記録ID: 8270140
全員に公開
ハイキング
京都・北摂
比叡山(修学院駅〜比叡山坂本駅)
2025年06月08日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 04:39
- 距離
- 14.2km
- 登り
- 1,030m
- 下り
- 1,027m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:31
- 休憩
- 0:31
- 合計
- 5:02
距離 14.2km
登り 1,030m
下り 1,027m
13:29
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰りは、JR「比叡山坂本」駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
歩行に支障のある箇所は特になし。 |
写真
雲母坂(きらら坂)と雲母橋の説明表示板
雲母坂は、平安時代より比叡山と都を結ぶ主要路として賑わい、都からの勅使が通ったことから勅使坂とも呼ばれました。また、法然や親鸞らの名僧をはじめ多くの人たちもこの坂を行き来しました。比叡山の山法師が日吉神社の御輿を担いで都に強訴に押し掛けたのもこの道とされ、南北朝の戦乱ではこの坂が戦場となり多くの将兵の血に染まりました。
雲母坂の名は、付近の花崗岩に含まれる雲母のきらきらした輝きからこう呼ばれたとも言われています。
京都府では昭和47年9月の台風24号による音羽川の水害を契機に砂防ダムを整備し、平成4年度から砂防学習ゾーンとして環境整備しました。
そして雲母坂の上り口にこの橋を設置するにあたり、雲母坂の名前にちなんで「雲母橋」と名付けました・
平成12年10月
京都府京都土木事務所
雲母坂は、平安時代より比叡山と都を結ぶ主要路として賑わい、都からの勅使が通ったことから勅使坂とも呼ばれました。また、法然や親鸞らの名僧をはじめ多くの人たちもこの坂を行き来しました。比叡山の山法師が日吉神社の御輿を担いで都に強訴に押し掛けたのもこの道とされ、南北朝の戦乱ではこの坂が戦場となり多くの将兵の血に染まりました。
雲母坂の名は、付近の花崗岩に含まれる雲母のきらきらした輝きからこう呼ばれたとも言われています。
京都府では昭和47年9月の台風24号による音羽川の水害を契機に砂防ダムを整備し、平成4年度から砂防学習ゾーンとして環境整備しました。
そして雲母坂の上り口にこの橋を設置するにあたり、雲母坂の名前にちなんで「雲母橋」と名付けました・
平成12年10月
京都府京都土木事務所
感想
比叡山には車で行ったことがあって、その時、琵琶湖を見下ろす眺望が素晴らしかったので、また行ってみたいと思っていたのですが、今日はガスガスで、景色はあまりよく見えませんでした。
また、途中でスマホのカメラの調子が悪くなって、延暦寺の建物の写真もあんまり撮ることができず、残念でした。
でも、歩きやすい道で、山行自体は十分楽しむことができました。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:252人
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する