経ヶ岳☆鹿谷ルート〜法恩寺山〜平泉寺


- GPS
- 10:13
- 距離
- 20.6km
- 登り
- 1,433m
- 下り
- 1,645m
コースタイム
- 山行
- 5:15
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 5:48
天候 | 一日目;晴れのち曇り一時雨 二日目;晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
下山は白山平泉寺へ 平泉寺よりバスで勝山温泉センター「水芭蕉」に移動 |
コース状況/ 危険箇所等 |
鹿谷ルートは南六呂師からの右岸沿いの林道は最初の堰堤で途絶、 堰堤の右岸を越えるのは難度の高い藪漕ぎルートとなるので、対岸の林道で迂回する方が安全 鹿谷ルートは難度の高い二回の渡渉あり、いずれも渡渉後のルートが判りにくい 詳しくは感想にて 全般的に倒木や地面と水平に生える樹の下を潜る箇所が多く、大きなリュックは不利 |
その他周辺情報 | 勝山温泉センター「水芭蕉」 https://mizubasyo.jp/ |
写真
感想
このお盆の期間、金曜日から休暇を取得していたので、久しぶりに白山に二泊の泊まりがけ山行を考える。考えてみると、いわゆるアルプス以外で二泊以上の縦走山行ができるような山域というのはそう多くない。この夏の酷暑ゆえにある程度の標高求めるとなおさらである。当初は大峰方面に行きたかったのだが、奈良の南部は土曜日にかなりの降雨の予報となっている。一方、北陸方面は連日、晴天の予報が続いているので白山方面に向かうことにする。
初日は経ヶ岳を経て赤兎山に至る行程を考える。経ヶ岳は大野市の奥越青少年自然の家から保月山を経て登頂するルートが一般的ではあるが、その南の唐谷川の上流、鹿谷を経て池の大沢に至るルートを選択する。
北陸新幹線が敦賀駅にまで開通してから敦賀に向かうのは初めてであるが、福井から先の北陸本線はハピラインふくい線とIRいしかわ鉄道として第3セクターに移管し、米原から敦賀の区間のみが北陸本線としての名を留めているのみであるが、この区間は北陸地方ではないため、そのうち名称も変わるのだろうか。
敦賀行きの特急サンダーバード号はほぼ満席に近い状態であった。サンダーバードは敦賀駅の新たな高架のホームに終着するのだが、最近の新幹線の駅の傾向なのだろうか、要塞のような物々しい建築物となっている。ハピラインふくい線の車両は全てショッキングピンクとライトグリーンのラインで彩られている。この二色が鮮やかではあるものの補色の関係に近いせいだろうか、落ち着きのない色合いに思える。
福井駅から勝山に向かうえちぜん鉄道に乗り換えるとなんとなくホッとした気分になる。車内は恐竜博物館に向かうものと思われる家族連れも多く乗っているようだ。洒落たワンビースに帽子を被った若い女性が車内でアナウンスをしたり、乗客に切符を販売しているので、車掌かと思ったが、アテンダントという仕事になるらしい。マスクをしてはいるものの、明らかに美人である。地方鉄道の鄙びた雰囲気と大きなギャップを感じさせるのだが、えちぜん鉄道ならではの仕事らしい。
終点の勝山に到着するとまずは駅前の「みどり亭」という食堂で越前そばを食する。店は11時から営業を開始したところで、店内には他の客はいなかった。明らかに手打ちのコシの強いそばは大根おろしと淡白な出汁と相待って美味であった。
食べ終わっていざ駅前に戻ると、先ほどまでは駅前に二台ほど待機していたタクシーが見当たらない。乗り場の案内板に記されたタクシー会社に電話をしてみると30〜40分ほどかかるという。タクシー乗り場には他に一人の男性が佇んでおられたが、明らかにタクシーを待っている様子である。
仕方がないので駅前のベンチに腰掛けてタクシーを待つ。勝山のレトロな駅舎は重要文化財に指定されていることに気が付く。日差しは強いが、駅前のベンチにはほぼ間断なく涼しい風が吹いている。駅舎の中には瀟洒なカフェもあるのだが、駅前のベンチで涼風に吹かれながら時間を過ごすうちに確かに40分近くを要してようやくタクシーが到着する。
南六呂師の集落で、奥越青少年自然の家への分岐を過ぎたところでタクシーを降りると、まずは集落の中を進む。民家の軒先にはふんだんに水が出ているところが多い。ほぼ典型的な扇状地の地形であり、水が湧き出すところが多いのだろう。集落を過ぎて林道が樹林の中に入ると急に涼しくなる。このまま快適な林道歩きが登山口まで続くかと思われたが、現実はそう甘くはなかった。
前方に大きな堰堤が現れると堰堤の前に軽トラックが一台停車しており、堰堤の下で水遊びをしている人たちがいる。そのトラックの先で林道は突如として終わっているのだった。地図では林道は堰堤の右岸を越えることになっているが、樹林の中には藪が広がっているばかりで、道らしきものはない。
それでも、ここを歩いた人がいるのだろう。微かな踏み跡があるようなので、踏み跡を辿って斜面に取り付く。堰堤の手前はかなりの急斜面となっており、樹やササを掴んで堰堤の上に乗ることが出来るが、滑落の危険性もあり得るので、到底人にはおすすめ出来ない。園庭を越えると踏み跡は河原に向かって進んでいるようだ。
河原を進むと前方に橋が見える。再び右岸の笹藪を漕いで橋の手前に出ると、幅の広い林道に出るのだった。おそらく林道はどこかから続いているのだろうが、少なくとも地理院の地図にはこの林道の先は記されていない。橋を渡るとすぐに左岸の林道と合流する。堰堤の手前で引き返して、対岸に迂回する別の林道があったことに今更ながらに気が付くのだった。
歩きやすい林道が続き、しばらくすると意外なことに舗装路となった。林道脇の沢から流れ出した水がアスファルトの上を流れており、さながら浅い沢のようになっている。この日に履いていたのはモンベルの防水性のない登山靴だったので、気が付くと靴の中まで水が滲み込んできていた。
六呂師の山麓を周回する林道に合流したところで。わずかに引き返すと鹿谷への林道の入口がある。熊鈴を鳴らしながら進むと林道脇の草むらから大きな黒い動物が飛び出す。北海道の羅臼岳でヒグマによる陰惨な襲撃の事故があったところでもあり、熊かと思って一瞬怯んだが、一目散に逃げていく動物の後ろ姿は猪であった。
ここでも林道上を水が流れている。先に進むと左手の斜面から水が湧き出しており、水を補給する。1.5kmほど進んだところで左手の樹林に登山道が現れる。登山道に入ると倒木や豪雪地帯に特有とも言える地面とほぼ平行に生える樹々が頻繁に通行を妨げる。テン泊装備の大きなリュックでこのような道に挑んだのは賢明な選択ではなかった。
急に視界が開けたと思うと、沢筋に下降する。最初の渡渉であるl。二筋の谷の出合となっているが渡渉後の道が見当たらない。地図を確認すると二つの谷の間の尾根をすすむことになっている。左俣の沢を渡渉すると再び薄い踏み跡を見出すことが出来る。
その後も多くの樹々や倒木の下を潜ったり越えつつ、登ってゆくと、再び沢に合流する。沢を渡渉した先で二つの沢が合流している。ここでも渡渉先で登山道が不明瞭であるが、しばらくルートを探すことにになるが、パラパラと雨ば降り出した。
手前の小さな沢の奥で樹陰に人目を憚るかのように付けられているピンクテープを見出すことが出来る。降り出した雨は急速に雨足が強くなり、たちまちの内に驟雨となった。ここで鬱蒼とした樹林の中にいたのは幸いだったといえよう。
15分ほど経ったところで雨が止んだと思って先に進むと道は樹林を抜け出し、雨にしとどに濡れた草叢の中へと入ってゆく。しかし、雨の止んだと思ったのも束の間、再び本降りの雨が降り出した。程よい樹の下に逃げ込む。
どのくらい待っただろうか。小1時間ほどしたところで。谷の先の上空で雲の合間から青空が広がり始めると、ようやく雨足も治まってくれる。雨に濡れた草叢の中を進むとすぐにも靴の中はびしょ濡れになるのだった。有難いことにすぐに草叢は途切れ、涸沢のゴーロ帯となる。ピンクテープは見当たらないが、岩石が小さいせいで歩きやすいの涸沢の中を進む。しかし、谷の源頭部に進むに従って崖のようなルンゼが現れる。流石にこれはおかしいと思い、地図を確認すると、本来の登山道は左手の小さな尾根を進むようだ。
谷を少し戻り、尾根の斜面の笹藪の中に微かな獣道を見出すと再び藪を漕いで斜面を這い上がる。すぐにも明瞭な登山道に合流することが出来る。ブナの立ち並ぶ細い尾根の間を直線的に登る登山道はかなりの急登であり、トラロープがほぼ切れ目なく付けられている。
やがて登山道は突如として平坦になる。いよいよ池の大沢に入ったのだろう。この池の大沢は100万年ほど前の経ヶ岳の噴火による火口原であり、長い年月の間に土砂や泥炭が堆積して湿地が形成されたものらしい。平坦になれば道が穏やかになるのものと期待したが、やはり豪雪のせいなのだろう、林床の低木は横に枝を伸ばすものが多い。密生した樹々の間を迷路のように蛇行しながら進む。問題は道が頻繁に著しい泥濘となることだ。先ほどの雨によるものではなく、湿地によるものだろう。
樹林が切れて唐突に小さな草原に飛び出す。テントを張るのに適した場所があるものかとも期待したが、草丈が高いのと地面は泥濘であり、テントには論外の場所であった。湿原を横断し、切窓と呼ばれる稜線の鞍部に乗ると、経ヶ岳への一般登山道と合流する。
道はすぐにも雲の中へと入ってゆく。経ヶ岳の山頂にかけてかなりの急登となるが、これまでの道に比べればはるかに歩きやすく、ほっとする。経ヶ岳の山頂に到着したのはほぼ17時半、当初の予定よりも大幅に遅いが、ヘッデンを灯して赤兎山まで行くことを考える。山頂から尾根を北上して赤兎山への分岐となる北岳に到達して驚いた。道が消失しているのだ。登山道があるはずの尾根にあるのはチシマザサの濃厚な藪だけである。
この経ヶ岳と赤兎山の間を結ぶ長い稜線を縦走したのは2020年の積雪期と同じ年の晩秋であった。晩秋の時は笹藪の中に明瞭な道が続いていたのだが、刈り払いされた後だったのだろう。経ヶ岳の山頂にテントを張るのに適した平坦な草地があったのことを思い出す。
山頂に戻りテントを張るうちに周囲の雲が上がり、東には白山や赤兎山、西には福井平野の彼方に沈みゆく夕陽が見える。黄金色の夕陽に輝く雲の中から稜線が徐々に姿を表してゆく様はなんとも幻想的であった。この経ヶ岳山頂でテントを張ることは完全に計画外ではあったが、何かとトラブル続きで遅い時間にここに到着することになったが、却って良かったのかもしれないと考える。
先週、針ノ木峠でテントを張った時は一晩中、テントが風に煽られることになったのだが、この日はそよとも風が吹かない。まずはビールを開ける。二日分以上の食料と酒を携行しているのだが、焼豚に鴨肉、ソーセージを少しずつつまんだところで満腹となり、早々に就寝する。
真夜中、テントの中でガサゴソと動く音がする。テントの外からは明るい月明かりがさしている。インナーテントのメッシュを上へと昇ってゆくいくつかの大きな虫のシルエットが見える。明かりをつけてみるとカマドウマであった。インナーテントの入口のわずかな隙間から入り込んできたようだった。
翌朝、目が覚めると日の出前だった。赤兎山への縦走を諦めることにしたので、出立を急ぐ理由がなくなった。外に出るとまもなく東の空、別山の右手から朝陽が昇ってくる。前日の雨に濡れたせいだろう、カメラのレンズが曇って全く使い物にならないのが残念であった。白山は山頂部にのみ雲がかかっていた。周囲の山々はすっかり晴れており、南に荒島岳、銀杏峰と部子山、能郷白山をはじめとする越美国境の山々の展望を堪能する。
テントのアウターは夜露にしとどに濡れている。先週の針ノ木峠ではテントには夜露が全くつかなかったのだが、風のない夜は夜露がつきやすい。テントの中にいた数匹いた筈のカマドウマはいずれも見当たらなくなっていた。どうやら入口の狭い隙間を見つけて出ていったのだろう。虫の帰巣能力の高さに驚かされる。
テントを撤収し、用意が整ったのは7時半、かなり遅い出発となった。下山は南六呂師か平泉寺に降るルートが考えられるが、南六呂師から越前大野に出た場合、九頭龍鉄道にしてもバスにしても福井に戻る交通が少ないので、平泉寺に降ることにする。
尾根を北上すると乾きかけた靴と靴下は夜露に濡れた笹のせいでたちまちの内にしとどに濡れる。尾根の右手には存在感のある大きな山容が見える。大長山だ。その左手には鉢伏山を経て取立山に至るなだらかなおねが続いている。
再び北岳に至ると、昨日は眺めることの出来なかった赤兎山に至る長い尾根の全貌を俯瞰することが出来る。鞍部に向かって下降してゆく尾根の笹原には明瞭な道が見えているので、この稜線直下の藪を抜ければなんとかなるのかもしれない。しかし、このルートに挑むにしても天候と時間帯を選ぶ必要があるだろう。少なくとも夜露に濡れた濃密な笹藪を進む気にはなれなかった。
北岳から法恩寺山に向かって尾根を下降し、樹林の中に入ると笹の夜露もなくなる。まもなくブナの立ち並ぶ樹林となり、アップダウンの少ない広い尾根道が続く。わずかな登り返しを登ると突然、小さな広場に出る。伏拝と呼ばれるピークである。
法恩寺山からは急下降が続くが、道には延々と敷き詰められた石畳が続く。この石を積み上げた昔の人々の労苦に白山への信仰心の篤さを垣間見るようだ。前回、この法恩寺山を経ヶ岳から周回した時には時間の短縮を狙って法恩寺山から南西に伸びる尾根を下降したのだが、改めて地図を見返すとこの尾根を通ると六呂師に戻るにはかなりの遠回りとなる。
道が急に平坦になり、植林の中を進むようになると樹林の中に忽然と瀟洒な別荘のような避難小屋が現れる。小屋の前には水道の蛇口があり、捻ると水が出る。小屋の前には数多くの薪が積まれており、中には薪ストーブがある。いつか機会を作ってこの小屋に泊まってみたいものだと思う。
小屋を過ぎると緩やかな下りの尾根道が続く。標高が下がったせいだろう、ブナの樹は姿を消す。気温が上昇し、暑さが堪えるようになる。
白山神社に出ると平泉寺の境内から長い参道が続いている。丁度、ランニング姿の若者が参拝にやってきたところだった。社殿の奥から現れた私の姿に驚き「どこの山に登って来られたんですか?」と聞かれる。地元の人でもない限り、経ヶ岳や法恩寺山といってもなかなか通じないのだろう。
平泉寺の境内を出るとまずはバスの時間を確認する。市内観光バスが土日は運行されているが、なぜか勝山駅や観光地である越前大仏にも寄ることなく恐竜博物館に直行することになっている。それなりの理屈があるのかもしれないが、あまり合理的な運行ではないように思われる。1時間半ほど待つと、勝山駅行きのバスの後で勝山の温泉「水芭蕉」に向かうコミュニティー・バスがあることに気が付く。まずは門前の店で越前そばを食する。値段は同じであったが、麺も出汁も昨日の駅前のみどり亭に遥か及ばない。食後は公衆トイレの隣に立派な東屋とベンチがあるので、そこで読書をしながらバスを待つことにする。
標高は250mほどと低いもののここでも間断なく風が吹いており、涼しさを感じることが出来る。平泉寺から出てきた若いカップルの男性が「こんなところでテレワーク出来たらいいな」と女性に話しているのが聞こえる。ここでシャツから地面にはらりと落ちた小さな虫がいることに気が付く。なんと大きなマダニではないか。もしやと思い足元を確認すると同じマダニがタイツの膝の辺りに差し口を刺入して噛みついているのだった。スキンタイプのタイツだったので、皮膚と勘違いしてくれたのだろうか。
水芭蕉に移動すると、勝山駅に戻るバスは30分後の14時の便の次は16時過ぎまでない。慌ただしく温泉に入ることになるが、それでも汗を洗い流すことが出来るのは有難い。温泉から上がり、タイツを履こうとすると、腰の下の部分にももう一匹、先ほどのものと同じ大きなマダニが張り付いていることに気が付く。あともう少し上で、背中の皮膚に噛みつかれるところであった。
背中の醜悪な紋様と特徴的な大きさからタカサゴキララマダニと知る。このマダニによって媒介されるウイルスはSFTS(重症熱性血小板減少症候群)を惹き起こし、致死率は30%と極めて高い。以前はこの地域には生息していなかったものらしいが、温暖化あるいはイノシシの棲息範囲の拡大によるものか、北陸地方でも急速に増えつつあるようだ。
温泉から勝山駅へのコミュニティー・バスは運賃はなんと¥100であった。平泉寺からは¥200であり、どういう計算の仕組みになっているのかわからないが、いずれにせよ格段に安い。バスが勝山駅に到着するとすぐに福井行きのえちぜん鉄道に連絡する。発車間際に運転士と共にアテンダントが乗り込んでくるが、やはり若い美人であった。よくよく考えると、この鉄道には車掌はいないということか。
コメント
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マダニ、くっついてたなんて怖すぎます😱
かまれなくてホント良かったです。。
辛うじて噛まれることを免れた・・・といったところです。
一人だと背中の腰の部分というのはチェックしにくいので、盲点になっていました。
イノシシが棲息しているような低山を歩く時は要注意ですね。
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