自然探索 ジオツアー「鷲流峡谷を歩く」

- GPS
- 08:04
- 距離
- 6.3km
- 登り
- 260m
- 下り
- 264m
コースタイム
- 山行
- 5:44
- 休憩
- 2:20
- 合計
- 8:04
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
遊歩道はない。 落石、天竜川の増水には注意。 |
その他周辺情報 | 鎌倉時代の文永元年(1264)に創建された文永寺 https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/buneiji.html 温泉:飯田市健康増進施設「ほっ湯アップル」 https://www.city.iida.lg.jp/soshiki/15/hoken10.html |
写真
感想
今回の参加者は事務局、案内を含め15人。参加費は保険料170円を含む1人300円の他、目的地まで往復の車相乗り交通費として燃料費等1人500円。長野県内外から地形、地質に興味ある会員が集まりました。
鷲流峡(がりゅうきょう)は飯田市内直近の大秘境で遊歩道ありません。飯田市時又の天竜橋より青麻神社がある右岸側の峡谷をゆっくり歩き、ゆっくりとよじ登りを繰り返し「湯の瀬」跡、初代南原橋(黒瀬ヶ淵、天竜橋)跡等に立ち寄り地形・地質を確認し、上流の南原橋直下まで約2kmを遡行して、最後は高低差40mよじ登り南原橋の道路へ出る。
帰路は鎌倉時代の文永元年(1264)に創建された文永寺に立ち寄り、日本で最初に重要文化財指定された五輪塔を見学し、ヤマザクラ、ヤマブキが咲く左岸側の県道を歩き出発点の天竜橋に無事戻りました。
●鷲流峡(がりゅうきょう)
昭和26年に天龍峡が県立公園指定をされたのを契機に、天龍峡と区別するため、南原橋から時又までを「鵞流峡」と名付けた。(川路村誌より引用)
名前の意味は「鵞湖」(諏訪湖)から流れくる峡谷(竜丘村誌より引用)で明治初期には、南原(当時の下久堅村)の住民に「鵞流峡」と呼ばれていました。「鵞湖」は、湖の形がガチョウの頭の形に似ている事から呼ばれていた。(諏訪市観光サイトより)
●鵞流峡の地質
領家帯変成岩類(花崗閃緑岩および変輝緑岩(閃緑岩))
・ 両岸の河岸急斜面に広く露出する。暗灰色の閃緑岩と淡灰色の花崗岩閃緑岩が混在する岩層を示す。
・ 岩質は全般に塊状・硬質で、割れ目の間隔数10cm〜1m程度と割れ目が比較的少ない。
・ 硬質塊状の状態の岩盤は、斜面上部まで分布しており、花崗岩質岩で一般に見られる「マサ」(砂状に風化する現象)は斜面のごく表層部に限定される。が 両岸の河岸急斜面に広く露出する。
●南原橋(黒瀬ヶ淵、天竜橋)南原橋の架け替えの変遷
初代南原橋は、橋名を天龍橋とし明治3(1870)年に架橋され、黒瀬ヶ淵の岩盤に穿孔し、赤松材で両岸よりオガミ橋式の橋が組み立てられた。(竜丘村誌より引用)
初代 明治3年9月 1870年、 天龍橋 黒瀬ヶ淵 オガミ橋式 明治6年に通行止め
二代橋 明治7年11月 1874年、 天龍橋 黒瀬ヶ淵 ハネ橋式ボート留 明治15年に洪水により流出
三代橋 明治17年 1884年、 黒瀬ヶ淵 土橋 明治17年7月に流出
●「湯の瀬」跡
昭和36年(1961年)まで風呂や食事を提供していた。
●文永寺石室・五輪塔
飯田市HP: https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/buneiji.html
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