伏せて、大樹町行きのバスに乗った。大樹町のバス待合所に着いたのは21時だった。札幌と比べて街灯が少なく、人気も感じられなくて心細いなか、蜘蛛の巣と色褪せた張り紙類に囲まれて横になった。
2/5 晴れ 大樹町バス待合所(4:30)拓進神社(9:00)大幸橋=C1(16:00)
3時に起きて、まだ暗い街を歩き出す。唯一開いていたセブンイレブンで温かいコーヒーを飲んだ。ホリエモンロケットの張り紙があって、なぜだか嬉しかった。日の昇る頃にようやく牧場を抜けて林道入り口に着いた。途中までは、狩猟なのか、スノーモービルの轍があって助かった。轍が無くなると重めの脛~膝ラッセル。渡渉はスコップで雪山を積んで通過した。ペテガリ橋までのつもりだったが、日没直前に気持ちが切れた。
2/6晴れ C1(13:00)・932北東尾根Co800=C2(18:00)
4時に起きて朝食を摂るがまだ暗いので二度寝。6時にセットするが当然のように気がつかず寝坊。このところ修論とか遠征資金用バイトとか予定を詰めすぎて、あまりの睡眠不足で気がついたら12時前だった。やれやれ...。開き直って今日中に稜線上に乗ることを目標に頑張る。本当はペテガリ橋で東尾根分岐を確認してから早大尾根に取り付くつもりだったけど、林道歩きが嫌すぎて、横着して大幸橋手前から微尾根に取り付いた。新雪の急登膝ラッセルは辛いが無心で作業を続けた。樹林密度と取付き時刻のせいか、最初から薄暗くて周りがあまり見えず、かえって時間を気にせずマイペースで頑張れた。ラテルネ装着して1時間で緩やかになったのでテントを張った。
2/7晴れ C2(9:00)・984=C3(16:45)
今日も快晴だ。こうも晴れが続くとヤバい場所で悪天に捕まるのでは...と陰鬱になった。1時間ほどで稜線に乗れて安心した。本当にこれが早大尾根なのか?と疑うほどに極太の快適尾根を息を弾ませ進んでいく。楽しいけど、やっぱり横着せずにペテガリ橋まで行くべきだったと後悔した。たまに細い尾根が出てきて上を行ったり、巻いて急な雪壁を攀じったりした。誰とも話さず、ほとんど誰にも知られず、登れたとしても世間の注目を1mm程度しか集めない山奥で格闘する日々。でも、それでいいし、その方がいい。だからこそこの山が登りたいのだ。そんなことを考えながら黙々と夕食と着替えを済ませて寝た。
2/8くもり C3(8:00)・1127と・1185のコル=(16:00)
2度目の目覚ましでようやくシュラフから出た。今日はくもりだ。ペテガリどころか主稜線すら見えない。取り付いた尾根は間違ってないはず...。もし地図読み間違えてたら全部台無しだな。日数的にもやり直しがきかない。どんな気持ちで引き返して、あの待合所から札幌行きのバスに乗ればいいんだろう?今は自分を信じて歩き続けるしかない。でも大事なときには尚更やらかす人間なんだよなぁ...。
アップダウンの緩やかな、快適な樹林尾根を5万図「ポンヤオロヌップ川」表記の真南に当たる最低コルまで駆け下る。雪庇も天気も問題ない。1月より雪庇が発達して3月より天気の悪い2月を選んだつもりだったけど、実際は1月より天気が良くて3月より雪庇のマシな2月だったのかもしれない。その直後、・1127への標高差300mの登り返しで、まるでこちらを試すかのような地獄を見た。ここは本当に早大尾根なのか、自信がないことも相まって何度か立ち止まり、地図とこれまでの地形をなぞる。何度か心が折れそうになりながら登りきった。もう今日は休みたいな…と考えていた矢先、・1185へと続く稜線が妖しく光る日本刀を思わせる鋭さで、雪稜として谷底から屹立していた。時刻は15時。うーん……、何をするにも早すぎる中途半端な時刻だ。これまでの雰囲気と地図をもう一度照らし合わせ、・1185から・1295の間に泊まれる場所はあるはずだと判断し突っ込む。
一寸先は間違いなく死だ。全身に嫌な汗をかいているのに喉はカラカラに渇いている。狭い歩幅で確実にステップを刻んでいく。予想よりも時間がかかり、「まだ・1185にも着いてないのに...」と焦り始めていたところでテンバ適地を発見した。「やったっ!」と1人声を上げて感動した。今日も機械的に夕食と着替えを済ませてシュラフに潜り込む。全身疲労のせいか自意識が流れ込む暇もなく就寝。
2/9晴れ C4(7:00)留取岳(14:00)・1483=C5(16:00)
1度目の目覚ましが鳴る前に目を覚ます。計画より遅れているがこれ以上ペースを上げることも出来ないので、長時間行動でしか抵抗できない。低気圧が一発でも来れば、39どころか早大尾根からの脱出すら怪しくなる恐怖があった。朝食の準備をしながらテントの外を覗くと、幸運なことに天気はいいが主稜線はガスに包まれている。今いるのは本当に早大尾根なのか...?入山前の膨れあがった自意識が情けない音を立ててしぼんでいくのを感じた。このまま進んでも大丈夫なのか...?かといって、今日は晴れているし、このまま引き返すことはあり得ない。いつだって一生に一度きりのトライだ。前に進むしかない。それに・1185までの雪稜もまだ終わっていないのだ。
気合いを入れて出発したが案外あっさり・1185に着いた。嫌な部分は昨日越えていたらしい。幸先がいい。その先も基本細めの雪稜が続く。遠くから眺めると、引っこ抜けそうなハイマツと小汚い岩稜の上に乗っかっただけのキノコ雪にしか見えない。しかし下に降りてしまうと稜線上に復帰できる保証はないので、キノコ雪の上を歩くしかない。時々悪いクライミングも出てくる。定天東尾根をずっとフリーソロしているみたいだ。
相変わらず天気はいいが主稜線はガスっている。天気が良すぎて雪面がグサグサに腐っているので膝までの重い湿雪ラッセルになる。極太カンバ林もいちいち避けるのがウザすぎる!発狂しそうだ。湿雪膝ラッセルから逃げようと谷底まで見える雪庇際ギリギリを歩いていたら、右足の感触が突然軽くなった。
「あっ…!」
咄嗟に左足に重心を移動して稜線側に飛び移り目の前にあったカンバにしがみつく。地鳴りとともに雪煙を巻き上げながら化け物が谷底に吸い込まれていった。「あっぶな…。死ぬかと思った...。」覗き込む勇気は出なかった。これは警告だ。次は一発退場だろう。立ち止まることはせず、高鳴った拍動を落ち着かせるために少し速度を落として歩き続けた。雪庇を避けるための延々膝ラッセル、あぁこれが早大尾根なんだと言い聞かせる。いったいこの地獄はいつまで続くんだ?本当に進んで大丈夫なのか?この先もっとやばい内容が出てきたらまずい...。ヒマラヤ・カイラス山に似た印象的な北壁が聳える留取岳と思しき高まりを越えた。
そのとき、懐かしい友人と数年ぶりに再会したような安堵感が込み上げてきた。雪化粧しているけれど、あのカールに、あの流麗な三角形。間違いない、あれはペテガリだ!なんて神々しいんだ...。息を呑みひとしきり眺めたら元気が出てきた。間違いない、ここは早大尾根だ!!
・1483まで登り、その先は相当めんどくさそうな気配がしたので行動終了とした。残された日数を数えて、はたして39まで行けるだろうかと心配になる。夜、トイレで外に出たら、月明かりに照らされたカンバ林が妖怪みたいでゾッとした。
2/10晴れ C5(8:00)・1518(東尾根合流)=C6(15:00)
今朝は1度目の目覚ましでは起き上がる気になれなかった。疲れた。無情にも?今日も晴れている。高気圧が謎の居座りを続けているせいか?ここは・1483なので先行きが読めた。もう疲れた。毎日毎日どんだけ歩かせるんだよ。そろそろ停滞したい...。ここまで快晴が続くのは祝福なのか刑罰なのか分からなくなってくる。「1人で早大尾根を登れるなんて思い上がりも甚だしい。出来るもんならやってみろ」と手の平で踊らされている気分になった。いや、山からしたらこんな人間一匹が内側へと潜入して足掻き苦しもうが何も変わらないんだろうなぁと思う。なんだか腹が立ってきた。とっととペテガリと39登って、ペテガリ山荘でのんびりしよう。そんなことを考えてようやくシュラフから出た。
・1483からの下りに1時間もかかった。絶妙に疎らなカンバを繋いで慎重にクライムダウンしていく。2人いたら絶対ロープ出すくらいの嫌らしい草付きをトラバースしてから背後の岩峰を振り返る。これは危ないわ...。その先も大ギャップになっていて、日高側のルンゼを時々氷にクォークを刺しながら20mクライムダウンする。急なハイマツ壁を鷲掴みして、ようやく稜線に復帰した。大変な行動だ。同じく単独だった島田さんはどうやって越えたのだろう?留取以前は稜線が真東だったが、以降は北西-南東方向になって登りが南面になるので腐ったグサグサ雪面を登るのがマジでつらい。つらすぎる...。・1463から・1518の東尾根合流点までの区間も、稜線上を歩ける代物ではないので日高側のハイマツ混じり急雪面をトラバースしていく。スノーシューでなくワカンにしてきて正解だった。それにしてもこの強度は縦走じゃない、もはやアルパインクライミングそのものだ。でも、この数字だけでは絶対に表せない一歩の重みを求めてここまで来たのだ。苦しみと喜びのごちゃ混ぜになった恍惚感を噛み締めた。
呻き声を上げながら・1518に這い上がる。時刻は15時。気がついたら1日が終わっていた。今日はもう行動したくない。そもそも、もう目の前に思える主稜線までの区間も、今日と同じ内容だから時間がかかるし途中で泊まれない。低気圧が一発きてたら絶対に下山日に間に合わなかった...。もう、早くご飯食べて寝たい...。今朝の思い上がりを恥じた。残り日数的に39は絶望的だ。なんというか精力を搾り取られた一日だった。
2/11晴れ C6(7:00)・1573(主稜線合流)(14:00)ペテガリ岳(15:45)西尾根・1301=C7(16:45)
今日は目覚ましが鳴る前に止めた。朝食を多めに摂り、手袋靴下を乾かしてからテントをたたむ。今日も晴れている。やっぱり僕は祝福されているんだと考え直した。振り返ると中川や羽月さん・増田さんが登った東尾根も結構やばそうだ...。燃え上がる深紅のペテガリを見据え、頂上に着く時間次第では39狙うんだと出発する。
・1518からの下り始めは朝で雪面が硬く快適にサクサク進めた。雪庇も尾根の緩急も早大尾根よりマシだな、なんて考えていたらちゃんとしたナイフリッジやギャップが出てきて、アイゼンの紐をもう一度締め直した。気温が上がりきっていないためか、夏に登った支六の沢支流大滝の源頭まではスムーズに到達。しかしその先からズボズボ地獄が始まり苦笑、を通り越し、ペテガリへの憎悪が湧き上がってくた。「ふざっけんな!しつこい山だなぁ!おれを帰らせないつもりか?!絶対に登りきってお前の頂上で死ぬほど地団駄ふんでやる!!」発狂して、吼えるが、体が重すぎて全然進まない。カラスがカァカァ鳴きながら先を越していったときは自分が情けなさ過ぎて泣きそうになった。しかし、なんでこんなことやってるんだろう...なんて途方に暮れている暇はない。歩くんだ。歩き続けるしかないのだ。
目の眩むような輝きを放ちながら威風堂々と存在し続ける白銀の山々。視界の端から端でも収まりきらない広がりをもって、登山者の行く手を阻む日高山脈の主稜線。そんな風景が見られることも日高の支稜を登る魅力の1つだ。主稜線との合流点に満身創痍で辿り着いたとき、煌々と輝く表舞台に躍り出たような気分になって胸が高鳴った。そのなかでもペテガリは一際白く輝いて見えた。あと少しだ。日高側から吹き上げてくる風は冷たく、体の芯まで凍りそうになる。疲れすぎているのかもしれない。ビレイジャケットを羽織り目出帽も身につけてフル装備にした。あと少しだ。この7日間の疲れが吹き飛んだような軽やかさで頂上へと闊歩していく。主稜線の快適さに驚愕した。あと少し、あと少しだ。自分に言い聞かせていたら、あっと言う間に頂上に着いた。北へ目をやると39はガスに包まれている。さて、どうするか...。
現実的に考えれば、即座に西尾根から下山する以外に選択肢はなかった。要はこだわりを捨て去って現実を認められるかどうかだった。今後の天気も悪くはないし、主稜線なら夜通し歩けば39に登って3日後に控えた成田さんとの北大山岳館講演にも間に合うかもしれないと思った。でも...もし間に合わなかったら?もしも遭難騒ぎになったら...?個人的な野心を優先させて間に合わないので欠席します、なんてのは人として流石に有り得ないだろう。そもそももっと工夫すれば入山日も早められたじゃないか。そう思うと、自然と下山路に足が向いた。下りきったところでC7とした。
2/12晴れ C7(9:00)ペテガリ山荘=C8(14:30)
背後のペテガリを何度も振り返りながら下山する。ペテガリ頂上から続く長い長いトレースを見て、単独行者って、彗星みたいだなぁと思った。こころの氷が融けたとき、その人はいったいどこへ向かうのだろうか…?
西尾根上の・1050からの曲がり角でペテガリ沢に迷い込みかける。その登り返しで自分の身体が思っている以上に疲弊していることに気づく。ベッピリ乗越は今日中に済ませようとか、アルパイントレーニングとして夜通し歩いて始発のバスで帰ろうなどと妄想していたのに、吸い寄せられるようにペテガリ山荘に入ってしまった。
2/13晴れ C8(1:30)神威山荘(5:30)神威橋(10:00)
今日中に帰らないと山岳館講演に間に合わないので23時に起きた。薪ストーブに癒されながらのんびり準備していると、39を諦めたのに、天気がよくて登れただけなのに、清々しい気持ちになってきた。
ベッピリガイ乗越あとの何でもない雪壁トラバースで不意落ちしたときは自分にあきれた。もしあのまま39を目指していたら万が一が起きたかも知れない。講演を企画してくれた北大山の会に助けてもらったような気さえした。あとは適当に歩いて、神威山荘から先は現役のスキートレースに助けられたりした。車道に出ると靴擦れがひどくて座り込んでいたら、大北牧場の社長さんが拾ってくれた。セコマで待望のコーラをがぶ飲み。うますぎる!!色々と悩んでいたことがなんかもうどうでもよくなった。
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