岩櫃山&岩櫃城跡~真田の本拠に思いを馳せる~


- GPS
- 03:47
- 距離
- 5.2km
- 登り
- 457m
- 下り
- 446m
コースタイム
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
郷原駅前駐車場 以下のプレートが付いていました。 ・臨時(登山者用)駐車場:2台分 ・短期駐車場:4台分 あり 9:10時点で1台駐車。 ※その他は定期(月極)や個人用でした。 ※駅改札横にトイレ、自販機あり。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
【郷原駅~密岩登山口】 民家や畑の間の舗装路を進む。分岐には「岩櫃」の幟とともに案内があり、わかりやすい。 【密岩登山口~稜上のコル】 やや急な上りが続く。落ち葉が多く、前日の雨の影響で湿っていて滑りやすい。 【稜上のコル~山頂】 鎖場あり、梯子あり。7合目辺りからはストックをしまって、手を使う。大きな岩を右から巻いて行く時は、崖側切れ落ちていてスリルあり。 【山頂~6合目櫃の口(天狗の蹴上げ岩)まで】 1~2ケ所、湿った岩の急な下りがあり、慎重を要した。が、密岩登山口からの上りよりは楽。 こちらが下りで正解。 【6合目~岩櫃城跡】 沢コース利用。前日の雨の影響もあり、道が一部沢になっていた。 【岩櫃城跡〜下山】 岩櫃城跡の後、ヤマレコマップ破線ルートを通って下山したが、道が悪いので、お勧めしない。 遠回りに見えるが、平沢登山口まで行って東側の道を通って郷原駅へ戻るべきだ。 |
その他周辺情報 | 【大戸関所跡】 郷原駅から南へ車で10分ほど。 かの国定忠治が関所破りをした事で有名。 信州街道(北国街道の脇往還)で、高崎から4番目の宿場町が大戸宿。 【忠治地蔵】 大戸関所跡から車5分。 国定忠治の処刑場の跡。慰霊碑がある。 |
写真
感想
今日は気温が低くなるとの予想。ならばこれからの季節には厳しい低山に行こうと。
ヤッシさんが兼ねてより行きたかった岩櫃山へ。
郷原駅からの時計回りの周回コースだが、歩き始めてすぐ、地元の方から「3日前に女性が滑落してヘリ搬送されたんだよ」と。短時間の軽い山ではないよ、との注意喚起。おかげで、私達も気を引き締めて臨めた。
当初気温が高かったら山梨県の乾徳山を候補にしていたが、それに勝るとも劣らず、岩櫃山は岩場鎖場のスリリングなコースだった。
歩行時間が短いにも関わらず、登山らしい上り、見晴らしの良い岩場、高度感のある鎖場、下りは沢沿いの涼しげな道でリラックス。更に歴史好きにはたまらない岩櫃城跡を歩く、という盛りだくさんや内容。
雨も降らず、この充実の内容。
唯一の誤算は、最後、郷原駅へ戻る道に、ヤマレコマップでは点線のルートを歩いてしまったこと。
始めは普通の道だったのに…いつの間にか荒れた竹藪に。もちろんGPS地図頼りに歩くのだが、更に魔がさして、実線ルートへショートカットして復帰しようと試み、泥だらけになる始末(土の上を滑った)。
急がば回れ、が身にしみた。
下山後は近くにある大戸関所や国定忠治処刑場跡、を回った。実は権田城跡、もGoogle map上にはあるのだが、実際には無く、車で探し回って疲れた、という最後でした。
池波先生の真田太平記を始めとする、真田物が大好きです。
今まで行こうと思ってなかなか行けなかった岩櫃山に行きました。
何度か、山梨県の岩殿山にも行きました。真田昌幸は武田勝頼を岩櫃山に迎え、武田家再興を機すると進言しました。が、勝頼は小山田信茂が、岩殿山にて守る、という言葉を信じて向かいましたが、信茂に裏切られ、非業の死を迎えます。そして武田家一族は滅亡しました。
信長は裏切り者を信用できず、信茂を処刑しました。
勝頼が、岩櫃山に来ていたら、武田の血は残っていたのではないでしょうか。
岩櫃城は徳川の、一国一城の令により1614年に廃城となりました。当時のまま、明治まで残っていたらなあと思い、残念です。
しかし、岩櫃場跡には、堅固な縦堀が残っていて、今では登山道になっています。
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