記録ID: 80521
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雪山ハイキング
奥秩父
両神山
2009年01月10日(土) [日帰り]



- GPS
- --:--
- 距離
- 9.6km
- 登り
- 1,424m
- 下り
- 1,424m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
2009年最初の本格的登山となる今回は埼玉県秩父の両神山(1723m)を訪れた。この両神山は深田百名山の一つだと同行した原くんが言っていた。まあ、ぺんぎん隊は百名山とか標高には全く拘りは無く、登ってみて良い山ならそれで良いという単純な登山隊なのであるが、山を歩く以上は百名山ファンに通じる山歴があるのも無駄では無いかもね。(笑) さて、秩父地方の山には全く縁の無いぺんぎん隊。今回は原くんの希望に任せて両神山を選択した訳なのだが、両神山が秩父の何処にあるのかさえ知らない私である。ぺんぎん隊の場合、副隊長の私が知らない事は隊長も知らないのである。 荒川源流入川の柳小屋に行った時に手に仕入れた唯一持ち合わせる秩父方面の地形図「中津峡」を引っ張り出す。すると「中津峡」の上に位置する地形図が「両神山」だった。 「おしい!!」 などとは言っていられず、まずは1:25000地形図「両神山」を仕入れる事からしなければならなかった。石井スポーツに地形図を仕入れに行くのだが、この手のショップに行くと他にも何かを買ってしまいそうな私なので300円だけしか持たずに行く。ぺんぎん隊の財政も厳しいのである。(笑) さて地形図を入手しこれで凡そ自分が行くべき方面が知れたところで(最近は自分がどこに行くのかさえ知らないグループ登山の人がいると聞きますが・・・)次は登山道の予習をしなければならない。予習と言っても大した事ではなく、友人の山行記を斜め読みするくらいなのだが、(それが証拠に頭に残っていたのはお土産品の“しゃくし菜漬”の事だけでした・・・笑)それでも大体の様子は判って一安心。後は当日を待つばかりとなる。 1月10日当日、朝8時過ぎに登山口である日向大谷に到着。生憎というか幸いと言えるかは終わるまで判らないが、辺りは雪景色。前日に寒波が押し寄せた関東地方の山間部はどこも雪が降り積もった様子で、ここ秩父地方も例外ではなかった。台風一過ではないが、前日に雪を降らせた空も今日は真っ青に晴れ渡っている。しかし北風が半端じゃなく吹き荒れていて新雪を舞い上げて登山口駐車場の広場を吹き抜けている。 登山口から石段を登り民宿の前を過ぎて登山届をポストに押し込み、いよいよ山へと足を踏み入れる。いきなり鳥居と仏像が現れて信仰登山の地であることを教えてくれる。原くんが鳥居と仏像の取り合わせに疑問の声を上げているが、まあ「昔の日本は神仏習合だったのだよ。」と軽く右から左へと受け流して歩き出す、が真相は知らない。(笑) 山肌を巻くように多少のアップダウンを繰り返して登山道は続く。沢音が大きくなり登山道は沢に向かって下って行く。七滝沢沿いの登山道との分岐を過ぎると小広い地形となり一対のテーブルとベンチが設置された会所に着く。多分みなさんはここで一服するのだろうと思いながらもテーブルもベンチも雪に埋もれていてその気にならず、少し立ち止まった程度で登山道を更に先へと進む。 地形図から登山道は薄川沿いに付けられていて、清滝小屋に至るまでに沢を4回渡っていることが判る。一つ、二つ、と数えながら四つ目を渡った地点で小休止をする。こう書いているとまるで順調に歩いて来ている様に思われるだろうが、降り積もる雪が徐々に深さを増して来ている風景に「いつ帰るか・・・」という心境でいたのである。 薄川の沢床から離れるに従って傾斜を増す登山道を進む。今日は我々以外は誰も登っていないらしく新雪にトレースは無い。これは鹿、これはウサギ、これはクマ!!と獣たちのトレースだけが登山道を横切って行く。恐らくベテランの山屋さんはこれを喜ぶのだろうが、ぺんぎん隊には心細さを増すものでしか無い。 2009年の干支が牛だからという訳ではないのだが、進む歩調はそれぞれが余りにも重い。雪に足を取られて滑ったり転んだりを繰り返しているうちにお約束のシャリバテに襲われているのである。 白藤の滝分岐を過ぎる辺りから隊長が遅れ出した。隊長の足に軽アイゼンを装着。しばらく彼の後ろを付かず離れず歩いていたのだが、どうも私が一緒にいる事が歩調を鈍らせている感じがしないでもない。甘えなのだろうと思う。ここは一気において行く事にする。 登山は余程の体力の持ち主で無い限りは楽な遊びでは無いと思う。自分を体力の限界まで追い込んで楽しむ娯楽であり、またそこに達成感などを感じる部分がある。人間は体力と気力の天秤が吊り合った時に最高のパフォーマンスが出来る。隊長は私たちが彼の視界から消えて初めて体力と気力の均衡を自ら保つ努力と経験をするだろう。そしてそれには我々と獣たち以外に一切トレースが無い新雪の登山道が持って来いの舞台なのかも知れない。 隊長が後方に小さく見える辺りで原くんに追い着く。 「あれ、佑次郎は?」 「置いて来た。」(笑) 「大丈夫ですか?」 「雪道に足跡を追えば間違い様が無いからダイジだよ。」 こんな会話を交わす。 先行する原くんはその後も数回後ろを振り返り隊長の姿を探している様子。そこに私が追い着いては同じ会話を繰り返し交わすのである。 しかし強がりはしても私にとって隊長は大切な息子だから登って来る姿を遠く目にしながら歩いている。見えなくなったら見えて来るまで待つのは当たり前である。でも、やはり私が思った通りに隊長は一人きりになった時から立ち止まる回数が目に見えて減っている。まだ十分に歩けるのだ。時折遠くから声を掛けて励ます事も忘れない。 清滝小屋は思った以上に立派な小屋だった。それもその筈で80人収容の一泊二食付きの営業小屋だと知ったのは小屋を目にしたたった今である。かなり予習不足。(笑) 小屋の前を通り炊事場前のベンチに落ち着いてガスバーナーにお湯をかけて空身で隊長を迎えに行く。いくらも下らないうちに登って来る隊長に出会う。ザックを持ってあげて小屋まで背を押しながら登る。「大して遅れていないじゃないか、よく頑張った!・・・」と笑顔で褒めてやる。 清滝小屋で大休止。 本当は山頂でラーメンを食べる予定だった。登山口8時半出発はそんなコースタイムである。予想外の雪だったとしても隊長が足を引っ張っただけの結果ではない。とは言え清滝小屋で昼を迎える事になってしまった。ここから山頂まで1時間半として山頂到着が2時。即下山しても明るいうちに降りられるか・・・?。 でもそれがぺんぎん隊である。隊長に合わせて一緒に山頂に立つ事が大切なのだ。ただ単に山頂に立つだけならば隊長など鼻から連れて来ない。一番弱い者が「楽しかった!」と言える山渓歩きこそが大切なのだと教えてくれた人が私にはいた。それを実践するだけだ。 「行けるところまで行こうか!」 そう言って清滝小屋を後に歩き出す。隊長のザックは清滝小屋にデポして空身で歩かせる。途端に先頭を歩くのだからやってられない大人たちである。(笑) 清滝小屋から鈴ヶ坂を登り尾根に登る。ここで初めて両神山の山頂を目にする。遠い・・・。 ここからは鎖場の連続。露出している筈の岩が雪に覆われて岩肌に下がる鎖は雪の中で凍り付いている。濡れた軍手が冷え切った鎖に触るとピタッと鎖に張り付いて剥がすのに苦労する。「軍手は雪山には通用しない」とぺんぎん登山隊のメモ帳には記された。 鎖場を何とか凌ぎ両神神社に到着。「普通なら山の上の神社は頂上だよね?」と隊長が言うので「そうとは限らないのが山なの!」と半分怒って答える。誰よりもここが山頂であって欲しかったのは私である。(笑) 両神神社から登山道は一旦緩く下り最後に山頂へと上り詰めている。もう山頂も目の前とばかりにデジカメを動画モードにして二人の姿を映しながら歩く。しかし山頂への最後の登りも鎖場だった。 片手にカメラを構えながら片手で鎖場に挑む、・・・が・・・こんな所で何故かここだけ鎖が思い切り緩いのである。引いても引いても手繰られる鎖を一巻き二巻きと手首に巻きつけて漸く力を掛けられる。おまけにここに至るまでの途中で右足のピンソールが外れて無くなっていて利き足が雪を被った岩で踏ん張れない状態。でもまあ渓遡行で岩には滅法強い私ですからダイジですが!。(嘘爆) 何はともあれ予定通りに午後二時、山頂に到着! ビュウ〜〜〜〜〜〜 風強えぇぇぇ!! 山頂滞在時間約3分。 一目散にを下山開始。 両神神社を風のように・・・・ 清滝小屋を風のように・・・ 途中、薄暗い登山道で出会ったカモシカに悲鳴を上げながら・・・ 夕方6時前に登山口に到着した軟弱ぺんぎん登山隊でありました。 |
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