にわか四国遍路(12)よりみち―大洲市長浜町上老松〜大洲市阿蔵


- GPS
- 16:00
- 距離
- 25.8km
- 登り
- 826m
- 下り
- 918m
過去天気図(気象庁) | 2013年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
「大洲旧記」より
感想
2013年(平成25年)4月18日10時44分。予讃線伊予出石駅。
伊予出石駅と遍路? いや、このルートは正規の遍路道ではない。本来の遍路道は肥沃な宇和盆地を抜けて大洲へ、さらに喜多郡内子から大瀬、そして久万高原へと向かうのが一般的である。
そもそも今回の旅立ちのきっかけは、自身の研究に関係する地名を訪ねてみようと思ったことだった。だが、この計画がまさか「にわか四国遍路」となってしまうとは思いもよらなかった。
伊予出石駅で降りるのは初めてのこと。大和川に沿って豊茂地区を目指す。肱川と大和川の分岐を過ぎ、まっすぐ延びる県道28号を進むと、大和小学校近くに「柿の久保」への分岐と出石寺の標柱が立っていた。鼻欠山のふもとの集落である柿の久保、そして鼻欠山という山名も実に興味をそそる。
やがて大元神社の付近で明治14年に穂積村の有志が開削したという道標を見つけた。だが、その穂積地区への道は荒れており、4月でさえも通行困難な様子。仕方なく県道28号を進むことにする。
川沿いを歩き、相生橋、大久保への分岐を過ぎると、生御院という史跡を発見した。江戸時代の天災に際して、食を断ち石の御室に籠った百姓を祀る場所だという。立ち寄ることはできなかったが、地域の人々の信仰を感じる。さらに進むと人面岩が現れた。地元の人に歴史の話を伺いながら、ようやく豊茂地区に到着する。
郵便局に寄り為替を購入していると、「出石寺に行くんですか?」と聞かれた。最初は予定していなかったが、その後、地元の方の軽トラに乗せていただき宇都宮神社へ向かうことになった。宇都宮神社は1475年、笠間蔵人によって創建されたという。沿革によれば、蔵人は宇都宮宣綱と比定され、やがて一族は大洲地蔵ヶ岳城や笠間城を拠点とし、豊臣秀吉の四国征伐により没落したとされる。境内に立つと、戦国から近世にかけての宇都宮氏の姿が思い浮かんだ。
さらに進むと、出石寺の守り神として創建された三島神社にたどり着く。境内には樹齢400年の大イチョウがそびえ立ち、豊茂の歴史を物語っていた。
ここから見える出石寺山に心を決める。不安はあるが、行くしかない。参道入口の標柱から直登ルートを選び、郷峠へ。大洲と八幡浜の境界に立つ峠は「Go pass」とでも訳したくなる名で、出石寺はすぐそこだ。
登ること40分、ようやく標高812メートルの高嶺に建つ出石寺に到着。養老年間、猟師がこの山で千手観音と地蔵尊の石像を得て出家し、後に弘法大師も修行したと伝わる寺である。境内には藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったとされる銅鐘があり、国の重文に指定されている。売店でいただいたうどんが、空腹の体に沁みわたった。
参拝を終え、西大洲へ下る道を探す。境界道を延々と下り、大洲盆地が眼前に広がる。やがて大洲城を望み、西大洲駅へたどり着いたときには、もう写真を撮る余裕も残っていなかった。
かつて出石寺へは伊予出石駅からバスが出ていたが、今では廃止され、公共交通での参拝は困難である。つまり歩くしか道はないのだ。今回、私は予定外に伊予出石駅から出石寺へ向かうことになったが、偶然の選択がかえって貴重な道を歩かせてくれたともいえる。
●本日の歩行距離・・・32.2キロ
●総歩行距離・・・221.7キロ(四国遍路全行程の約15%)
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する